東海道歩き旅【10日目②】原宿から東田子の浦へ 名僧・白隠禅師の足跡と老舗酒蔵を巡る

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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

東海道歩き旅10日目、松の香りを乗せた風が心地よい千本松原の西端、今沢を抜けると、いよいよ東海道十三番目の宿場「原宿」が見えてきます。
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と謳われた名僧・白隠禅師の息遣いが、今も色濃く残る静かな歴史の町です。旧東海道沿いに続く趣ある宿場の面影、芳醇な日本酒の香り、そしてソースの焦げる匂いがたまらない地元で愛されるB級グルメまで。今回は、原宿の東木戸から東田子の浦駅を目指す、五感をフルに刺激する見どころたっぷりのルートをご案内します。

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東海道10日目-2

日本橋から十三番目の宿場町「原宿」

ブーちゃん
ブーちゃん

ここは、東海道五十三次の中でも小さな宿場町だったんだブ!

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が約20軒程度で、とっても静かな場所だったみたいだブ。でもね、景色は最高なんだブ!富士山と松並木がきれいに見える絶景ポイントとして有名だったんだブ。

あの有名な歌川広重さんも、その美しさに感動して浮世絵に描いたらしいブ。小さくてもキラリと光る、とっても素敵な町だったんだブ!

白隠禅師の足跡「白隠の里」を歩く

原宿に入ってまず驚かされるのは、白隠禅師にまつわる史跡の多さです。江戸時代、この地から全国へと禅の教えを広めた偉大な僧侶の足跡を、一つひとつ辿っていきます。

清梵寺

平安時代の古墳(大塚)をルーツに持つ臨済宗寺院です。江戸時代の名僧・白隠禅師とも深いゆかりがあり、現在も「原のお地蔵さん」として地域の厚い信仰を集めています。

長興寺

臨済宗妙心寺派の寺院で、かつて白隠禅師のもとに全国から集まった修行僧たちの宿坊として使われていた場所です。ここから後述する松蔭寺までは歩いて5分ほどで、修行僧が通った「白隠道」と呼ばれる小道が今も残っています。境内には京都・大徳寺塔頭の国宝「密庵席」を写した茶席があり、週末には坐禅会も開かれています。ピンと張り詰めた空気が漂い、背筋がすっと伸びるような神聖な場所です。

松蔭寺(二代目すり鉢の松)

白隠禅師が住職を務め、その名声を全国に轟かせた本拠地とも言えるのがこの松蔭寺です。白隠禅師は江戸時代中期の禅僧で、低迷していた臨済宗を再興した「中興の祖」と言われ、現代に続く臨済禅の全法系を築いた500年に1人の名僧と称されています。白隠禅師のお墓も本堂の裏手に静かに佇んでいます。

入り口には全国でも珍しい「石瓦葺き(いしがわらぶき)」の堂々たる山門があます。

境内には立派な松の木がたくさんあります。

不勉強で訪れてしまったため、その松をクローズアップして写真を撮ることができなかったのが悔やまれます!本堂の前に立つ松のてっぺんに、本当にすり鉢が被さっているようです。初代の松は惜しくも2010年に枯れてしまったそうですが、現在二代目の松がその不思議な姿をしっかりと受け継いでいます。

ブーちゃん
ブーちゃん

すり鉢の松
白隠禅師っていうお坊さんが、お寺の大事な松の木が折れちゃって困っているのを見つけたんだブ!
「かわいそうだブ~」と思った禅師は、もらったばかりの大きなすり鉢を、ポコっと枝にかぶせてあげたんだブ。そしたら、松の木が元気にスクスク育って、すり鉢を乗せたままどんどん高くなっていったんだブ!

西念寺

時宗の寺院である西念寺は、白隠が11歳の時に地獄の説法を聞き、あまりの恐怖から毎日通い詰めたという信仰の原点です。「地獄に落ちたくない」という幼い頃の純粋な恐怖心が、のちに日本仏教を牽引する大禅師を生んだと思うと、この静かなお寺の見え方も少し変わってきます。

白隠禅師産湯の井戸

西念寺のすぐ北側に「白隠禅師産湯の井戸」があります。1685年、この地で誕生した白隠禅師。その産湯に使われたとされる井戸が、今もひっそりと残されています。

宿場町の面影と、華やかなる名園・酒蔵

白隠の里を抜けると、今度は東海道の宿場町として、そして文化の交差点として栄えた原宿の別の顔が見えてきます。

浅間神社

甲斐武田氏に仕えていた植松次右衛門が天正年間の後にこの地に居住し、慶長年間に創建したと伝わる神社です。後に原宿で多大な影響力を持つことになる植松家の氏神として、旧東海道の旅人たちを見守ってきました。

帯笑園(たいしょうえん)

その植松家が江戸時代後期に整備したのが、国登録記念物にもなっている名勝「帯笑園」です。ここは池や築山を配した一般的な日本庭園とは異なり、全国から集めた珍しい花や草木を鑑賞するための「植物園」のような造りになっています。当時としては珍しい温室も備えていたそうで、シーボルトや、大正天皇も皇太子時代に訪れたというから驚きです。

問屋場跡・渡邊本陣の跡

原宿の運営の中枢であった問屋場(とんやば)の跡地です。人足や馬の差配など、物流と交通の要となる指令室でした。現在は石碑が建つのみです。

徳源寺(源頼朝お手植え富士見の松 三代目)

建久4年(1193年)、源頼朝が富士の巻狩りの際に陣営を構えたという伝説が残る古刹です。境内には頼朝が自ら植えたとされる「富士見の松(現在は三代目)」が葉を茂らせています。歴史の重みと造形美が同居する見事な空間です。

高嶋酒造(白隠正宗)

街道歩きの楽しみといえば、その土地の美酒。旧東海道沿いにナマコ壁の美しい蔵を構える高嶋酒造は、200年以上の歴史を持つ老舗です。山岡鉄舟がこの酒の美味さに感動し、「白隠正宗」と命名したという逸話が残っています。

高嶋酒造の横の路地を入ると、車がずらりと並んでいました。そこは地下150メートルから汲み上げた富士山の雪解け水を無料で汲めるスポットで、地元の人たちに大人気のようです。

ここで妻が「白隠正宗」の文字を見るや否や「四合瓶くらいならリュックに入るよね? むしろこれを背負って歩くことが修行というものでは?」 と、白隠禅師もびっくりの屁理屈をこねて、お土産を買おうとしていました。もちろん無視です。

宿場の終わり、そして新たな伝説の地へ

原宿 西木戸(見付)跡

高嶋酒造を過ぎると、すぐ原宿の西の出口である「西木戸跡」に到着します。東木戸からここまで約2.2km。道が一直線に伸びていたのが原宿の特徴です。小規模でしたが、かなりの濃密な宿場町でした。

江戸日本橋から三十二里目「原一本松一里塚跡」

原宿の錦戸から1kmほど歩くと、江戸・日本橋から数えて32里目(約125km)、「原一本松」と呼ばれた一里塚の跡です。かつては大きな松の木が旅人の目印として植えられていたそうですが、現在は石碑が旅の進捗を教えてくれます。

村社三社宮

旧東海道沿いの集落に鎮座する神社。秋葉神社や天王社など複数の神様を合祀していることから「三社宮」と呼ばれています。一本松新田の鎮守として創建されました。

ゆきちゃん(焼そば)

歩き続けてお腹もペコペコになった頃、原駅の近くで最高のオアシスを発見しました。「焼そば ゆきちゃん」です。ここは、B級グルメとして名高い正統派の「富士宮やきそば」が味わえるアットホームな名店。食堂の雰囲気も、旅情をそそります。
壁一面のサイン色紙と芸能人との写真にも驚きです。

手頃な価格で味わえるコストパフォーマンスの高さも良いですね。

私たちは「富士宮焼きそばミックス」と「う宮!!オムソバ」をいただきました。

ブー妻ちゃん
ブー妻ちゃん

ジュージュー焼ける音がたまらないブ!鉄板で熱々の「富士宮焼きそば ミックス」は、具材の旨味がモッチモチの太麺に絡んで最高だブ!頂上の半熟目玉焼きをトローリと崩して食べると、もうお箸が止まらないブ〜!

そして「う宮!!オムソバ」!贅沢に卵2個を使ったふわふわ・とろとろの卵で、コシのある麺を優しく包み込んでいるんだブ!卵のまろやかさとソースの香ばしさが口の中で大合唱だブ!

さらに1kmほど歩いて、東海道本線を渡ります。
沼津宿西見附からずーっと直線が続きます。

六王子神社

東田子の浦駅前にある「六王子神社」です。ここは「人身御供(生贄)」の悲しい伝説が残る場所です。

ブーちゃん
ブーちゃん

むかしむかし、怒っている大蛇さんを落ち着かせるために、女の子が生贄になっていたんだブ。ある時、7人の巫女さんが捕まって、一番若い「おあじ」ちゃんが選ばれちゃったんだブ。

残った6人の巫女さんは、おあじちゃんを置いてきちゃったことがとっても悲しくて、沼に飛び込んでしまったんだブ。村の人たちがその6人を一緒にお弔いして、神様としてお祀りしたのが、六王子神社のはじまりなんだってブ。

千本松原の西端を抜け、白隠禅師の教えが息づく原宿の街並みは、歴史と文化がぎゅっと詰まった素晴らしいコースでした。帯笑園の優雅な植物たちに心癒され、、ゆきちゃんの絶品やきそばでお腹を満たす。五感すべてを満たしてくれる街道歩きの醍醐味が、この短い区間に凝縮されていました。

東田子の浦駅に到着し、次回はいよいよ富士の裾野を縫いながら、吉原宿へと向かいます。この先どんな絶景と出会いが待っているのでしょうか。次回の更新も、どうぞお楽しみに!

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