こんにちは、ぶ~ちゃんです。
潮風がふわりと鼻をかすめる国府津駅。目指すのは、戦国時代に北条氏の威容を誇った難攻不落の城下町であり、東海道屈指の大宿場町「小田原宿」です。
今回は、かつて多くの旅人を足止めし悩ませた暴れ川「酒匂川」を渡り、歴史の表舞台に立った武将たちの切ない悲哀や親鸞聖人・日蓮上人の足跡を辿る、まさに歴史ミステリーツアーのような道のりです。足を進めるたびに重厚な物語が立ち現れる興奮を、どうぞ一緒に体感してください!
東海道歩き旅5日目-3
国道1号線を西へと進みます。このあたりは、古くからの寺社や路傍の石仏が、ひっそりと、しかし確かな存在感で残っています。街道を往来する旅人たちが、道中の無事を祈ったであろう、そんな気配を感じながら歩を進めます。

街道沿いに残る聖人ゆかりの地と静寂の寺院
親鸞聖人御草庵之旧蹟 勧堂(かんどう)
まずは左手に「勧堂」の碑が現れます。浄土真宗の開祖・親鸞聖人にまつわる場所です。鎌倉時代、親鸞聖人がこの地に立ち寄った際、説法を行った草庵の跡と伝えられています。「勧堂」という名は、ここで教えを広めたことに由来するとか。質素な碑ですが、ここから大きな教えが広がっていったと思うと、歴史の重みを感じます。

真楽寺
続いて訪れた真楽寺は、天台宗の古刹として聖徳太子にゆかりを持ちながら、後に親鸞聖人が逗留したことで浄土真宗へと改宗したという非常にドラマチックな歴史を秘めた寺院です。境内には親鸞聖人の遺骨やゆかりの品々、帰命堂や御勧堂、さらには聖人お手植えと伝わる菩提樹が大切に受け継がれています。



江戸日本橋より十九里目「小八幡一里塚跡」
少し歩みを進めると、パーキングのある開けた空間に出ました。ふと視線を上げると、青空の向こうに雄大な富士山がその美しい姿を見せてくれました。

感動に浸っていると、「あ、一里塚だ!」と思わず声が漏れます。日本橋から数えて19番目の一里塚です。残念ながら塚そのものは残っていませんが、案内板が立っています。

三寶寺(さんぽうじ)
街道から少し奥まった静けさの中に佇む三寶寺は、一見すると格式高い歴史あるお寺ですが、実は境内に「音茶房 邪宗門」というなんとも魅惑的でミステリアスな寺カフェが併設されている珍しいスポットです。
参拝者が休憩できる場所として人気があるそうですよ。


街道を見守る道祖神
日本橋から80kmの地点まで来ました。
この辺りを歩いていると、道端に多くの石仏を見かけます。

小田原のように人の往来が非常に多かった地域では、旅の安全を願う人々の信仰が特に篤く、結果として多くの道祖神が祀られることになったと考えられます。



大見寺
境内には、江戸時代にこの辺りの「名主」「組頭役」を務めた小嶋家の五輪塔があるそうで、小田原市の重要文化財に指定されています。

東海道の難所「酒匂川」と川止めの記憶
いよいよ本日のハイライトの一つである酒匂(さかわ)エリアへと入っていきます。ここはかつての大河・酒匂川の手前に位置し、川を渡る前の活気と、大雨による「川止め」への緊張感が独特の空気感を醸し出していた場所です。
旧川辺本陣跡
鎌倉時代から酒匂宿の川辺本陣として機能を果たしてきたと伝えられる史跡です。
重厚な佇まいを見せる立派な長屋門が残されています。

酒匂不動院
旧川辺本陣の向かいにあるのが酒匂不動院です。
川を渡る前の安全祈願、あるいは川止めで足止めを食らった時の心の拠り所として、多くの旅人が手を合わせたのでしょう。

明治天皇酒匂行在所跡
酒匂不動院の裏手には、明治天皇が東北巡幸の際に休憩された場所を示す碑があります。


道祖神
この周辺にも道祖神が点在していました。


法船寺(日蓮上人と川止め)
ここは非常に興味深いエピソードが残るお寺です。
酒匂川が増水すると川止めになりました。自然の力には勝てない。それは高僧であっても同じだったんですね。「川止め」という言葉の重みをリアルに感じられるスポットです。
平成5年(1993年)には創建を記念する木造五重塔が建立されています。




日蓮さまが鎌倉から身延へ行く途中で、大雨で増水した酒匂川を渡れなくて困っていたブ。そしたら、お地蔵さまが助けに来てくれて、飯山入道さん夫婦の地蔵堂に泊めてもらったっていう、ありがたいお話ブね!これがお寺が始まるきっかけになったブよ!
荒ぶる大河を渡る!現代の酒匂川
酒匂川
ついに眼前に広がったのは、かつて東海道屈指の難所として恐れられた「酒匂川」の雄大な川幅です!
江戸時代、幕府の防衛上の理由からここには一切の橋が架けられておらず、川越人足(かわごしにんそく)の力強い肩に乗るか、あるいは「蓮台」と呼ばれる台に乗って渡るしかありませんでした。増水すれば容赦なく川止めとなり、旅のスケジュールを大きく狂わせる巨大な壁だったのです。
現在は頑丈で立派な「酒匂橋」がかかり、富士山を眺めながら快適に渡ることができます。橋の上を吹く風を感じながら、かつての人足たちの威勢のいい掛け声を想像してみてはいかがでしょうか。


小田原城下へ!戦国武将たちの哀愁と歴史の影
酒匂川を渡り切ると、景色の空気感がガラリと変わり「小田原」の豊かな気配が満ちてきます。しかし、華やかな大城下町に入る直前、私たちは戦国時代という乱世が残した悲しくも切ない歴史の陰影と向き合うことになります。
網一色八幡神社
平安時代後期の武将、鎌倉景政(権五郎)を祀っています。
片目を射抜かれながらも奮戦したという伝説の豪傑。網一色村の鎮守として、武運長久の神として崇敬されています。

新田義貞の首塚
住宅街の静かな路地裏に、ひっそりと佇む宝篋印塔があります。
ここは鎌倉幕府を倒した時代の英雄・新田義貞の首塚と伝えられている場所です。越前(福井県)の地で戦死した義貞の首級を、家臣が故郷の上野国(群馬県)へ持ち帰る途中、この酒匂の地で無念にも病に倒れ、やむなく埋葬したという悲しい伝承が残っています。教科書に名を残す大英雄の最期の一片が、このような日常の路地裏にあるとは驚きです。
塚へは南側の細い路地から入っていくことができます。

上杉龍若丸墓
さらに胸を締め付けられる史跡が、関東管領・上杉憲政の嫡男である龍若丸のお墓です。北条氏の猛攻を受けて平井城を追われた憲政は、幼い龍若丸を信頼する家臣に託して逃走させました。しかし、あろうことかその家臣が裏切り、敵である北条氏康に龍若丸を突き出してしまったのです。幼い龍若丸はこの地で処刑され、わずか11歳(一説には13歳)という短い生涯を閉じました。
戦国の世は非情でしたね。手を合わせずにはいられません。

ついに到着!小田原宿の東の玄関口
悲しい歴史を越え、いよいよ小田原城が近づいてきました。 17:00を少し過ぎた頃、あたりは暗くなってきましたが、街の灯りが旅人を迎えてくれます。

「東海道 小田原宿」の案内板を発見しました。ここからがいよいよ、天下の険・箱根を控えた大宿場町、小田原です。

江戸口見附
ついに到着しました!小田原宿の東側の正式な入り口である「江戸口見附」です!
これは小田原宿の東の入り口、つまりここからが正式な小田原城下です。 残された石垣の跡を見ると、「やっと宿場に着いた!」という達成感と、「どんな美味しいものが待っているんだろう」という期待感が一気に湧き上がってきます。ここまでの疲れも吹き飛ぶ瞬間です!

番外編:小田原駅前で楽しむ創業老舗の絶品和スイーツ
本日の歩き旅は江戸口見附で無事にゴールとし、小田原駅前のホテルへチェックイン。夕食の時間まで少し余裕があったのですが、お腹はペコペコです。そこで小田原駅周辺で楽しむ食べ歩きへと繰り出しました!
ミナカ小田原
小田原駅東口に行ってみると、4階建ての小田原新城下町「ミナカ小田原」がありました。


ここは「みらいの宿場町小田原づくり」をテーマに建てられた、昔の江戸時代の宿場町を思わせる温もりあるショッピングスポットだブ!小田原の美味しいグルメや魅力的なお土産が一堂に会していて、地域の素晴らしさを伝える新しいランドマークなんだブよ!
いなり寿司の相模屋(もち稲荷)
「いなり寿司の相模屋」の看板がめにつきました。
なんと明治2年(1869年)創業の老舗とのこと。閉店間際に飛び込んで、もち稲荷をテイクアウトしました。



お揚げからじゅわ〜っと甘じょっぱい秘伝の煮汁が溢れ出てきて、これだけでもうたまらないブー!中に入っているお餅がまた最高で、驚くほど柔らかくてもっちもち!温かいお餅がビヨ〜ンと伸びて、甘いお揚げと絶妙に絡み合うんだブ!何個でもペロリと食べられちゃう美味しさだブ〜!
正栄堂菓子(虎朱印最中)
店先のベンチに座り、食べ終わって間もなく「ラスカ小田原」にある「正栄堂菓子」に面白い最中を発見!その名も「虎朱印最中」。
北条氏が代々用いた「虎朱印」がデザインされた皮になっています。早速購入!


十勝産大納言を贅沢に使った粒あんがぎっしり詰まっていて、上品で優しい甘さが疲れた身体にじわ〜っと染み渡るブー!パリッとした皮の香ばしさと、餡の中に隠れたモチモチの求肥(ぎゅうひ)の食感が楽しすぎて、歩き旅の疲れが一気に吹き飛んじゃうブ!
国府津から小田原までの道のり、いかがでしたでしょうか。 単なる移動区間だと思っていた街道筋に、親鸞聖人や日蓮上人の宗教的なロマン、新田義貞や上杉龍若丸といった戦国武将たちの切ない歴史ドラマがぎっしりと詰まっていました。
次回はいよいよ、難攻不落の名城・小田原城の圧倒的な姿と、城下町が誇るさらに深い絶品グルメをお届けします! それでは、また次の記事でお会いしましょう!
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