こんにちは。ぶ~ちゃんです。
静岡の歴史ある街道を巡る東海道歩き旅の12日目。軍神社での参拝を終えた私たちは、いよいよ徳川家康公が愛した大城下町・府中宿の核心部へと足を踏み入れていきます。
このエリアは、古代神話の伝承から鎌倉時代の武将の悲劇、徳川家ゆかりの寺院、そして幕末の動乱を動かした歴史的会見の舞台まで、まさに日本の歴史のターニングポイントが濃縮されたような濃密な街道筋。一歩進むごとに時代のレイヤーが何重にも重なり合う、実に味わい深い道のりです。
長距離を歩き抜いてきた足の心地よい痺れを感じつつ、五感を研ぎ澄ませて駿府の歴史と現代の街並みが交差する道を踏みしめていきましょう!
東海道歩き旅12日目-4
軍神社をあ後にし、歴史の深みに足を踏み入れる
軍神社を過ぎ、旧東海道はのどかな住宅街から少しずつ賑やかさを増す街並みへと表情を変えていきます。このあたりは昔から「狐ヶ崎」と呼ばれ、かつて武士たちが命を散らした歴史舞台でもありました。
曲金観音堂
軍神社をすぎて旧東海道を西へ進むと、道が交差する追分の角地に、鮮やかな朱色の幟(のぼり)がはためく小さなお堂が現れます。ここが「曲金観音堂」です。
ここは古くから「狐ヶ崎」と呼ばれた場所で、鎌倉時代初期の正治2年(1200年)1月、鎌倉幕府の有力御家人であった梶原景時一族が追討を受け、在地武士と激しい死闘を繰り広げた古戦場跡(狐ヶ崎の合戦)と伝えられています。激戦の末に散っていった戦死者や無縁仏の霊を慰めるため、後世になってこの地に十一面観世音菩薩が祀られ、観音堂が建立されたそうです。


梶原景時といえば、源義経との対立や鎌倉幕府の「13人の合議制」で有名な冷徹なキレ者武将だブ!でも頼朝公亡き後、孤立して鎌倉を追われ、この静岡の地で一族もろとも滅びることになったんだブ。この曲金観音堂は、そんな激動の鎌倉初期の権力闘争の終着点として、地元の人々に今も大切に供養されているんだブね!
駿府の歴史を今に伝える名刹と無血開城の舞台
曲金エリアを抜け、JRのガードしたをくぐり抜けると、道路の舗装や街並みが都市の装いを見せ始めます。

日本橋から十九番目の宿場町「府中宿」
東見附
1号線を渡った先の横断歩道の下にひっそりと、東見附の案内板があります。


駿府城の城下町と一緒になって大発展した府中宿は、東海道の中でもトップクラスに大きくて人がいっぱいいた、超BIGな宿場町だったんだブ!府中宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠43軒がズラリと並んでいたんだブ!
東海道五十三次の中で最大級のスケールを誇る、とっても大都会で賑やかな場所だったんだブ!
ビルの谷間や一本裏手に入った路地には、日本の歴史を揺るがした極めて重要な史跡がひっそりと、そして堂々と佇んでいます。
このあたりから、歴史や昔の町名を示す案内板を目にするようになります。さすが徳川家康の城下町ですね。




華陽院
街道から少し北へ折れ、一本北側の道にはいったところに石畳と洗練された気品に包まれた浄土宗の寺院「華陽院」があります。
ここは、徳川家康公の母方の祖母である「源応尼」が眠る、徳川家ゆかりの極めて深い名刹です。
幼少期の家康公(竹千代)は、織田家や今川家の人質として孤独な日々を送っていました。今川氏の拠点であった駿府で過ごした少年時代、竹千代を惜しみない愛情で包み込み、武士としての道徳や高い教養を授けたのが、この地に住んでいた祖母・源応尼でした。



竹千代(家康公)にとって、駿府での人質生活は決して暗い思い出ばかりではなかったんだブ!今川義元公のもとで最高峰の公家文化や学問を学び、さらに祖母である源応尼さまがすぐ近くで手厚い愛情と道徳を教えてくれたんだブ。辛い人質時代を支えた祖母の温かい愛と教えがあったからこそ、後に260年の平和を築く偉大な大御所・徳川家康公が誕生したと言っても過言ではないんだブ!
幼少期の試練を乗り越えて天下人となった家康公の足跡に触れ、背筋がすっと伸びるような心地よい刺激を受けました。
華陽院を後にして再び旧東海道へ戻ると、いよいよ府中宿の中心部・伝馬町エリアに入っていきます。府中宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠43軒を誇り、東海道の中でも大津宿に次ぐ規模を持つ屈指の大宿場町でした。
府中宿下伝馬本陣・脇本陣跡
伝馬町の東側に位置するのが「府中宿下伝馬本陣・脇本陣跡」です。

上伝馬本陣脇本陣跡・駿府貫目改所跡
下伝馬町からさらに西へ進むと、「上伝馬本陣脇本陣跡」および「駿府貫目改所跡」の案内板が現れます。

西郷隆盛・山岡鉄舟会見の碑
伝馬町の賑やかな街角、商業施設の傍らに、日本の歴史を大きく大きく塗り替えた重要スポット「西郷隆盛・山岡鉄舟会見の碑」が立っています。

慶応4年(1868年)3月、明治維新の直前、官軍(新政府軍)が江戸へ向けて進軍する中、勝海舟の使者として命を受けた山岡鉄舟が、敵陣である駿府の松崎屋源兵衛宅に乗り込みました。ここで新政府軍参謀の西郷隆盛と膝を突き合わせて会見を行い、徳川慶喜公の処分や江戸城の扱いについて決死の下交渉を行ったのです。

ここで行われた西郷と鉄舟の会見は、まさに日本を内戦の壊滅から救った歴史的瞬間だブ!
敵陣に単身で乗り込んだ山岡鉄舟の命がけの誠意に感動した西郷隆盛は、提示された条件を受け入れ、数日後の東京での「勝海舟・西郷隆盛会見」へとつながったんだブ。この駿府での会見がなければ、100万人以上の江戸市民を巻き込む大流血戦になっていたかもしれないと思うと、歴史のロマンと胸の熱さを禁じ得ないブね!
大街道の熱気を感じる駿府城下の心臓部
伝馬町から呉服町通りへと足を踏み入れます。アーケードが広がり、若者や買い物客で行き交う現代の洗練された繁華街ですが、こここそがかつて東海道府中宿の中心地でした。


札の辻址
伝馬町を抜け、「札の辻址」の石碑が見えてきます。

東海道と、駿府城の大手門へと続く重要ルートが交わる四ツ辻であり、駿府城下で最も人通りの多い交通の要衝でした。参勤交代の大名行列、全国を行き交う旅人、商人、駿府の町人たちが入り乱れ、常に活気と熱気に満ちあふれていた場所です。
現代でも「札の辻クロス」という複合ビルの名称にその名が残されており、今も昔も静岡の中心地として機能し続けていることに深い歴史の連続性を感じます。
府中宿 高札場
そして「札の辻址」と同じ呉服町の交差点角に位置するのが、旅の目的地である「府中宿高札場」です。
大きな木製の高札が何枚も掲げられ、人々がそれを見上げて幕府の掟を確認していた府中宿のシンボル。こここそが、江戸日本橋を出発して12日目、本日目指してきた歩き旅の最終ゴール地点です!

12日目のゴール!活気あふれる静岡駅と絶品静岡夜グルメ
高札場でのゴールを噛みしめた後は、今夜の宿と楽しみな夕食が待つJR静岡駅北口へと向かいます。

歩みを進めると、徳川家康公や竹千代君の銅像が立ち並ぶ、実にきらびやかな大都市の風景が広がっています。

私たちは吸い込まれるように駅ビル内の居酒屋街へと向かいました。
暖簾をくぐり、テーブル席に腰を下ろしたら、まずは冷えた生ビールで乾杯!一日中歩き抜いてカラカラになった喉に、黄金色の液体がゴクゴクと落ちていくこの瞬間……まさに至福の極み、格別の旨さです!
そしてお楽しみの静岡名物グルメを注文。運ばれてきたのは、真っ黒なスープでじっくり煮込まれた「静岡おでん」と、香ばしいソースの香りが漂う「富士宮やきそば」です!



黒ハンペンがモッチモチで、濃いめのお出汁が中までジュワ〜ッと染み込んでるブ〜!上にたっぷりかかった青のりと削り節の香りがアクセントになって最高だブ!富士宮やきそばも、噛みごたえ抜群のモチモチ麺と香ばしい肉かすの旨味が噛むほどにあふれ出てくるブ!さらにキンキンに冷えた生ビールをグビッといけば、悪魔的な美味しさで今日歩いた疲れが全部吹き飛んじゃうブ!
静岡ならではの絶品B級グルメを心ゆくまで堪能し、12日目の素晴らしい歩き旅を締めくくりました。
江戸時代の古戦場の哀愁、家康公の幼少期を支えた家族の愛、幕末の志士たちの命がけのドラマ、そして現代の活気ある街並みと絶品グルメ――。府中宿(静岡)は、まさに時代のレイヤーが何重にも重なり合った魅力あふれる最高の宿場町でした。
次回は、駿府城下をあとにし、歴史ある「安倍川」を渡って「丸子宿(まりこじゅく)」の名物・とろろ汁を目指す13日目の旅をお届けします!ぜひお楽しみに!
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