東海道歩き旅【9日目③】沼津宿を歩く!城下町の面影と千本松原の絶景

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東海道
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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

今回は東海道五十三次、12番目の宿場町「沼津宿」を歩きます。

戦国時代の武田と北条の激戦地であり、江戸時代には水野氏の城下町としても栄えたこの地。ビルが立ち並ぶ現代の市街地の足元や、路地の片隅には、往時の記憶がひっそりと息づいています。東海道の歴史浪漫に触れる沼津の街道歩きに出発です!

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東海道12番目の宿場町「沼津宿」へ

三島宿から西へ歩を進め、狩野川の心地よいせせらぎが聞こえてくると、いよいよ沼津の街に入ります。アスファルトの道を踏みしめながら、かつてわらじ掛けの旅人たちが見たであろう景色を想像すると、自然と足取りも軽くなりますね。

沼津宿の入り口、歴史の痕跡をたどる

宿場の中心部へ入る前に、東海道の道中を支えた重要な史跡が出迎えてくれます。ここからは、旅の安全を祈り、距離を測った先人たちの息遣いを感じていきましょう。

東海道駿府へ十五里碑

さらに進むと、富士隠れ坂の付近で小さな石碑を発見!「東海道駿府へ十五里碑」です。江戸からの距離ではなく、「駿府(現在の静岡市)まであと十五里(約60km)」を示す珍しい道標。

平作地蔵尊

平町を歩いていると、地元の方々に大切に手入れされているお地蔵様に出会いました。歌舞伎や人形浄瑠璃『伊賀越道中双六 沼津の段』に登場する「雲助平作」にゆかりのある「平作地蔵尊」です。

娘婿のために自らの命を絶った平作の深い愛情。その真情を讃え、今は「延命子育地蔵」として街を見守っています。手を合わせると、お線香の仄かな香りが鼻をくすぐり、心がすっと穏やかになるのを感じました。最近ではQRコードを使った情報発信など、次の世代へ物語を伝える工夫もされており、歴史が「今」も動き続けていることを実感します。

江戸日本橋から三十里目「沼津日枝一里塚」・玉砥石

旧東海道沿いの公園には「沼津日枝一里塚」のある公園がありました。
元々は別の場所にありましたが、元禄12年(1699年)の大津波によって沼津宿が移転した際、現在の位置(日枝神社の旧参道入口付近)に移設されたと言われています。

更に、公園内には静岡県指定有形文化財である「玉砥石」が設置されています。大小2基の石柱があります。これは単なる石ではなく、古代の装飾品である「玉(勾玉、管玉など)」を製作する工程で使用された、歴史的に極めて価値の高い石造遺物です。今から約1,200〜1,300年前(古墳時代〜奈良時代)に、この地は「玉造郷(たまつくりごう)」と呼ばれていたようです。

日本橋から十一番目の宿場町「沼津宿」

沼津宿の東口もこのあたりにあったようです。
沼津は単なる宿場町ではなく、「沼津城」の城下町としての顔も持っていました。

ブーちゃん
ブーちゃん

本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒もあるとっても大きな宿場町だったんだブ!
ただの宿場町じゃなくて、かっこいい「沼津城」がある城下町でもあったんだブ。陸の道だけじゃなく、川や海の道もつながる便利な場所だったから、人やモノ、おもしろい情報がどんどん集まって大賑わいだったんだブ!商売も政治も絶好調で、すっごく活気にあふれて栄えた素敵な場所なんだブ!

川廊(かわぐるわ)通り

車が行き交う大通りから一本路地に入ると、道の形やふとした境界に、城郭の面影を見つけることができます。志多町と上土町の間を通る旧東海道、「川廊通り」を歩きます。ここは東側が狩野川、西側が沼津城の外堀に接していた、とても狭い町筋でした。

三枚橋城址

沼津中央公園にやってきました。ここはかつて、武田勝頼が築いた「三枚橋城」、江戸時代初期に一度廃城となり、その跡地に水野氏が築いた「沼津城」の本丸があった場所です。公園の再整備工事中で、石碑と案内板は遠くからの撮影です。

三枚橋城外堀跡の石垣

狩野川沿いに出ると、パッと視界が開け、三枚橋城の石垣が現れました。発掘された三枚橋城外堀跡の石垣を、丁寧に積みなおしたものです。野面積みに近い無骨な石の表情からは、戦国時代の荒々しさが感じられます。
狩野川の開けた景色を眺めていると、歩くことを忘れてしまいそうです。

三枚橋城外堀跡・石垣類

都市開発に伴う発掘調査で、地下深くに眠っていた強固な石垣や外堀の跡が次々と見つかりました。現在は「アゴラ沼津」や「沼津リバーサイドホテル」の前、公園内などにその石垣が移設・展示され、街のモニュメントとして道行く人を楽しませています。今歩いているこのアスファルトのすぐ下にも、まだ見ぬ歴史が息づいていると思うと、自分の足元が急に愛おしく思えてきます。

高田、間宮、清水本陣跡・中村脇本陣

本町通り周辺に出ました。ここが沼津宿のまさに中心地です。かつては高田、中村、間宮、清水といった複数の本陣や脇本陣が威風堂々と軒を連ねていました。大名や公家が宿泊する本陣が3軒も並び立っていた事実は、沼津宿の格の高さと圧倒的な賑わいを見事に物語っています。

賑やかな宿場の中心を抜け、西へと向かいます。次第に潮の香りが濃くなり始めてきました。

丸子神社 浅間神社

宿場の西端近くに鎮座する「丸子神社 浅間神社」にお参りしましょう。立派な鳥居をくぐると、ここは一つの境内に二つの神社が同座するという、全国的にも珍しい形態であることがわかります。向かって右側が丸子神社、左側が浅間神社として祀られています。
浅間神社は延暦20年(801年)に坂上田村麻呂が東夷征討の際に創建したとされ、丸子神社はさらに古く、崇神天皇の時代に勧請されたのが始まりと伝えられる古社です。

出口町見付外

丸子神社 浅間神社から200mほど西側にある「出口町見付外」に到着しました。ここは沼津宿の西の境界線の外側。かつては土塁や柵が設けられ、宿場への出入りを厳しく管理していました。

東海道のルートとしての街道歩きはここまでですが、沼津まで来て絶対に外せないスポットへ足を延ばしてきました。

乗運寺

先ほど立ち寄った丸子神社・浅間神社のある交差点を南に少し入った閑静な場所に、「乗運寺」があります。ここは三枚橋城主・松平康親や、沼津城主・水野忠友の菩提寺として知られる名刹です。
境内には、沼津をこよなく愛し、千本松原の保存運動にも尽力した国民的歌人・若山牧水のお墓や、後述する千本松原の再生に一生を捧げた増誉上人の像が建っています。沼津の歴史の重要な転換点が、この静かなお寺に集約されていると言っても過言ではありません。山門をくぐると、見事にお手入れされた美しい枯山水の庭が広がり、時が止まったかのような静寂に包まれます。

千本松原

乗運寺から南へ更に10分ほど歩くと、視界が急に開け、「千本松原」に到着です!駿河湾沿いに約10kmにもわたって続く、圧倒的な松林の風景が広がります。

実はこの美しい松原、戦国時代の武田・北条の激しい合戦によって、一度は無惨に荒廃してしまいました。その惨状を憂いた乗運寺の増誉上人が、潮風から農作物を守るため、お経を唱えながら自らの手で一本一本松の苗を植えて再生させたという、胸を打つ伝説が残っています。
海岸側の松は、強風に耐え続けて内陸側に傾いています。力強く荒々しいですね。

海岸に出るとザザーンという潮騒の音、松の葉を揺らす海風の心地よさ、そして足元に広がる柔らかな砂の感触。東海道の旅はしばらく、海とともに歩む旅でもあります。母なる海の大きさに、歩き疲れた身体が癒されていきます。

そして、西を向くと、どこまでも続く松原の頭上に、雄大な富士山がそびえ立っています。本当に美しいものを前にすると、人は「すごい」「きれい」という単純な言葉しか出てこなくなるようです。増誉上人の祈りが現代まで生き続けるこの雄大な景色を前にすると、ここまで歩ききった達成感とともに、沼津の歴史の奥深さがジワリと胸に迫ってきます。この松原、「万本」でしょう。

東海道の12番目の宿場町、沼津宿の街道歩き、いかがでしたでしょうか?戦国武将が駆け抜けた城の跡、旅人が安堵した宿場の賑わい、そして人々の祈りが育てた美しい松原。沼津は、歩くほどに様々な時代の表情を見せてくれる街でした。

次は原宿を目指して、松原の道を進んでいきましょう。それでは、また次の街道でお会いしましょう!

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