東海道歩き旅【2日目③】生麦〜新子安|幕末の歴史と生麦事件の舞台

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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

今回は「神奈川宿」へ向かう道中、横浜市鶴見区の「生麦」周辺をゆったり散策しました。ここはかつて魚河岸で栄えた活気ある港町の面影を残しつつ、幕末の日本を揺るがした「生麦事件」の舞台でもあります。

日本の近代化を加速させるきっかけとなった歴史の転換点が、この穏やかな街道沿いにあったと思うと、一歩一歩の重みが変わってくる気がします。潮の香りを感じる魚河岸の面影と、激動の歴史。そんな対照的な魅力がぎゅっと詰まった生麦の街を、私と一緒に歩いている気分で楽しんでいただけたら嬉しいです。

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東海道の旅 2日目-3

「神奈川宿」への道中 閑静な住宅街と歴史の交差する街、生麦へ

10:30
国道駅を過ぎると、いよいよ「生麦」エリアに入ります。現在は閑静な住宅街が続いていますが、歩きながらふと「生麦って不思議な名前だな」と思いませんか?
地名の由来には諸説あるものの、有力なのは江戸時代のエピソード。徳川二代将軍・秀忠がこの地を訪れた際、雨上がりで道がひどくぬかるんでいました。そこで村人たちが、まだ収穫前の「生の麦」を刈り取って道に敷き詰め、将軍の通行を助けたことから「生麦」と呼ばれるようになったと言われています。将軍様お墨付きの、おもてなし精神にあふれた地名なんですね。

子育地蔵尊・慶岸寺

少し進んだ右手に「子育地蔵尊」が見えてきます。堂内には木彫りで、立高1.8mの地蔵が安置されています。
このお堂を管理しているのが、すぐ裏にある「慶岸寺」。お庭がとっても綺麗に手入れされていて、「鶴見七福神」の石像が勢ぞろいしている姿は圧巻ですよ!

生麦魚河岸通り

さらに歩を進めると、「生麦魚河岸通り」と呼ばれるエリアに入ります。江戸時代には「御菜八ヶ浦(おさいはちがうら)」の一つとして、江戸城に新鮮な魚を献上していたほど漁業が盛んだった場所です。
明治末期の埋め立てによって目の前の海は姿を消してしまいましたが、今でもその名残で魚介類を扱う個人商店が点在しています。ほのかに漂う潮の香りと、どこか懐かしい昭和の活気が感じられます。

鶴見川河口干潟

街道から少し寄り道をして、鶴見川の河川敷に出てみましょう。そこには「鶴見川河口干潟」が広がっています。
写真では目立ちにくいですが、川沿いには白い貝殻が敷き詰められた人工の砂浜もあり、ちょっとした海辺の雰囲気が楽しめます。
河口の先には東京湾が広がり、視界が開けていて、とても気持ちのいい景色が味わえます。

道念稲荷神社

街道に戻ってまた少し歩くと、右手に朱色の美しい鳥居が並んだ「道念稲荷神社」が現れます。住宅街の中でひときわ目立つ存在です。
ここは、横浜市の指定無形民俗文化財にも認定されている「蛇も蚊も(じゃもかも)祭り」の発祥の神社として知られています。

ブーちゃん
ブーちゃん

「蛇も蚊も祭り」は、今から約300年前、悪い病が流行ったときに始まった風習なんだブ!萱(かや)で作った大きな蛇に悪霊を封じて海に流したのが由来ブ。今でも子どもや若者たちがその大蛇を担いで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ出たけ!」って大声で町を練り歩く、とってもエネルギッシュなお祭りなんだブよ〜!

生麦事件発生現場

そして、ついに歴史の教科書で誰もが一度は目にしたことのある「生麦事件」の発生現場へ到着です。1862年(文久2年)、この何の変哲もない街道沿いで起きた出来事が、後の日本を大きく変えることになります。

ブーちゃん
ブーちゃん

生麦事件は、薩摩藩の島津久光の行列を馬に乗ったまま横切ろうとしたイギリス人(リチャードソンら)が、無礼討ちとして斬られた事件ブ。これが国際問題に発展して薩英戦争が始まり、結果的に薩摩藩が西洋の強さを痛感して倒幕へと舵を切るきっかけになったんだブ。日本の近代化を加速させた、超重要ポイントだブ!

生麦神明社

事件現場のすぐ近く、公園の中にあるのが「生麦神明社」です。
境内は地域住民の憩いの場となっていて、のんびりとした空気が流れています。ちょうどベンチがあったので、私たちもしばらく休憩させていただきました。ちなみに、毎年6月にはここでも道念稲荷神社と共に「蛇も蚊も祭り」が行われ、大いに賑わうそうです。

生麦事件碑

このあたりから、キリンビール横浜工場の敷地沿い、横浜環状道路の下を進みます。

横浜環状道路の下を抜けて第一京浜道路と合流するあたりに、「生麦事件碑」がひっそりと建っています。

斬られたリチャードソンも、まさか川崎大師へピクニックに向かう途中で命を落とすなんて、夢にも思っていなかったでしょう。

お互いに相手の国の文化や習慣をよく知らなかったことから起きたトラブルでしたが、それが日本の歴史に大きな影響を与える出来事になってしまいました。本当は、こんな事件が起きないのが一番よかったんです。でも、もしこの事件がなかったら、今の日本は少し違った姿になっていたかもしれませんね。

江戸日本橋より六里目「東子安一里塚」

第一京浜道路に沿って歩き進めると、トタン塀にひっそりと掲げられた「東子安一里塚」の案内板を発見!
うっかりよそ見をしていると通り過ぎてしまいそうなほど控えめですが、ここが日本橋から数えて6つ目の一里塚(約24km地点)です。かつてはここに立派な松やエノキが植えられ、旅人たちに涼しい木陰を提供していた光景を想像しながら歩きます。

遍照院(踏切寺)

国道の向こう側に見える立派な建物が「遍照院」です。室町時代から続く歴史あるお寺ですが、最大の特徴はなんといっても「山門のすぐ目の前を京急線の踏切が横切っている」こと!
「踏切寺」の愛称で親しまれており、朱色の電車と歴史ある山門のコラボレーションが撮影できるため、鉄道ファンの間では有名なフォトスポットになっています。

トマトケチャップ発祥の地

新子安駅付近の国道沿いに、「西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと」「トマトケチャップ発祥の地」と刻まれた記念碑があります。

明治時代、横浜開港とともに伝わった西洋野菜をこの地で栽培し、余ったトマトを加工して日本初のケチャップが作られたそうです。街道歩きをしていると、こういう「意外な日本初」に突然出会えるのも面白いですよね。

11:30
新子安駅前です。「日本橋より26km」のキロポストがありました。
1日半で26km。鈍足ですが、景色と史跡を楽しみながらゆっくりと歩いていきます。

さらに足を進めると、運河に架かる「入江橋」を渡ります。橋の上から見渡す運河の景色は、横浜らしい水辺の情緒があふれていて思わず立ち止まってカメラを向けてしまいます。

入江橋からの運河の景色を眺めながら、さらに足を進めます。「東神奈川」の文字が見えてくると、いよいよ神奈川宿はもう目と鼻の先です!

日本の歴史を大きく動かした生麦の地。幕末の志士たちも、この潮風を感じながら同じ道を歩いたのでしょうか。現代の街並みの中に、確かに残る歴史の断片を探す旅は、いつも新しい驚きをくれます。

次回は、いよいよ開港当時の国際色豊かな面影が残る「神奈川宿」を詳しく巡ります!かつての外国領事館跡や美味しい名物など、まだまだ旅の楽しみは尽きません。どうぞ次回もお楽しみに!

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