こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅4日目4回目です。
茨城県に入り、日本橋から9番目の宿場町「古河宿」の中心部へと向かいます。
「茨城の小京都」とも称される古河宿は、日光街道の宿場町としてだけでなく、古河城の城下町としても大いに栄えた場所です。古い町並みを歩けば、江戸時代からそのままタイムスリップしてきたかのような歴史的建築物や文化財がそこかしこに点在しています。
夕暮れの冷たい空気に包まれ、限界を迎えた足を引きずりながらも、歴史のロマンに背中を押されて歩き抜いた怒涛の1日のフィナーレ。ぜひ、最後まで一緒に見届けてください!
日光街道の旅 4日目-5
幻の松並木を抜けて、歴史の足跡を辿る
17:30
JR東北本線(宇都宮線)の中田踏切を渡ると、古河市茶屋新田に入ります。ここからは幅広い歩道が整備され、まっすぐに続いています。道中には、若い松が植えられています。



茶屋新田の名前は、将軍徳川秀忠が日光参詣の際に仮設の茶屋を設けたことに由来します。
昔は立派な松並木があって「仙台道中で最も美しい松並木」「東海道にもこのように、まっすぐで平らで美しい場所はない」と評されていましたが、昭和に入り、道路拡張や戦時中の松根油の製造により伐採されてしまいました。
かつての美しい松並木を再び見ることができたら良いですね。

松並木を抜けます。街道と並行して東北本線が走っていて、道はところどころ雑木林が現れます。


江戸日本橋から十六里目「原町一里塚」
街道と並行して走る東北本線の音を聞きながら、松原の入口から約2.5kmほど進むと、「茨城県立古河第二高等学校」の丁字路にたどり着きます。その一角には「十九夜」と刻まれた歴史ある石塔がひっそりと佇んでいました。

そして、この高校の校庭の一角にあるのが「原町一里塚」です。江戸日本橋から数えて十六里目。
明治時代に一度取り壊されたものを後に復元したそうですが、現在は学校の敷地内にあるため、フェンスのネット越しに覗き込むしかありません。「せっかくの歴史的遺産なのだから、街道を歩く旅人がすぐ立ち寄れる学校の外側に移してくれたらいいのになぁ…」と、少しもどかしい気持ちになりました。

さらに500mほど進んだところにある民家の脇には「史跡祭禮道」と刻まれた石柱が静かに佇んでいます。この石柱は、江戸時代お雀神社の大祭が行われる際、旅人が御神体の前を通ることができなかったために、この場所が迂回路として使われていたといいます。

中田宿の鶴ヶ峰八幡宮にも似たような趣のある灯篭がありました。古河宿にまつわる施設、史跡をしめしてくれていますね。夜には明かりが灯るのでしょうかね。

灯篭から200m程進んだところにある「浄善寺」です。
境内には樹齢330年、樹高は22mの大イチョウがあるそうです。

日本橋から9番目の宿場町「古河宿」
18:30
前回の栗橋宿で「電車に乗らずに古河まで歩く!」と妻が決断してから約2時間が経過しました。日はすっかり落ち、足の感覚がなくなるほどの疲労感が重くのしかかってきます。しかし、「古河駅まであと少し!」という気力だけで足を前に出します。
古河宿の入り口・台町三差路
浄善寺から150mほど進み、「台町三差路交差点」に差し掛かりました。ここで右折し、いよいよ「古河宿」の中心部へと入っていきます。この場所はかつて古河城下の江戸口で、番所が設けられていたそうです。現在は大きな灯篭のモニュメントが、長旅を終えようとする現代の旅人を温かく出迎えてくれます。




古河宿
江戸時代を通じて、古河藩が管理していた古河三宿(中田、古河、野木)の一つなんだブ!
本陣と脇本陣は1軒ずつ、旅籠が31軒もあったんだブ。将軍が日光社参に行くとき、古河城は宿城として使われ、重要な宿場だったんだブよ!
古河のメインストリートに入ると、整然とした街並みが広がります。美しい景観の中に点在する案内板を兼ねた灯篭が、街の雰囲気を一層引き立てています。



古河城御茶屋口址碑
古河城の入口であったこの場所は「茶屋口」と呼ばれていました。
ここで左折し、街道を外れて古河城址方面へと向かいます。
将軍の日光参詣の際の宿泊や休憩は、岩槻、古河、宇都宮の三城でした。古河城のお茶屋口は、古河藩主・土井利勝が三代将軍・家光の参詣の際にもてなすために設けた茶屋に始まるといわれています。将軍は「御茶屋口門」から城内に入り、突き当たりには「茶屋口番所」が設けられていたそうです。
この場所は、参勤交代や日光参詣で通行する格式の高い大名たちが立ち寄る場所でもあり、ここで挨拶を交わする習慣があったそうです。

路地を進むと、老舗の甘露煮専門店「ぬた屋」が現れます。この店の建物には、長年の歴史が刻まれており、その趣き深い佇まいが周囲の風景に溶け込んでいます。


福法寺
右折して「ぬた屋」の前を通り過ぎると、すぐに「福法寺」が見えてきます。
この寺の山門は、旧古河城内の二の丸御殿の入り口にあった「乾門」とされる門で、市内に現存する唯一の城内遺構です。



乾門
乾門は、明治六年(1873)に古河城が取り壊されたとき、福法寺が払い下げを受けて移築されたんだブ!平唐門という型式で、両側には袖塀があって、右側には潜戸もあるんだブ。古河城の貴重な遺構として、今もその姿を伝えているんだブよ!
坂長本店店蔵(旧古河城文庫蔵)ほか5棟
その先野十字路の角にある蔵は国登録有形文化財の「坂長本店店蔵」です。
江戸時代には両替商として営業し、その後酒問屋を経営していた商家の店舗部分には、旧古河城の文庫蔵が移築されていると伝えられています。この建物は古河城の遺構の中でも数少ないものであり、歴史的価値が高いとされています。


肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)
この坂長本店店蔵のある十字路を右折すると「肴町通り」になります。
町名の「肴町」は、川魚を扱う御用商人が多く住んでいたことに由来しています。


「米銀」の場所には、大名の使者を接待するための役所が存在していました。この役所では、役人たちが忙しく動き回りながら客を迎えていたため、「御馳走役人」や「御馳走番所」と呼ばれていました。また、肴町通りは古河城への食糧供給路としても重要な役割を果たしていました。

肴町通を抜けてまた日光街道に戻ります。
ここから古河駅入口交差点まで歩きます。

19:00
古河駅到着です。ここで4日目の旅を終わります。
歩きすぎてもう足が自分のものではないような感覚です。明日の旅が心配になります。
妻も良く歩きました。まぁ、妻が歩くといったのだから仕方ないんですけどね。
ゆっくり休んで明日の旅に備えることにします。

次回は、5日目のスタート!古河宿の歴史散策の続きと、茨城県を抜けて栃木県へと向かう道のりをお届けします。果たして足の疲労は回復しているのか!?次回の更新もどうぞお楽しみに!
日光街道4日目 まとめ
春日部駅をスタートし、「杉戸宿」「幸手宿」「栗橋宿」「中田宿」を経て「古河宿」まで。各宿場に風情ある建物が残り、歴史の連続性を肌で感じられる素晴らしい1日でした。
途中で飲み物が尽きるという命の危機(?)もありましたが、終わってみれば甲州街道歩き旅の時を含めても「総距離・歩数ともに過去最高記録」を叩き出しました!
みどころ

- 幸手宿
- 権現堂あじさいまつり
- 栗橋宿
- 中田宿
- 古河宿
エリアの特徴

- 平坦でまっすぐな道が続く。
- 交通量はかなり少ない。(国道沿いをほとんど歩かないため)
- 幸手-栗橋間にお店が少ないので、飲み物などは事前に準備。
今日のウォーキング
日光街道歩き4日目の記録です。道中含め、各宿場内を楽しみながらウォーキングできました。
飲み物が尽きるアクシデントがありましたが、その後何事もなかったのように歩きまくった一日でした。甲州街道歩き旅を通して、総距離・歩数ともに最高記録をたたき出しました。
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