こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅2日目3回目です。
この旅の前半最大のハイライトと言っても過言ではない名勝「草加松原」を抜け、次の目的地「越谷宿」方面を目指します。松尾芭蕉も歩き、多くの文人墨客が愛でたという壮麗な松並木は、一歩足を踏み入れるだけで江戸時代にタイムスリップしたかのような圧巻の風景が広がっています。美しい太鼓橋からの絶景や、貴重な歴史遺産である一里塚など、歩くほどに心が満たされる最高のルート。それでは、歴史と自然が織りなす日光街道の魅力を一緒に辿ってみましょう!
日光街道の旅 2日目-3
草加宿散策
草加松原
14:30
前回「おせん公園」で曾良の像に出会いましたが、そこから少し歩くと、いよいよ「草加松原」の入り口です。ここで旅人を待っていてくれたのは、偉大なる旅の師匠「松尾芭蕉」の像でした。

草加宿芭蕉庵
入り口エリアには見どころが集まっています。 右手にそびえる背の高い建物は、綾瀬川の「谷古宇橋(やこうばし)」にある望楼です。らせん階段を上ると、これから歩く草加松原や川の流れを一望できる絶好のビュースポットになっています。
左手には、風情ある休憩舎「草加宿芭蕉庵」があります。観光案内やお土産の販売だけでなく、「草加宿御宿場印」もここで手に入りますよ。
そして中央広場には…ありました!定番の「芭蕉と曾良の顔出しパネル」。 顔出しパネルが大好きな妻は、ここでも吸い寄せられるようにパネルの裏へ(笑)。 「撮るよ~」としぶしぶカメラを向けましたが、撮れた写真はかなりの傑作!旅の疲れも吹き飛ぶような笑顔(変顔?)に、あとで写真を見返すたびに笑ってしまいます。 何気ない瞬間ですが、夫婦旅ならではの良い思い出になりました。皆さんも旅の記念に一枚いかがですか?

また、近くには「順礼や 草加あたりを帰る雁」と刻まれた句碑があります。これは芭蕉ではなく、明治・昭和の俳人「高浜虚子」が正岡子規と一緒にこの地を散策した時に詠んだもの。時代を超えて、多くの文化人がこの街道の風景に魅せられてきたことが伝わってきます。

松原に入ってすぐ、「日本の道百選碑」もありました。 よく見ると、碑の形が埼玉県の形をしています。「埼玉県ってこんな形だったんだ!」と改めて発見です。

矢立橋
歩き始めてすぐ、松並木の中に堂々とした太鼓型の歩道橋が現れました。「矢立橋」です。 その名は、芭蕉が旅の途中で筆を立てて(矢立を取り出して)句を詠んだという故事にちなんでいるそうです。和の情緒あふれるデザインが、見事に松並木の景観と調和しています。

交差点には信号があるので、実は橋を登らなくても先へ進めます。しかし、ここは迷わず登ってみることを強くおすすめします!歩き疲れた足に階段は少々堪えますが、頂上からの眺めはまさに絶景。車道に遮られることなく、眼下に続く美しい松並木と、横を流れる綾瀬川の水面を同時に見渡せるのは、橋の上まで登った人だけの特権です。心地よい川風が吹き抜けていきました。

634本の松並木と文学の道
矢立橋を降りると、約1.5kmにわたる松並木の遊歩道が続きます。 右手を流れる綾瀬川、整備された石畳、そして空を覆うような松の枝ぶり。 電柱などもなく開放的な景色の中を歩くのは、本当に気持ちが良いものです。遊歩道沿いにはベンチも点在しているので、私たちも松の木陰で水分補給休憩を取りました。

道の途中、「国指定名勝 おくのほそ道の風景地 草加松原」の碑を見つけました。 そこには、草加市とゆかりの深かった日本文学者「ドナルド・キーン」氏の名前が刻まれており、記念植樹もありました。



ドナルド・キーン
日本文学研究の第一人者で、「日本文学の伝道師」として世界にその魅力を伝えたすごい人なんだブ。『おくのほそ道』を英訳して海外に広めた功績もあって、この草加松原をこよなく愛して何度も足を運んでいたんだブよ!
百代橋(ひゃくたいばし)
しばらく進むと、もう一つの太鼓橋「百代橋」が現れます。 『おくのほそ道』の有名な冒頭文「月日は百代の過客にして…」から名付けられた橋です。 矢立橋で絶景は堪能したので、今回は体力温存のために橋の下をくぐって進みます(笑)。 橋の下には「日本の道百選 日光街道草加松原」の碑が立っていました。


道を横断した後も松原はまだまだ続きます。
この遊歩道は、まさに文学の道。 百代橋のたもとには「松尾芭蕉文学碑」がありました。
道沿いには芭蕉にちなんだ碑があちこちにあります。

水原秋桜子の句碑がありました。
「草紅葉草加煎餅を干しにけり」の句が刻まれている。
水原秋桜子は高浜虚子の弟子。芭蕉に魅せられて子弟でこの地に訪れて、句を詠んだということですかね。

草加松原も終盤。せせらぎゾーンです。
夏になると水が流れて、子供達が水遊びを楽しむことができるそうです。

15:15
草加松原遊歩道の終点に到着。 美しい松並木に魅了されて、ここが長い街道の一部だということを忘れそうになりました。 名勝を抜けると人影もまばらになり、静かな旅路に戻ります。

松原を抜けると桜並木に変わり、道は少し細くなります。

東京外環自動車道の下をくぐるトンネルの出口には、松尾芭蕉と河合曾良の旅の様子を描いたタイル画がありました。殺風景になりがちなトンネルも、こうした演出があるだけで楽しくなりますね(松原の中にあった方がもっと目立つ気もしますが…笑)。



槐戸橋と蒲生大橋
綾瀬川を渡る「槐戸橋(さいかちどばし)」の親柱には、なぜか大きなカブトムシのオブジェが!子供たちは喜びそうです。

川沿いを進み、「蒲生大橋(がもうおおはし)」を渡ります。これまでの「千住大橋」などに比べると規模は控えめですが、この橋が重要な境界線。ここを渡り終えると、いよいよ草加市に別れを告げ、「越谷市」へと入っていきます!


江戸日本橋から五里目「蒲生一里塚」
15:30
蒲生大橋を渡ってすぐ右手(15:30)。大きな木がこんもりと茂る、ひときわ目立つ場所がありました。「蒲生(がもう)の一里塚」です。江戸日本橋から数えて五里目(約20km)。今回の歩き旅で初めて出会う、しっかりとした「木と塚」のセットが残る一里塚に感動です!


蒲生一里塚
埼玉県内の日光街道沿いで「塚」と「木」が当時のように残っているのは、ここ蒲生一里塚だけなんだブ!近代化で多くが消えてしまった中で、とても貴重な歴史遺産だブ。当時の旅人もこの木陰で足を休めたのかなぁ。
清蔵院
一里塚から800mほど歩くと、立派な冠木門(かぶきもん)が目を引く「清蔵院」に到着します。 ここの見どころは、なんといっても越谷市指定有形文化財になっている「山門」です。



清蔵院の山門
江戸初期の素朴な彫刻様式が伺える龍の彫刻があるんだブ。虹梁の彫刻も見どころだブ。この龍は左甚五郎の作とも言われてて、夜な夜な田畑を荒らしたから金網で囲ったという伝説があるんだブ。
清蔵院を後にし、埼玉県道49号線に沿ってひたすら北上します。 車の交通量は多いですが、歩道はしっかり確保されているので安全です。 ただ…日光街道あるあるですが、この区間は「まっすぐ、平坦、変化なし」のストロングスタイルな道が続きます。足の疲労もピークに達し、己の精神力がゴリゴリ削られていく時間帯です(笑)。


16:30
「南越谷駅入口」交差点に到着しました!当初の計画ではもう少し先まで進むつもりでしたが、初夏のような暑さと見事なまでのスタミナ切れのため、無理をせず本日の歩き旅はここまでとします。

「南越谷駅」「新越谷駅」周辺は飲食店も多いので、ゆっくり休憩して帰路につきました。

草加松原の圧巻の景色に癒やされ、蒲生一里塚や清蔵院の伝説に歴史のロマンを感じた街道歩きでした。平坦な道が続くからこそ、道中で出会う史跡や風景の変化がとても愛おしく感じられるのが街道歩きの魅力です。
次回はいよいよ、第3の宿場町「越谷宿」の核心部へ足を踏み入れます!古い蔵造りの街並みや越ヶ谷御殿の歴史など、まだまだ見逃せないスポットが目白押しですので、次回の更新もどうぞお楽しみに!
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