こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅4日目3回目です。
今回は、古くから利根川水系の舟運と鎌倉街道が交差する交通の要所として栄えた「幸手宿(さってじゅく)」を散策します。将軍が休息した由緒ある寺院や、今も息づく宿場町の面影、そして四季折々の美しさを見せる権現堂堤など、歩くほどに新しい発見がある町です。
「幸手宿」ならではの雰囲気を感じ取っていただければと思います。
日光街道の旅 4日目-3
日本橋から6番目の宿場町「幸手宿」
13:00
幸手宿に入りすぐ右手に「神明神社」があります。
伊勢神宮の分霊を祀っている神社です。参道口には高札場があったそうです。
人が集まる場所でもあったんですね。

神社の2,3件隣にあるカフェの敷地に幸手宿の案内地図がありました。
「歴史を感じるまち幸手」期待が高まります。


幸手宿
本陣1軒、脇本陣1軒、そして旅籠が27軒もあったんだブ。日光街道で千住宿や越ヶ谷宿に次ぐ3番目の大きさを誇る宿場だったんだブよ。さらに、日光御成道との結節点でもあって、将軍様が日光東照宮に行くときに使われてた重要な場所だったんだブ。江戸時代の交通の要所だったんだブね。
岸本家住宅主屋
街道を彩る蔵造りの建物。国登録有形文化財の「岸本家住宅主屋」は、明治時代の重厚な建築美を今に伝えています。現在はリノベーションされ、カフェとして活用されています。

明治天皇幸手行在所跡
岸本家住宅の向かいには、明治天皇が東北巡幸の際に宿泊された「行在所跡」があります。江戸から明治へ、時代の変遷を物語る重要な史跡が、今も大切に守られています。

ハッピーハンド(幸せの手形)
駅前通りとの交差点で見つけたユニークなモニュメント。幸手(さって)の名にちなんだ「ハッピーハンド」事業として、著名人の手形が設置されています。
これを見た妻は、しばらくの間「……? 手形? 手……あ、幸手(さって)だからハッピーハンド(幸せの手)か!」と、数分遅れで納得していました。我が家では、彼女の思考の時差(タイムラグ)もまた、旅の醍醐味の一つです。


一色稲荷神社(幸手城跡)
駅前に向かって少し進むと「一色稲荷神社」があります。
江戸時代、駅周辺には古河公方の家臣、幸手領主・一色氏の城があり、その一角に祀られていたと伝えられています。城の遺構は見当たりませんね。


街道沿いには風情を残す建物が建ち並んでいました。まさに「歴史を感じるまち」でしたよ。







旅館あさよろず
1819年(文政2年)創業、200年以上の歴史を誇る老舗です。現在も旅館として営業しており、館内に残る当時の「宿札」からは、大名や幕府の要人が利用していた往時のステータスが伺えます。

問屋場跡
中一丁目交差点の角にある小さな公園。ここは、宿場の輸送業務(人馬の継ぎ立て)を担った「問屋場」の跡地です。


御宿場印「幸手宿」を手に入れた!
13:30
公園の隣にある「幸手市勤労福祉会館」で「幸手御宿場印」を手に入れることができます。

場所 :幸手市勤労福祉会館
営業時間:9:00~22:00
休業日 :毎週火曜日
12月29日から1月3日
臨時休館または開館する場合があります
本陣知久家跡
公園の通りを挟んだ向かいに「本陣知久家跡」があります。知久家は問屋も兼ねていたようです。
この辺りが幸手宿の中心だったようですね。


聖福寺
幸手宿を代表する「聖福寺」です。創建は約600年前です。
日光東照宮に参拝する将軍や、東照宮例大祭の際に参拝した例幣使の休憩所としても使用された由緒あるお寺です。

幸手市指定有形文化財にも指定されている「勅使門」が特徴で、この門は将軍と例幣使以外は通行できなかったとされています。
重厚感漂う唐破風が特徴的です。



本尊には阿弥陀如来が祀られ、運慶作とされる観音菩薩像も安置されています。

正福寺
街道を進み幸手宿北端にあるのが「正福寺」。
境内には県指定文化財の「幸手義賑窮餓之碑」があります。
4代将軍家綱が幼少期に宿泊したとの記録もあるようです。



幸手義賑窮餓之碑
1783年の浅間山噴火で飢饉が起きたとき、幸手宿の豪商21人が地域の人々を助けるために金や穀物を出し合ったんだブ。その善行を称えるために建てられたのが幸手義賑窮餓之碑だブよ。
江戸日本橋から十二里目「幸手一里塚」
江戸日本橋から12里(約47km)。街道のカーブ内側にひっそりと佇む一里塚です。ここまで歩いてきた距離を実感すると同時に、まだ見ぬ先の道中への期待が膨らみます。

ここで幸手宿に別れを告げて、次なる宿場町「栗橋宿」に向けての道中が始まります。
権現堂堤に向けて北上していきます。

再び旧4号と合流します。
「権現堂堤」を目指して進みます。

権現堂堤
14:15
旧4号と合流して500m程進むと「権現堂公園」に到着です。
権現堂堤は「桜」だけでなく「あじさい」の名所としても知られています。
毎年6月から7月にかけて、ここで「あじさいまつり」が開催されます。
今回は、歩き旅の日程がちょうど「あじさいまつり」と重なったため、立ち寄ることにしました。「あじさいまつり」の様子については、別の記事で詳しくお伝えしたいと思います。


15:00
あじさいまつりを堪能して、栗橋宿に向けて再出発です。
あじさいまつり会場は「堤」というだけあって、階段の上り下りがあり体力も消耗してしまいました。

中川を渡り、旧4号から1本脇に入った道を進みます。
車の通りはほとんどありませんが、コンビニなども無い田舎道がしばらく続きます。

道の分岐に現れた道標です。「右 つくば道」と刻まれています。
現代のような地図アプリや細かい地図などが無い時代には、とても重要な役割を果たしていたのだと思います。

静かな田園風景を眺めながら歩くのはとても心が安らぎます。


街道沿いにポツンと現れた酒屋さんです。
この先は自販機が少なくなるため、飲み物が少なくなっているなら、ここで購入しておくのが賢明です。暑い日は特に注意です。風情を感じるのも良いですが、ここは本当のオアシスです。
我々は水筒に少し飲み物が残っていたので、軽く考えてそのまま進んでしまい、後で大変な目に遭いました。

風景を楽しみながらひたすら歩くと「八幡神社」があります。
水筒の飲み物は残り僅か。大事に消費していきます。

江戸日本橋から十三里目「小右衛門の一里塚」
旧4号の側道沿いに「小右衛門の一里塚」があります。隣には「真光寺」があります。
一里塚案内板には「塚の上には弁財天堂が建てられている」の一文がありました。
確かに、お堂が経っている場所は言われてみると塚っぽいですね。

既に水筒の飲み物を飲み干してしまった我々。もう少し歩けば自販機も出てくるだろうと、期待して歩みを進めると、なんとなくドツボにはまっていく感じが…

田んぼの間に「小右衛門の庚申塔・十九夜塔」を見つけました。
文字は道側ではなく、田んぼ側に向かって刻まれていました。
五穀豊穣などを祈念して建てられているものなのでしょうかね。

新幹線の高架をくぐっていきます。飲み物を求めて黙々と歩みを進めます。

またしばらく歩くと、整備された駐車場があり人の気配を感じます。
旧4号を挟んで向こう側にはボートレースのチケットショップがあったのです。
目の前のトンネルを抜ければ、自販機くらいはあったのかもしれませんね。
そんなことはつゆ知らず、夫婦の会話も少なく先に進みます。
駐車場を抜けると右手に丘があり、石階段の上に鳥居がみえます。「川通神社」です。
昔はこの高台から浅間山が見えたそうです。

そんなに長い時間歩いていたわけでは無いのですが、苦しいときはとても長い時間に感じます。
と、この道の先で命の自販機を発見しました。すぐさま飲み物を買って二人で一気に飲み干し超回復です。

住宅地を抜けてしばらく進むと、右手に「会津見送り稲荷」が見えてきます。この場所は、かつて粟餅が名物だった茶屋が建ち並んでいたと言われ、旅人たちの憩いの場となっていたようです。


会津見送り稲荷の伝説
江戸時代、会津藩士が参勤交代で日光道中を通っていたとき、栗橋付近で洪水に遭って道が分からなくなったんだブ。そこに白髪の老人が現れて道を教えてくれたんだブ。でも、その老人が実は狐の化身で、後に稲荷様として祀られるようになったんだブよ。
更に北上すること500m。枡形の角に「会津見送り稲荷/炮烙地蔵」の木柱道標があります。
ここから「栗橋宿」に入ることになります。

「栗橋宿」に入ったところで、今回の日光街道4日目3回目はここまでとします。
この区間権現堂堤の色鮮やかなあじさいを堪能することができました。その後飲み物が無くなり辛い道中ではありましたが「栗橋宿」まで辿り着くことができました。暑い日のウォーキングは注意が必要です。
次回は「栗橋宿」散策後、「中田宿」まで歩きます。どうぞお楽しみに!
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