こんにちは。ぶ~ちゃんです。
前回までは活気ある越谷宿の中心地を歩きましたが、今回はその北端から、次の宿場町「粕壁宿(春日部)」を目指して歩を進めます。
この区間には、かつて越谷宿と対をなして栄えた「大沢宿(おおさわじゅく)」があります。天保年間には50軒以上の旅籠が軒を連ねたというこの場所。現在は住宅街へと姿を変えていますが、目を凝らせば明治天皇ゆかりの史跡や、古くから地域を見守る神社など、歴史の欠片がそこかしこに残っています。 長い道中ですが、元気に歩いていきましょう!
日光街道の旅 3日目-2
粕壁宿への道中
10:15
元荒川の手前、「越谷本町交差点」から旅を再開します。
大沢橋と並行して走るのは「東武伊勢崎線」です。


大沢宿場跡・明治天皇大澤御小休所
橋を渡り終えるとすぐに見えてくるのが「大沢宿場跡公園」です。 綺麗に整備された公園内には、ひと際立派な「明治天皇大澤御小休所」の碑があります。これは、明治天皇が東北巡幸の際に休憩された場所を示すもので、令和4年の公園整備に伴い、この場所に移設・保存されました。



大沢宿
越ヶ谷町と共に宿場機能を果たす助郷村として発展したブ。この時、両町はほぼ均等な町場を形成し、越谷宿の規模は千住宿に次ぐ大きさとなったブ。江戸時代の重要な交通と商業の中心地だったんだブ。
街道筋に入ります。歩道は少し狭いですが、昔ながらの生活道路といった雰囲気です。

実はこの辺りには「福井本陣跡」や「玉屋脇本陣跡」があったはずなのですが、残念ながら現在は更地になっていたり、案内板が見当たらなかったりと、時代の流れを感じます。
虎屋脇本陣跡 & 問屋場跡
しかし、諦めずに歩くと「虎屋脇本陣跡」を発見!

さらにその近くには、人馬の継立業務を行っていた「問屋場跡」もありました。 立派な石碑や案内板が少ないのが少し惜しいですが、かつてここに大名や役人が行き交っていたことを想像しながら歩くのも、街道歩きの醍醐味ですね。

照光院
大沢宿の通り沿いにある「照光院」。 ここは単なるお寺ではなく、かつては子供たちが学ぶ「寺子屋」として使われていました。さらに、参勤交代の大名行列などで本陣が満員の際には、旅人のための「仮本陣」としての役割も果たしていたそうです。

街並みは徐々に現代的な住宅街へと変わっていきます。 大沢宿は商家の多い越谷宿に対して旅籠が多かったそうですが、今では静かな暮らしの場となっています。


真っすぐ進むと東武伊勢崎線に突き当ります。
線路に沿って少し進み、ガードをくぐって反対側に出ます。


東武伊勢崎線のガードをくぐり、線路の反対側へ。土手沿いを歩いていると、草むらの中にひっそりと佇む三基の庚申塔を見つけました。これらは道標も兼ねていたようです。
この土手を登った先にある公園内には、宮内庁が管理する「埼玉鴨場」があります。


埼玉鴨場
1908年に元荒川左岸の旧河道を利用して造られたブ。皇室の賓客をもてなす場として使われるブ。一般公開はないけど、埼玉県や宮内庁が定期的に見学会を開いているブ。約12万平方メートルの広さで、中央には1万平方メートルの池があるブ。毎年3千羽を超える渡り鳥が生息するんだブ。
500m程歩いたところに「大林寺」があります。
門前にある大乗妙典供養塔は1740年の建立とのこと。

またしばらく道なりに真っすぐ歩いてきます。
車の通りは少し少なくなりますが、歩道は依然として狭いので気を付けて歩きましょう。

再び東武伊勢崎線と交差します。

歩道はほとんどないですね。町並みもほとんど変化の無い住宅街です。


その先「国道4号 草加バイパス」が現れます。

またしばらく住宅地が続きます。
同じような景色を見続けるのがしんどいことがあります。そんなときは妻とのたあいもない話しをしているといつの間にか進んでいます。

下間久里香取神社
11:15
バイパスから500m程歩くと「下間久里香取神社」があります。
案内板に記載がありましたが下間久里香取神社の獅子舞は、埼玉県の無形民俗文化財で、1594年に京都から伝わり、埼玉県東部及び千葉県西部の獅子舞の源流となっているそうです。
毎年7月の第3日曜日に行われ、神社での奉納後、地域の家々を一日かけて回ります。笛や太鼓に合わせて、太夫獅子、中獅子、女獅子の3頭1組で舞われ、伝統的な祭りの雰囲気を楽しめるようです。
小さな神社でしたが、歴史と伝統のある神社だったんです。


引き続き、住宅街を歩いて行きます。
燃費の悪い妻が、お腹が空いたと騒ぎはじめました。
この先住宅街を抜ければ、何かしら食事ができそうなところはありそうです。

11:30
1km程歩くと、旧4号と合流します。
間もなく「ステーキのどん」が現れたのですかさず入りました。
お昼までまだ少し時間がありますしたが、気温も高くなってきたので、休憩と合わせて食事をとることにしました。



本格的なステーキをリーズナブルに楽しめるお店なんだブ。圧倒的なボリュームで、お腹もお財布も大満足!しかもライス・パン・スープがおかわり自由だから、がっつり食べたい人にはたまらないんだブ。コスパ抜群でステーキを堪能できる、まさに肉好きの楽園だブ!
お店に入るといつもゆっくりしてしまいがちなので、食事を摂ってすぐさま歩き旅再開!
としたつもりでしたが、1時間くらいはあっという間に過ぎてしまうものなんです。
たくさん歩こうと思っている日は、居心地の良すぎるレストランには要注意です!
せんげん台交差点を通過。左へ行けば「せんげん台駅」です。 ここで日本橋から「30km」のキロポストを発見! 3日目で30km…少しのんびりペースですが、寄り道こそが歩き旅の楽しさですよね。

新方川を渡れば「春日部市」になります。

国道沿いにはだいたい歩道が整備されていますが、どこに行っても同じような景色です。

大枝香取神社・歓喜院
春日部市に入って1km程歩いたところに「大枝香取神社」があります。
この地域に「香取神社」が多いのは下総国一宮の香取神宮を勧請した香取神社が多く存在していたからだそうです。(この辺りは葛飾郡と呼ばれる、東京府、埼玉県、千葉県、茨城県に存在した広大な地域で、中世まで下総国に属していた。)

背後に高々とそびえ立つ松が力強いですね。
「歓喜院」の寺鎮守として祀られて、江戸期には大枝村の鎮守となっていたそうです。

その奥にあるのが「歓喜院」です。「大枝香取神社」は、かつての境内社にありましたが、神仏分離により分割して独立したそうです。

この辺から車の通りが減ってきたような気がします。
信号も少ないので、立ち寄り地点を考えて渡る信号を選んで進まないとなりません。
日光を遮るものも少ないので、夏場はしっかりと暑さ対策をしていきましょう。

建御雷神社
12:45
歓喜院から歩くこと約1km、「建御雷神社」があります。
強そうな名前の神社です。
落雷があったことがきっかけとなり、雷電社が誕生。その後明治初年に備後村下組の鎮守として祀られるようになり「建御雷神社」と改めたという歴史があります。


江戸日本橋から八里目「備後一里塚」
13:00
建御雷神社から1.2km。民家の塀脇に「備後の一里塚」が現れます。
妻が見つけなければ通り過ぎてしまうところでした。
塚もなければ案内板もないですが、これを見るとなんだか元気が出てきます。

大沢宿から粕壁宿への道中、いかがでしたでしょうか。 華やかな観光地とは少し違いますが、かつて多くの旅人を迎えた大沢宿の面影、地域に根付く獅子舞の伝統、そして街道沿いに点在する香取神社や一里塚。 一見、変哲もない住宅街の道に見えても、歴史のレイヤーを重ねて歩くことで、景色は何倍にも味わい深くなります。
さて、次回はいよいよ「粕壁宿(春日部)」の中心部へ! クレヨンしんちゃんでお馴染みのあの街には、どんな江戸の風景が残っているのでしょうか。続きをお楽しみに。
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