東海道歩き旅!2日目⑥「神奈川宿」

街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

今回の東海道歩き旅では、神奈川宿を後にして、保土ヶ谷宿を巡り、名物「権太坂」を越えて「品濃一里塚」までを夫婦で歩いてきました。

にぎわう「松原商店街」や、源頼朝ゆかりの「橘樹神社」、歌川広重も描いた「帷子橋跡」など、道中は見どころ満載!旧東海道ならではの歴史ある風景、江戸の面影を感じる旅となりました。

歴史好きや街歩きファンにはたまらない今回のコース、ぜひあなたも一緒に歩いてみませんか?

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東海道の旅 2日目-6

浅間神社から歩くこと約700m、「芝生の追分」に到着。ここは、東海道と八王子道が分かれる分岐点です。

八王子道は、幕末に八王子市鑓水地区を中心に活動した、鑓水商人と呼ばれる絹商人たちが頻繁に行き来したことから、のちに「絹の道」と呼ばれるようになったとか。まさに、日本のシルクロードですね!

国道16号の手前に広がるのが、「洪福寺松原商店街」。
通称“ハマのアメ横”と呼ばれ、歩行者天国になっていてとてもにぎやか!

昔ながらの八百屋さんやお肉屋さん、衣料品店までズラリ。どのお店も店先に商品がぎっしり並んでいて、昭和レトロな雰囲気がたまりません。思わず足を止めて眺めてしまうほどの活気です。

日本橋から四番目の宿場町「保土ヶ谷宿」

商店街を抜けて国道を渡ると、「保土ヶ谷宿 江戸方見附跡」の案内板が見えてきました。ここから保土ヶ谷宿のエリアに入ります。

ブーちゃん
ブーちゃん

保土ヶ谷宿には、本陣1軒・脇本陣3軒・茶屋本陣1軒・旅籠が69軒もあったんだブ!かなり大きな宿場だったんだブね。

橘樹(たちばな)神社

進んでいくと左手に「橘樹(たちばな)神社」があります。
この神社は1186年、源頼朝が京都の祇園社(現在の八坂神社)から分霊を勧請して創建されたと伝わります。

「天王町」の地名の由来にもなった神社で、拝殿はこぢんまりとしていますが立派な造り。手入れされた境内もとても気持ちよく、歴史の重みと現代の清潔感が同居しているようでした。


その先には相鉄本線「天王町駅」があり、周辺は地元密着の商店街や飲食店が軒を連ねています。日常の買い物にも困りませんね。活気あふれる街です。

帷子橋跡

駅前の広場には「帷子橋(かたびらばし)跡」の案内板もありました。
この橋、昭和31年の河川改修により場所が移されたのですが、初代・歌川広重の『東海道五十三次』にも描かれている歴史ある橋なんです。

これが現在の「帷子橋」です。


その先5分ほど歩いたところに「香象院」があります。江戸時代には保土ケ谷宿で最大の寺子屋があったことでも知られています。入口両脇に大きな鉄釜が置かれているのが印象的ですね。

大蓮寺

15:30
階段を登ったところにある「大蓮寺」。ここまで歩いてきた足にはかなり厳しい階段です。
ここは、日蓮が若かりし頃に宿泊したという民家が改宗し、法華堂として始まったお寺。境内には、徳川家康の側室“お万の方”が手植えしたとされるザクロの木もあり、なんとも歴史を感じます。


さらに500mほど進むと、JR保土ヶ谷駅前に出ます。ここには「助郷会所跡」の案内板がありました。

江戸時代、宿場だけでは人手や馬が足りないとき、周辺の村々から“応援”として人馬を動員していた制度。それが「助郷(すけごう)」。
“街道インフラ”の影の立役者ですね。

その先には「問屋場」や「高札場」の案内板もあり、当時の旅の様子が想像できます。

保土ケ谷宿(苅部)本陣跡

踏切を渡り、国道との合流地点に「苅部本陣跡」があります。
この道沿いには、脇本陣の「藤屋」「水屋」「大金子屋」、旅籠の「本金子屋」などが集中して建っていたそうで、ここが宿場の中心地だったことが伺えます。

江戸日本橋より八里目「神奈川一里塚」

その少し先、今井川沿いには松並木が続く遊歩道が整備されています。
遊歩道に入ってすぐ、「保土ヶ谷一里塚跡」と「保土ヶ谷宿上方見附跡」が並んでいます。

一里塚は再現されたもので、幾分小さ目のものでしたが、雰囲気があってよいですね。

上方見附ということで、ここまでで保土ヶ谷宿が終わりです。


「保土ヶ谷二丁目」の信号を渡り、旧道らしい細道を進むと「樹源寺」が現れます。
保土ヶ谷本陣の奥方が開山したお寺ということです。きれいなお寺ですね。

その先、「元町ガード」を左折し、橋を渡って「歴史の道」案内板のある路地を進むと、ついに権太坂へ突入です!

権太坂

箱根駅伝で”心臓破りの坂”でおなじみの「権太坂」は、国道1号の約1.5kmで20メートルほど上がる坂道を指していています。

本来の旧東海道ルートの「本家・権太坂」はもっと急こう配なんです!
本家「権太坂」は国道1号の北側を通る坂道で、坂の入り口から1kmで標高差50mにもなる急坂で、馬車に積んだ荷物を降ろさないと登れないほどだったとか。

旧東海道の難所のひとつと云われた権太坂権太坂で行き倒れた人々の亡骸が投げ込まれた井戸の跡「投込塚之跡」がありました。昔はもっと険しい道だったのかもしれませんね。

ブーちゃん
ブーちゃん

ある日、旅人が坂の名前をたずねたら、耳の遠いお爺さんが自分の名前をきかれたと勘違いして「権太」と答えたんだブ!それがきっかけで、この坂は「権太坂」って呼ばれるようになったっていう面白い話が残ってるブ!

境木地蔵

坂を登りきると、そこには「境木地蔵尊」が。ここは武蔵国と相模国の国境にあたり、「武相国境標」も残されています。
運がよければ、富士山も顔をのぞかせるビュースポットでもあります。

萩原代官屋敷跡・萩原道場跡

これから歩いていく戸塚方面ではなくその左側の細い坂道を下り竹林の中の道を進んでいくと「萩原代官屋敷跡・萩原道場跡」があります。ここは「直心影流」という流派の道場が開かれ数多くの剣客が訪れた場所です。新選組の近藤勇も稽古に訪れたといわれています。

立派な門の前には、門番(猫)が立ちはだかっていました。

焼餅坂

境木地蔵尊前交差点に戻って、戸塚方面の坂を下っていきます。
坂は「焼餅坂」と呼ばれています。
かつて茶屋が並び、焼餅を売っていたことからこの名がついたそうです。旅人たちの甘い休憩時間、想像できますね。

江戸日本橋より九里目「品濃一里塚」

焼餅坂を下ると、次は品濃坂を上がっていきます。この坂の途中にあるのが「品濃一里塚」です。塚が左右に残っている貴重な塚として、県の史跡に認定されています。


17:30
東戸塚駅に続く道の角に「福寿観音」があります。
東戸塚の開発に尽力した地元の功労者ゆかりの観音様だとか。

東戸塚駅は1980年に開業しました。その後、駅のまわりでは区画整理によって町の整備が進み、商業施設や住宅地がどんどん開発されていきました。特に1990年代以降には駅前の再開発が本格的に始まり、百貨店や大型ショッピングモールなどが次々とオープンし他党ことです。
初めて立ち寄る地域だったのでタワマンが立ち並ぶ姿には驚きました。

今回は、保土ヶ谷宿から権太坂を越え、品濃一里塚までを歩いてきました。宿場町の面影が色濃く残る保土ヶ谷の街並み、そして東海道屈指の難所「権太坂」と江戸時代の旅人たちの鼓動や景色が感じられました。

すっかり陽も落ちてきてしまったので本日の歩き旅はここまで。次回はさらにその先、戸塚宿へ!どんな出会いや発見が待っているのか、今から楽しみですね。どうぞお楽しみに!

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