東海道歩き旅【1日目③】芝〜高輪|徳川家菩提寺「増上寺」と江戸無血開城の地

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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

華やかな銀座や新橋を抜け、芝大神宮まで歩いた前回の旅。 そして今回は、個人的にずっと楽しみにしていた「増上寺」の散策へ向かいます。徳川将軍家の菩提寺として栄えたこの場所には、歴代将軍の墓所や荘厳な建造物が残り、今も江戸の面影を色濃く伝えています。

さらに今回の道中には、幕末の激動を象徴する「江戸開城会見之地」が。ここ薩摩藩邸で、勝海舟と西郷隆盛が歴史的な会談を行い、江戸無血開城への道を開いたのです。新時代への橋渡しとなったこの場所に立つと、150年前の緊迫した空気が感じられるかもしれません。

徳川の時代を見守り続けた増上寺と、新しい時代の幕を開けた会談の地。歴史の流れを感じながら、一緒に歩いてみませんか?

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東海道の旅 1日目-3

「品川宿」への道中。歴史が息づく芝エリア

芝大神宮での参拝を終え、いよいよ今回のメインスポットの一つである増上寺へと向かいます。街道の喧騒から少し離れると、空気がスッと澄んでいくのが肌で感じられます。

増上寺

浄土宗の七大本山の一つであり、室町時代に創建された由緒ある大寺院です。徳川家康が江戸に入府して以来、将軍家の菩提寺として手厚い保護を受け、江戸時代には数千人の僧侶が修行する日本有数の規模を誇りました。現在も広大な敷地を持ち、背後にそびえる東京タワーとのコントラストは、この場所でしか味わえない見事な景観です。東海道歩きの道中においても、間違いなく指折りのパワースポットと言えるでしょう。

大門

大門交差点にそびえ立つ、増上寺の総門「大門(だいもん)」。現代のオフィス街のど真ん中に突如として現れる巨大な朱塗りの門は、圧巻の一言です。江戸時代にはここからが寺の敷地だったというのですから、当時の規模の大きさに驚かされます。門の傍らには『江戸自慢三十六興』などの浮世絵レリーフが飾られており、門前町の賑わいを今に伝えています。

ここから次の三解脱門までは約108間(約195m)。この距離を歩いて門をくぐると、108の煩悩から解脱できると言われています。

三解脱門

国の重要文化財であり、東日本最大級の門として知られる「三解脱門(さんげだつもん)」。貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろかさ)という三つの毒から離れるための門です。その荘厳な姿を楽しみにしていたのですが、現在は約7年間にわたる大改修の真っ最中。全貌を拝むことはできませんでしたが、これもまた歴史の1ページ。改修後の美しい姿を想像し、次回の楽しみに取っておくことにしました。

三解脱門から境内に入ることができなかったので、境内北側から迂回することに。
通りの正面には東京タワーをしっかりと見ることができましたよ。

熊野(ゆや)神社

境内北側から迂回して入ると、すぐに「熊野神社」が現れます。増上寺の鬼門封じとして勧請されたこの神社。熊野と書いて「ゆや」と読ませます。

大殿を目指して歩きます。ずっと背景には東京タワーがああります。
時代を超えた絶妙なコントラストですね。

大殿

境内を進み、正面に見えてくるのが壮大な「大殿」です。1974年に再建された首都圏最大級の本堂で、背後にそびえる東京タワーとの組み合わせは、何度見ても息を呑むほどの美しさ。2階にはご本尊の阿弥陀如来が安置され、静かにお線香の香りが漂っています。地下には宝物展示室もあり、戦災という悲しい過去を乗り越え、力強く復興を遂げた増上寺の象徴として、多くの参拝者を温かく迎えてくれます。

安国殿

「安国殿」という名前は、家康公の法名「安国院殿」にちなんでいます。

ここには、秘仏の阿弥陀如来坐像「黒本尊(くろほんぞん)」が安置されています。この「黒本尊」の名前は、長年お線香の煙を浴び続けたことで像が黒くなったことから名付けられたと言われています。さらに、家康公が数々の戦に勝利したことから、「勝運の仏様」として今も多くの人に信仰されています。

驚いたのは、お守りや御朱印だけでなくクッキーまで売られていたこと。さらに初穂料の支払いにクレジットカードや電子マネーが対応していました。「お賽銭もキャッシュレスになる日が来るのかもね」と話しながら見ていると、妻が可愛らしい干支の起き上がり小法師を授かってきました。「倒れそうになっても起き上がる!」と意気込む妻。これから続く長い旅、頑張ってほしいですね。

千躰子育地蔵菩薩

安国殿の右手から北側へ進むと、目に飛び込んでくるのがズラリと並ぶお地蔵さんたちです。「千躰子育地蔵菩薩」と呼ばれ、その数はなんと約1300体!一つひとつ表情が異なるお地蔵さんが赤いニット帽をかぶり、風でカラカラと回る色鮮やかな風車を持っている姿は、なんとも可愛らしく幻想的です。海外からの観光客も興味津々で、熱心にカメラのシャッターを切っていました。

徳川将軍家墓所

お地蔵さんの前を通る道を進むと、「徳川将軍家墓所」へと続きます。

安国殿の裏手にある「鋳抜門(いぬきもん)」は、日光東照宮の奥宮を彷彿とさせる重厚な造り。この奥に、歴代の将軍たちが静かに眠っています。今回はスケジュールの都合で拝観料エリアの手前までとしましたが、その青銅製の門構えを前にするだけで、徳川家の圧倒的な権威がひしひしと伝わってきました。

経蔵

境内南側にある「経蔵」は、徳川家康が増上寺に寄贈した経典を収蔵するための建物です。江戸時代初期の建築で、戦火を奇跡的に免れた約400年の歴史を持つ貴重な存在。内部には、日光東照宮の輪蔵と同じような回転式書架(転輪)が備えられているそうです。

慈雲閣(開山堂)

1989年、増上寺の開山である酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人の550年遠忌を記念して再建されたのが「慈雲閣(開山堂)」です。戦災で失われた旧開山堂の想いを受け継ぎつつ、現在では大規模な葬儀や年間行事など、多目的に利用できる近代的な施設として境内に溶け込んでいます。

黒門

三解脱門の南隣にあるのが、全体が黒漆塗りで仕上げられた「黒門」です。もともとは増上寺方丈の表門だったとされ、飾り気のないシンプルな造りだからこそ、かえって威風堂々とした力強さを感じさせます。

増上寺だけでも1日中語れそうなほどの見どころですが、私たちの旅はまだ先があります。名残惜しいですが、境内の散策はこの辺にして街道へと戻りましょう。


大門交差点まで戻ってくると、甘く香ばしい匂いが漂ってきました。「鳴門鯛焼本舗」です。甲州街道や日光街道の道中でもお世話になった、あの薄皮でパリッとした絶品の鯛焼き。
先ほど大門で「108の煩悩から解脱する」と真面目に語っていたはずの妻が、見事なまでの速さで食欲という煩悩に吸い込まれていきました。「これは街道歩きのガソリンだから」と嬉しそうに頬張る姿を見ていると、解脱への道のりはまだまだ遠いと確信せざるを得ません。もちろん、私も一緒に美味しくいただきました。

浜松町 町名由来碑

大門交差点から少し歩いたビルの前に「浜松町 町名由来」の碑がありました。
文字が風化して文は何が書かれているかわかりません。

ブーちゃん
ブーちゃん

浜松町の名前の由来は、江戸時代にこの地の名主になった権兵衛という人物の出身地、遠江国浜松にあるブ! もともとは久右衛門町と呼ばれていたけど、権兵衛が名主になったときに芝浜松町と改名され、今の浜松町になったんだブ!

金杉橋(日本橋から一里)

さらに進み、首都高の陸橋を再びくぐります。この真下を流れる古川に架かっているのが「金杉橋」。かつてここには「金杉の一里塚」があったとされ、日本橋からちょうど一里(約3.9km)の地点にあたります。

芝四丁目交差点を直進していきます。
この辺りはしばらく同じようなオフィスビル街が続きます。

江戸開城会見之地

芝五丁目交差点の南側、近代的な三菱自動車本社ビルの足元に、日本史を大きく動かした重要な碑があります。慶応4年(1868年)、ここにあった薩摩藩邸で、幕臣・勝海舟と新政府軍の西郷隆盛が対座しました。江戸の街を戦火から救った「江戸城無血開城」が、まさにこの場所で決断されたのです。

見上げればガラス張りの高層ビル。150年前の緊迫した空気は想像するしかありませんが、この平和な東京の風景は、二人の英断の上に成り立っているのだと深く考えさせられます。

札の辻交差点

JR田町駅を越えて少し歩くと、「札の辻交差点」に到着します。
かつてこの一角には幕府の法令を掲示する「高札場」があり、それが地名の由来となりました。さらにここには「芝口門」が設けられ、江戸の町の正面入口としての役割を担っていました。現在では何車線もある巨大な交差点となり、往時の遺構は案内板を残すのみですが、行き交う車の波を見ていると、昔も今もここは交通の要衝なのだと実感します。

今回の散策では、増上寺の格式高い歴史から、幕末のドラマチックな舞台まで、中身の濃い時間を過ごすことができました。

徳川家が築いた平和な江戸の終わりと、次代への橋渡し。歴史の糸が複雑に絡み合う東京の道は、歩けば歩くほど新しい発見があります。次は再開発で大きく変貌を遂げている高輪、そして赤穂浪士ゆかりの泉岳寺を目指します。歴史の旅はまだまだ続きます。次回もどうぞお楽しみに!

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