日光街道歩き旅【2日目①】千住宿〜草加宿|将軍ゆかりの国土安穏寺・島根鷲神社と荒川越え

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日光街道
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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

日光街道歩き旅、2日目のスタートです!

今回は、最初の宿場町「千住宿」を出発し、東京都を抜けて埼玉県最初の宿場町「草加宿」を目指します。 初日は「江戸日本橋」から「北千住」まで、江戸城下町の史跡と現代の賑わいに圧倒されながらの旅でしたが、2日目は荒川を越え、よりディープな歴史エリアへと足を踏み入れます。

徳川将軍家ゆかりの「国土安穏寺」や「島根鷲神社」、そして足尾銅山鉱毒事件の歴史を刻む「保木間氷川神社」など、街道沿いには意外なほど多くの物語が眠っていました。 ビル群が徐々に空の広い景色へと変わっていく様を楽しみながら、歴史と伝説を巡る旅へ一緒に出かけましょう!

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日光街道の旅 2日目-1

千住宿 つづき

9:15
北千住駅。 1日目は疲れ切って撮影できなかった駅前の風景からスタートです。
ペデストリアンデッキで結ばれたデパート群と、行き交う人々。北千住は現代の交通の要衝としても活気に満ちています。 今日の天気は快晴。4月の日差しが既に強く、今日も暑くなりそうな予感です。

駅前の商店街、そして昨日も歩いた「宿場町通り」へ。 朝9時過ぎということで、まだ開店前のお店が多く、昨日の夕方のような喧騒はありません。静かな通りを歩くと、ここが生活の場であることを改めて感じます。

かどや 槍かけだんご

1日目通ったときには気づきませんでしたが「かどや 槍かけだんご」がありました。
水戸光圀御一行が松に槍を立てかけて休憩したことに、その名前の由来があるようです。
営業時間が17:00までなので、昨日通りかかった時は閉っていたのかもしれませんね。
この日は開店前…

ブー妻ちゃん
ブー妻ちゃん

炭火で丁寧に焼かれた団子は、外は香ばしく中はふわふわブ。 あんこ、みたらし、甘さ控えめのみたらしなど種類も豊富で、できたてだからこそ、もちもちの弾力と素材の味わいがしっかり楽しめるブ~。 噛むたびに幸せが広がる、まさに絶品のおやつだと評判なんだブ~。食べたかったブ…

安養院

1日目の終了地点から少し進んだところにある「安養院」です。
鎌倉時代に北条時頼が創建したとも伝えられています。

千住新橋と荒川放水路

いよいよ「千住新橋」を渡り、荒川を越えます。 眼下に広がる広大な川面。実はこの「荒川放水路」、大正から昭和にかけて水害対策のために造られた人工の川なんです。江戸時代の旅人たちは、ここは陸地として歩いていた場所。地図が変わるほどの大工事だったことに驚かされます。

ブーちゃん
ブーちゃん

荒川放水路 埼玉県から東京湾まで続く全長173kmの荒川。かつては氾濫を繰り返す暴れ川だったんだブ。1910年の大洪水をきっかけに、約20年の歳月をかけてこの放水路が建設されたんだブ。2024年で通水100周年!東京を水害から守り続けている守護神だブね。

橋の上からは、遠ざかる「東京スカイツリー」が見えました。

渡り終えたら土手へ降りて西へ。 広々とした土手道は、あの『3年B組金八先生』のオープニングを彷彿とさせます。遮るものがなく、川風が心地よい! 500mほど進んで土手を降り、首都高速の下をくぐると、いよいよスカイツリーともお別れです。

善立寺

10:00
道を渡った右手に「善立寺」が現れました。 ガラス張りの本堂にシンメトリーなデザイン。非常にモダンな外観ですが、徳川家康の江戸入府に伴って移転してきた由緒あるお寺です。

ブーちゃん
ブーちゃん

善立寺
東京都にある歴史ある寺院の一つなんだブ。徳川家康の江戸入府に伴って内幸町に移転したブ。江戸時代には谷中瑞輪寺や杉並区の宗延寺と並ぶ江戸三大触頭の一つだったんだブ。移転を繰り返して、現在も多くの人々に親しまれているブ。


石不動尊(耳の不動)

5分ほど歩くと「石不動尊」があります。 ここは別名「耳の不動」。耳の病に悩む人が、竹筒にお酒を入れて供え、そのお酒を耳につけると治ると伝えられています。 境内の「八彦尊道碑」は、かつての道標の役割も果たしていたようです。

さらに500mほど進み、「梅田通り」と「旧日光街道」の分岐点へ。 ここには「右旧日光道中」「左東武鉄道旧線路跡」と刻まれた道標がありました。かつてここに東武線の線路が通っていたとは!街の形の変遷を感じます。

現在の東武スカイツリーライン「梅島駅」のガードをくぐります。 梅島といえば、ビートたけしの出身地としても有名ですね。


環七通りを渡り、さらに北へ。 「将軍家御成橋・御成道松並木跡」の標柱を見つけました。 かつてここには千住堀が流れ、将軍専用の「御成橋」が架かっていたそうです。その先には葵の御紋を許された「国土安穏寺」へと続く美しい松並木があったとか。今は住宅街ですが、想像力を働かせて歩きます。

国土安穏寺(こくどあんのんじ)

10:45
標柱から200mほどで「国土安穏寺」に到着。 名前からして只者ではない雰囲気が漂っています。

通用門から境内に入ると、仁王門の裏側を見ることができます。
門の両側には大きな草鞋がが掛かっています。
表からでは良く見えなかったのですが、朱塗りの扉には燦然と輝く徳川家の「葵紋」がありました。

先に進んで行くと、右手に本堂が現れます。
本堂手前は「徳川家光」が植えたとされる「御手植之松」があります。立派ですね。
この松もさることながら庭全体に手が行き届いたお庭でした。この日も多くの庭師がお手入れをしていました。

歴代将軍が立ち寄ったお寺です。将軍の名前が出てきて日光街道旅らしくなってきました。

先ほどの「将軍家御成橋・御成道松並木跡」の標柱まで戻ります。
この日も気温が高く、水分補給をしながら進みました。街道から外れる脇道の散策も一苦労です。
歩き始めて約1時間半しか経っていませんが、妻はすでにお腹が空いてきたようです。

島根鷲神社

日光街道を進むこと約500m。「島根鷲神社」の案内板がありました。

案内板に従って、路地を100m程進んだところに「島根鷲神社」があります。
巨大な大鳥居です。

大鳥居をくぐると、重厚な造りの立派な本殿があります。

社殿の右奥には、八代将軍、徳川吉宗公が座ったと伝えられる「将軍石」がありました。
島根村は徳川将軍家の鷹狩場であり、歴代将軍の参詣があったそうです。

街道に戻り500m程進むと五差路の「増田橋」交差点があります。
交差点脇に「増田橋跡道標」がありました。
昔は千住堀と竹の塚堀が流れており石橋が架かっていたということですが、その痕跡は一切ありません。

交差点を渡り、しばらくまっすぐ進みます。
このあたりで「草加煎餅」のお店を見かけ、埼玉が近いことを実感します。

保木間氷川神社

11:30
足立区立渕江小学校の手前を右折し、「保木間氷川神社」へ。 入口には「流山道」の説明板があります。
説明板によると「この古道は、流山へと続いている。宝積院と氷川神社は、千葉氏の陣屋のあった場所。東は花畑大鷲神社や成田山に、西は西新井大師へと繋がり、大師道や成田道とも呼ばれ、沿道には歴史的な寺院や神社、旧村地帯が点在している。」とのこと。

説明板の隣に「保木間氷川神社」があります。
鳥居から本殿までまっすぐに参道が延びています。

「足尾銅山鉱毒事件」とも関わりがありました。
ひとけのないこじんまりとした神社でしたが、歴史を持った神社でした。

ブーちゃん
ブーちゃん

保木間氷川神社
天神社と呼ばれてたけど、明治5年に伊興氷川神社から分かれて、保木間氷川神社って名前になったブ。
「足尾銅山鉱毒事件」では、田中正造がでここで被害住民に演説したんだブ。解決に尽力することを誓って、被害住民を無事に帰郷させたんだブ。

街道に戻り、更に1km程歩いたところにある「法華寺」です。
南千住にあった「回向院」とともに小塚原刑場の刑死者の菩提を弔う寺であり、移転を繰り返してこの地に至ったそうです。

その後、国道4号線の高架をくぐります。

高架をくぐった後の交差点脇に「水神宮」があります。
小宮某という元北面の武士がこの地に住んでいました。釣りをしている際に出て来た蛇を殺したものの毒に侵され亡くなったことから、村民がこの蛇を祀ったといいます。

交差点を左折し「毛長川」を渡ると「埼玉県草加市」に入ります。
長かった東京ともこれでお別れ! お腹もペコペコなので、このあたりでお昼休憩にします。

日光街道歩き旅2日目、第1回はここまで。 東京都内のラストスパートは、将軍家ゆかりの寺社や意外な伝説が残る、歴史密度の高い区間でした。 暑さと寄り道の多さでペースはゆっくりですが、歩いてこそ見つかる発見がたくさんありました。

次回はいよいよ埼玉県に入り、日光街道第2の宿場町「草加宿」を歩きます。 名物・草加せんべいや松並木の風景をお楽しみに!

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