こんにちは。ぶ~ちゃんです。
前回は、興津宿から江尻宿の入り口までの道のりをお届けしました。
今回は、清水の次郎長でもお馴染み「江尻宿」の中心部から、神話の舞台「草薙」へと足を進めます!
徳川家康の長男・信康ゆかりの古刹や日本少年サッカー発祥の地、そして幕末の偉人に愛された創業300年超の和菓子店「追分羊かん」など、歴史とグルメが交差する濃厚なルートです。道中では、天下の行方を左右した密会の舞台も登場します。
美味しいものを前にすると歩くペースが倍速になり、お目当てのお店が休みだと一気に足取りが鉛のように重くなる妻と共に、今回も臨場感たっぷりに東海道の魅力をお届けします!
東海道歩き旅12日目-2
江尻宿散策
江尻宿の東の入り口にあたる木戸を抜けると、「ここが江尻宿である」ことを示す標識が現れます。いよいよ本格的に宿場の中心部へ入っていく感覚に、歩く足にも自然と力が入ります。


江浄寺
街道沿いに建つ「江浄寺」は、室町時代(1504年)に創建された浄土宗の古刹です。ここには、謀反の疑いをかけられ若くして自刃した徳川家康の長男・徳川信康(岡崎三郎信康)の遺髪を納めた五輪塔(供養塔)がひっそりと祀られています。信康公の菩提寺として知られるこのご縁から、のちに徳川家光公より「葵の御紋」の使用が認められたほど格式高いお寺です。
ぜひ境内の静寂の中で手を合わせたかったのですが、私たちが訪れた日は無情にも門扉が固く閉ざされていました。門の隙間からかすかに見える厳かな空気を胸に刻み、先へと進みます。

江尻宿寺尾本陣跡
江尻宿の中心街は、現代の「清水銀座商店街」として発展しており、歴史と現代の営みが交差する通りです。

記録によると江尻宿には2軒の本陣が存在しており、そのうち現在地が明確に判明しているのがこの「江尻宿寺尾本陣跡」です。寺尾家は、今川氏、武田氏、そして徳川家康へと、時代のうねりの中で仕える主君を変えながら家を守り抜き、最終的に家康から朱印状を得て東海道の重要な交通拠点を担うようになったそうです。

魚町稲荷神社
武田信玄が築城した江尻城跡(現在の神社の敷地一帯)を、城将であった穴山信君(梅雪)が大改修した際、城の鎮護の神(守護神)として社殿を造営したことが始まりとされています。

「サッカー神社」として全国的に有名です。境内に隣接する静岡市立清水江尻小学校は、日本で初めて少年サッカーチームが結成された場所であり、境内にはその歴史を後世に伝えるための巨大なサッカーボール型石碑「日本少年サッカー発祥の碑」(1999年建立)が設置されています。
清水をホームタウンとする「清水エスパルス」が、毎年シーズン開幕前に必勝祈願に訪れる聖地。歴史ある朱色の鳥居とサッカーボールの組み合わせは、清水という土地ならではの特別な風景です。

稚児橋
巴川に架かる稚児橋へと差し掛かります。この橋には、古くから河童の伝説が語り継がれています。実際に橋の欄干には河童の像が鎮座していました。



新しい橋が完成したお祝いの時、おじいさんとおばあさんが最初に橋を渡ろうとしたら、川からいきなり元気な子供が飛び出してきたんだブ!その子はぴょんぴょん軽やかに橋を渡って、どこかへ走っていっちゃったんだブ。
それを見たみんなは「あの子は川に住む河童だったに違いない!」ってビックリしたんだブ!それから、その橋は子供(童子)にちなんで、「江尻橋」から「稚児橋(ちごばし)」って名前に変わったんだブ!
江尻宿木戸跡
稚児橋から500m進むと「江尻宿木戸跡」と刻まれた標石が建てられています。あっという間に江尻宿も終わりです。

府中宿への道中
追分道標
この道標は、旧東海道と清水港へと向かう「清水道」が分岐する交通の要衝に建てられました。
石造りの道標の正面には「是より志ミづ道」、左側には「南妙法蓮華経」と深く刻まれており、江戸時代から旅人の重要な道しるべとして機能してきました。

追分洋館 本店
道標のすぐ脇に店を構えるのは、元禄8年(1695年)創業、約330年の歴史を誇る東海道屈指の老舗和菓子店「追分羊かん」です。竹皮で包まれた蒸し羊かんは、長旅の疲れを癒やす名物として300年以上愛され続けてきました。幕末の三舟である山岡鉄舟や勝海舟、さらには清水次郎長にも深く愛され、現在も店内には鉄舟直筆の書が飾られているという、歴史ロマンの塊のようなお店です。


実は少し前から、美味しい名物を前に妻の歩くスピードが明らかに倍速になっていました。「羊かん!羊かん!」とリズミカルに歩みを進め、お店の前に意気揚々と到着したのですが……目に飛び込んできたのは非情にも【定休日】の看板。その瞬間の、膝から崩れ落ちそうな妻の哀愁漂う背中は、間違いなく今回の旅のハイライトでした(笑)。
遠州都田の吉兵衛の供養塔(清水の次郎長 都鳥)
気を取り直して進むと、ほどなくして古い石塔が現れます。
案内板によると、清水次郎長の子分である森の石松を討った侠客・都田の吉兵衛が次郎長に討ち取られた最期の地に、吉兵衛を哀れんだ里人によって建立された石塔であるとのこと。
清水ならではの史跡ですね。

東海道本線の線路を横切り、池沿いの緩やかな坂道を登りきった場所で、ふと背後に何かの存在を感じて振り返りました。そこには、しばらくご無沙汰していた「富士山」の雄大な姿が!(涙)
薩埵峠でも三保の松原でも雲に隠れて全景を見せてくれなかった富士山。ここでようやく、その美しい稜線をはっきりと拝むことができました。

上原子安地蔵堂
その先、左手に見えてくるのは「上原子安地蔵堂」です。鎌倉期以前の創建と伝えられる古いお堂で、普段はひっそりと静まり返っていますが、実はここ、徳川家康ゆかりの超重要スポットなのです。
天正10年(1582年)、徳川家康が甲州征伐(武田勝頼攻略)を進めるにあたり、武田方から寝返った江尻城代・穴山梅雪と密かに会見を行ったのがこの場所だと伝えられています。この密会での調略が、結果的に名門・武田家滅亡の決定的な引き金となりました。

江戸日本橋から四十三里目「草薙一里塚」
しばらく歩みを進めると、道端で大きな信楽焼のタヌキ像が出迎えてくれます。その横に並んで立っているのが「草薙一里塚」の石碑です。
ここは、江戸の日本橋から数えて「43番目」。距離にして約170kmも歩いてきたことになります。いよいよ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説が残る神話の里・草薙へと足を踏み入れました。

いかがでしたでしょうか。
今回は江尻宿から草薙の入り口まで、歴史のターニングポイントや次郎長ゆかりの地、そして念願の富士山の絶景と、非常に内容の濃い道のりでした。
次回は、いよいよ日本武尊の神話が息づく「草薙神社」から、府中宿方面へと向かいます!どんな出会いが待っているのか、引き続き東海道の旅をお楽しみに。
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