東海道歩き旅【9日目②】三島宿〜沼津宿で国境越え!頼朝・義経「対面石」

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東海道
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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

三島から沼津へと続く道は、かつて伊豆と駿河を分かつ「国境」を越える特別なルートでした。富士の湧水が流れる清流を渡り、歴史の教科書で見たあの武将たちが肩を並べた場所を自分の足で踏みしめます。

今回は、三島宿の喧騒を抜け、名残惜しい伊豆に別れを告げて駿河の国へと踏み出す、ドラマチックな街道歩きをご紹介します。江戸時代の旅人気分で歩いてみませんか?

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東海道9日目-2

沼津宿への道中:国境を越え、歴史の息吹に触れる街道旅

三島宿の西の端、ここから沼津へと向かう道は、水の都・三島らしい潤いと、戦国から江戸へと続く重厚な歴史が交差するエリアです。

林光寺

三島広小路駅から少し歩くと、静寂に包まれた「林光寺」が現れます。ここは浄土宗の古刹。驚くべきは、開山した故信上人があの武田信玄の五男・信景だという伝承です。境内には武田家ゆかりの方々の墓所もあり、甲斐の虎の血脈がこの三島の地に息づいていることに、思わず背筋が伸びる思いがします。現在は「東海88カ所」の札所としても親しまれ、街中の喧騒を忘れさせてくれる穏やかな空気が流れています。

秋葉神社

加屋町の住宅街にひっそりと佇む秋葉神社。ここはかつての三島宿「西見附」、つまり宿場町の西の玄関口でした。三島は冬の西風が強く、一度火が出れば宿場全体を焼き尽くす恐れがありました。そのため、旅人と町を火災から守る「火伏せ」の神様として、ここに秋葉大権現が祀られたのです。「千貫樋及び西口見附跡」の石碑が、ここが重要な境界であったことを今に伝えています。

千貫樋(せんがんどい)

三島と清水町の境を流れる境川。そこに架かるのが、農業用の水道橋「千貫樋」です。戦国時代、北条氏康から今川氏真への結納品として贈られたというロマン溢れる説や、その価値が千貫(今の価値で数億円!)に匹敵したという説など、名前の由来だけでも酒の肴になりそうです。現在はコンクリート製になっていますが、今もなお現役で水を運び続けている姿には感動です。
案内はあったもののどこに千貫樋があるのか判断できず…後で写真を確認したところ、案内板の後ろのほうに少し見えていましたね。

新宿の秋葉常夜灯

駿河の国に入り、清水町「新宿」へ。道端にどっしりと構える常夜灯は、かつての旅人にとって夜道の灯台でした。この常夜灯、実は歌川広重の浮世絵『東海道五十三次 三島宿』にも描かれている有名人(?)なんです。ただ、広重さんは絵の構図を優先して、実際の場所とは違う向きに描いたのだとか。現代で言うところの「映え」を意識した加工でしょうか。今も変わらず街道を見守る姿に、旅の安全を祈願しました。

伏見一里塚(玉井寺/宝池寺)

江戸・日本橋から数えて29番目の一里塚です。街道を挟んで「玉井寺」と「宝池寺」に一対で残る姿は、全国的にも貴重な光景。特に玉井寺側は江戸時代の面影を強く残しており、こんもりとした塚の上に立つと、当時の距離感覚が肌で伝わってきます。対照的に、一度は失われながらも昭和に復元された宝池寺側の塚からは、この歴史を後世に伝えようとする地元の方々の熱い思いが感じられます。

このあたりで、ふと顔を上げると、青空にくっきりと美しい富士山が見えました。街道歩きの疲れも吹き飛びますね。

八幡神社(対面石)

この旅のハイライトの一つ、源頼朝と義経が奇跡の再会を果たした場所です。街道から少し距離がありますが、絶対に押さえておきたいスポット。

境内にある「対面石」は、二人が腰掛けて再会の涙を流したと伝わる聖地。
八幡神社境内には白旗社という小さな神社が鎮座しています。

本殿の扉が自動ドアになっているというギャップも、現代の八幡神社ならではの見どころです。

本殿の左手奥に対面石があります。

石を眺めていると、動乱の時代を生き抜いた兄弟の絆が浮かび上がってくるようです。 日本史における重要な転換点である源頼朝と義経の再会にまつわる史跡でした。

智方神社

黄瀬川の東岸に位置するこの神社には、後醍醐天皇の皇子・護良親王の首を埋葬したという、少し切なくもミステリアスな伝説が残ります。境内を圧倒するのは、樹高28メートルにも及ぶ巨大なクスノキ。この巨木が長い年月、親王の伝説と共にこの地を見守ってきたのですね。

沼津エリアへの入り口(黄瀬川周辺)

かつては「黄瀬川の陣」が敷かれた軍事の拠点であり、「黄瀬川宿(きせがわしゅく)」が設置され、東海道の重要な宿場町として機能しました。現在は立派な橋が架かり、車が激しく行き交っていますが、川の流れそのものは今も昔も変わりません。この川を渡れば、いよいよ沼津の市街地が近づいてきます。

潮音寺(亀鶴姫)

黄瀬川のほとりに佇む潮音寺には、若くして命を絶った亀鶴(きかく)姫の悲しい物語が伝わっています。源頼朝に見初められながらも、自らの信念を貫き川に身を投げた姫。境内にある「亀鶴姫之碑」を前にすると、歴史の華やかさの裏側にある個人の想いに触れた気がして、胸が締め付けられます。現在は「亀鶴観音」として、多くの人の願いを優しく受け止めています。

沼津藩領東榜示

旅の締めくくりは、沼津藩の勢力圏を示す「東榜示(ひがしぼうじ)」です。駐車場の脇に立つ石柱には「従是西沼津領」とはっきりと刻まれており、ここからが沼津の城下町、そして藩の支配下であることを宣言しています。この一本の石柱が持つ重みが、江戸時代の厳格な統治体制を物語っています。

三島宿から沼津宿へと続くこの道のりは、源氏兄弟の再会に思いを馳せ、巨大なクスノキの生命力に癒やされ、そして国境を越える高揚感を味わえる特別な区間でした。
皆さんもぜひ、この歴史の道を歩いてみてください。

次回のブログでは、沼津宿の様子をお届けします。お楽しみに!

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