東海道歩き旅!2日目④「神奈川宿」

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東海道
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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

東海道の歩き旅、今回は神奈川宿に到着し、宿場内を散策します。

オランダ領事館跡や成仏寺、宗興寺、浄瀧寺など、幕末から明治期にかけて日本の近代化を見守ってきた名所が点在するエリアです。ヘボン博士が滞在した寺や、徳川家康・秀忠、明治天皇が関わった史跡など、歴史ファン必見の見どころ満載です。

高層ビルが立ち並ぶ現在の横浜のすぐそばに、これほどまで濃密な「幕末の残り香」が漂っているとは驚きです。開国に揺れた当時の人々の熱量を想像すると、一歩一歩がとても感慨深く感じられます。教科書で見たあの名前、あの事件が、今の道と繋がる瞬間のワクワク感を、ぜひ私と一緒に体験してみませんか?

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東海道の旅 2日目-4

日本橋から三番目の宿場町「神奈川宿」

11:45
京急神奈川新町駅を下車し、線路沿いの一本内側の道へと足を踏み入れます。
神奈川通東公園は「神奈川宿歴史の道」散策コースの起点で、ここから横浜駅付近まで先観光スポット・史跡案内の「神奈川宿歴史の道」の解説プレートが各所に設けられています。歴史好きな方には興味深いエリアですね。

オランダ領事館跡

公園の入り口に到着すると、歴史ツアーの一行と思われる方々で賑わっていました。ここ神奈川通東公園は、かつての神奈川宿の東の入り口にあたります。公園内には「オランダ領事館跡」の石碑が静かに佇んでいます。

かつてここには長延寺というお寺があり、幕末の開港期にはオランダ領事館として使われていました。寺の前には「土居(どい)」が築かれ、道が折れ曲がった「桝形(ますがた)」になっていたそうです。宿場の防衛の拠点としての緊張感が、今も地形の端々に感じられるようです。

良泉寺

旧道をさらに進むと、右手に「良泉寺」が見えてきます。このお寺には、当時の住職の気骨を感じるエピソードが残っています。

開国当時、幕府から外国領事館に指定するとの通達を受けた際、当時の住職は「外国人に寺を貸すのは忍びない」と考えたのでしょうか。なんと本堂の屋根を自ら剥がして、「現在修理中につき、お貸しできません」と断ったと伝えられています。山門前の解説板にもそのユニークな歴史が記されており、当時の人々の複雑な心情が透けて見えるようですね。

能満寺

1299年の鎌倉時代に設立された高野山真言宗の寺院で、海運山満願院能満寺としても知られています。このお寺は、内海新四郎光善という漁師が海から引き揚げた霊像を祀ったのが始まりとされ、海難除けの信仰を集めてきました。特に注目したいのが立派な山門。なんと「世界最古の企業」として名高い金剛組によって再建されたものだそうです。

神明宮

能満寺のすぐ隣に位置する神明宮。もともとは能満寺の境内にありましたが、明治の神仏分離によって独立した神社です。

神奈川宿の分間延絵図

学校の敷地の角に、分間延絵図 を描いたタイルがあります。
「神奈川」の由来の一説である「上無側(かみなしがわ)」や、当時の神奈川宿についての解説があります、地元の歴史に触れられます。

12:15
歩き始めて30分ほどですが、歴史の密度が濃すぎてすっかりお腹が空いてきました。神奈川駅界隈は飲食店も多く、お腹が空いたときの食べ物に困ることはないので安心です。

京急東神奈川駅(旧・仲木戸駅)

昼食に向かう途中「京急東神奈川駅」に歴史の案内板がありました。
2020年まで「仲木戸駅」と呼ばれていたようですね。江戸のなごりがあって私的には「仲木戸駅」のほうが好きですけどね。

歩き旅ぐるめ 肉汁餃子のダンダダン

今日のお昼は、看板の文字に惹かれて「肉汁餃子のダンダダン」へ!
注文したのは「究極の餃子定食」。嬉しいことにご飯のおかわりは自由です。午後の散策に向けて、しっかりエネルギーをチャージしました。

ブー妻ちゃん
ブー妻ちゃん

餃子を一口食べた瞬間、驚くほどジューシーな肉汁が広がるブ!餡には豚肉と野菜がぎっしり詰まっていて、旨味がじゅわっと染み出してくるブ。皮は厚めでモチモチ、焼き目はカリッと香ばしくて、このコントラストが最高ブ!味付けがしっかりしてるから、まずはタレなしで食べてみてほしいブ。ラー油や酢で味変するのもおすすめブよ!

金蔵院

お腹も心も満たされたところで、散策再開です。午後はさらに深い歴史の核心へと迫ります。

慶長4年(1599)に徳川家康より寺領10石を拝領、十石の朱印地を許され、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院となりました。本堂前には、徳川家康の「御手折梅」と称された梅の古木があります。

熊野神社

神奈川郷の総鎮守として崇敬を集める神社です。こちらも元々は金蔵院の境内にありましたが、神仏分離で独立しました。
ここで見逃せないのが、鳥居の横に鎮座する狛犬。江戸時代の名工・飯島吉六の作といわれ、その精巧な造りと迫力には圧倒されます。生麦事件の碑も手がけた人物による作品と聞き、この地の歴史の深さを再確認しました。

神奈川宿 高札場跡

神奈川地区センターの前には、美しく復元された「高札場(こうさつば)」があります。
当時の法令やお触れが掲げられていた場所で、歴史の重みを感じます。

成仏寺

高札場の次の交差点の角に「成仏寺」があります。
徳川家光が神奈川御殿を造営するため、今の 場所を代替地とされ移って来た寺院。
成仏寺はアメリカ人宣教師の宿舎に充てられました。ヘボン博士が住んだ場所だと言われていた。
入口には「史跡外国人宣教師宿舎跡」の碑があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

ヘボン博士は、医者であり教育者でもあるアメリカの宣教師だったブ!幕末から明治の日本で活躍して、無料の診療や学校の設立、そして『和英語林集成』っていう辞書も作ったんだブ。ヘボン式ローマ字もこの博士の工夫で、外国の人に日本語を伝えるのに役立ってるブよ~。

住宅街の中にある小さな滝川公園。ここにはかつて、神奈川宿を代表する「石井本陣」がありました。

公園の一角に立つ「明治天皇行在所之蹟」の碑。明治天皇が東京へ向かわれる際、ここに二度も宿泊された記録が残っています。
明治天皇は、明治元年の12月に一度、そして翌年の3月にも宿泊されたようです。

神奈川町本陣と青木本陣跡(第一京浜沿い)

第一京浜道路(国道15号)に出ると、本陣跡の案内板が立っています。神奈川宿は「滝の橋」を境に、東側の神奈川町と西側の青木町に分かれており、それぞれに本陣が置かれていました。二つの町が合わさって一つの大きな宿場を形成していた、当時の規模の大きさが分かります。

滝の橋

そのすぐ近くに滝の川にかかる「滝の橋」があり、川沿いには「滝の橋と本陣跡」の案内板があります。
こちらにも先ほどの案内板と同じような内容が記載されていました。

宗興寺

室町時代から続くという、500年以上の歴史を誇る古刹です。

さらに注目したいのが、横浜が開港したばかりの1861年春のこと。ここは、ヘボン博士が日本で初めて「施療所(無料診療所)」を開いた場所としても知られています。当時、医療を受けられなかった多くの日本人がここへ救いを求めてやってきました。慈善の心で人々を救ったヘボン博士の功績は、今も地域の人々に語り継がれています。

神奈川の大井戸

宗興寺の東側にある路地を進んでいくと、「神奈川の大井戸」と呼ばれる歴史ある井戸があります。

この井戸、ただの井戸じゃないんです。かつては、2代将軍・徳川秀忠がこの地に立ち寄った際、お茶をたてるための水として使われたほか、明治天皇が東日本を巡幸された際には「御用水」として選ばれたという、由緒ある井戸なんです。

しかもこの井戸、「水の量が増えた翌日は晴れる」と言われていて、「お天気井戸」として昔の旅人たちに親しまれていたんだとか。天気予報がない時代、街道を行く人たちにとっては、便利だったのかもしれませんね。

浄瀧寺(じょうりゅうじ)

文応元年(1260年)。このあたりに小さな庵を構えていたのが、尼僧の妙湖上人です。

ある日、安房(現在の千葉県)から鎌倉へと向かっていた日蓮聖人がこの地に立ち寄ります。そのとき、日蓮聖人から法華経の教えを聞いた妙湖上人は、深く感銘を受けて弟子となり、自分の庵を法華経を学ぶ道場へと改めました。これが、現在の浄瀧寺のはじまりとされています。

横浜が開港した1859年には、なんとこのお寺がイギリス領事館として使われたという意外な歴史も!山門のそばには、そのことを今に伝える記念碑が立っていて、訪れる人に当時の面影を伝えています。

今回の道のりでは、江戸から明治への歴史の転換点を象徴する数々の場所を訪れることができました。神奈川宿を歩くことで、単なる観光では得られない深い歴史の息吹を感じることができました。
次回はいよいよ神奈川宿の中心部、青木町側をさらに深く探索します。あの有名な料亭の面影など、続きの旅路もどうぞお楽しみに!

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