東海道歩き旅!2日目④「神奈川宿」

日光街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

今回は「神奈川宿」へ向かう道すがら、横浜市鶴見区にある「生麦」周辺をゆったりと散策しました。

このエリアは、徳川将軍にゆかりのある地名の由来や、子育地蔵尊と慶岸寺、そしてかつて魚河岸として栄えた「生麦魚河岸通り」など、見どころがたくさんあります。そして何より忘れてはならないのが、幕末の歴史的大事件「生麦事件」の舞台となった場所であること。ここで起こった出来事が、日本の歴史を大きく動かすきっかけとなったのです。

そんな歴史を肌で感じられる街道歩き、ぜひ楽しんでみてください。

スポンサーリンク

東海道の旅 2日目-4

日本橋から三番目の宿場町「神奈川宿」

11:45
京急神奈川新町駅に近づいたところで、一本線路側の道に入ります。
神奈川通東公園は「神奈川宿歴史の道」散策コースの起点で、ここから横浜駅付近まで先観光スポット・史跡案内の「神奈川宿歴史の道」の解説プレートが各所に設けられています。歴史好きな方には興味深いエリアですね。

オランダ領事館跡

神奈川通東公園の入り口には多くの方が集まっていました。
おそらく歴史の道ツアーの一行でしょう。ここが終点だったのでしょうかね。

この公園は神奈川宿の入口に当たり、公園内には「オランダ領事館跡」の石碑がありました。領事館以前には長延寺というお寺があり、寺前には土居が築かれ桝形になっていたようです。

良泉寺

再び旧道に戻り進むと、右手に「良泉寺」が現れます。

開国当時、外国領事館指定の通達を受けた住職は、本堂の屋根をはがして、修理中であるとしてこの命令を断ったといわれています。

山門前にある歴史の道解説にもしっかり記載がされています。ユニークな歴史をもったお寺ですね。

能満寺

1299年の鎌倉時代に設立された高野山真言宗の寺院で、海運山満願院能満寺としても知られています。このお寺は、内海新四郎光善という漁師が海からすくい上げた霊像に基づいて創建されました。
山門は世界最古の会社と言われる「金剛組」により再建されたそうです。

神明宮

神明宮はもともと能満寺境内にあったが、明治の神仏分離により分離されました。

学校の敷地の角に、分間延絵図 を描いたタイルがあります。
「神奈川」の由来の一説である「上無側(かみなしがわ)」や、当時の神奈川宿についての解説があります、地元の歴史に触れられます。

12:15
お昼でお腹もすいてきたので、神奈川駅界隈で昼食をとることにしました。
このあたりは、お腹が空いたときの食べ物に困ることはないので安心です。

昼食に向かう途中「京急東神奈川駅」に歴史の案内板がありました。
2020年まで「仲木戸駅」と呼ばれていたようですね。江戸のなごりがあって私的には「仲木戸駅」のほうが好きですけどね。

そして、ふと目にとまった「肉汁餃子のダンダダン」に入りました。
「究極の餃子定食」はボリューム満点、しかもご飯のおかわりは自由。
午後の散策に向けて、しっかりエネルギーをチャージしました。

金蔵院

慶長4年(1599)に徳川家康より寺領10石を拝領、十石の朱印地を許され、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院となりました。本堂前には、徳川家康の「御手折梅」と称された梅の古木があります。

熊野神社

神奈川郷の総鎮守です。こちらも元々は後ろの金蔵院にありましたが、 明治の神仏分離令で独立しました。
鳥居横の狛犬は飯島吉六作だそうです。大きく立派な狛犬です。生麦事件碑も手がけたと言われています。

神奈川宿 高札場跡

当時の高札場は、神奈川警察署西側付近にありました。神奈川地区センターの前に復原したものです。
当時の法令やお触れが掲げられていた場所で、歴史の重みを感じます。

成仏寺

高札場の次の交差点の角に「成仏寺」があります。
徳川家光が神奈川御殿を造営するため、今の 場所を代替地とされ移って来た寺院。
成仏寺はアメリカ人宣教師の宿舎に充てられました。ヘボン博士が住んだ場所だと言われていた
入口には「史跡外国人宣教師宿舎跡」の碑があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

ヘボン博士は、医者であり教育者でもあるアメリカの宣教師だったブ!幕末から明治の日本で活躍して、無料の診療や学校の設立、そして『和英語林集成』っていう辞書も作ったんだブ。ヘボン式ローマ字もこの博士の工夫で、外国の人に日本語を伝えるのに役立ってるブよ~。

滝川公園の一角に、「明治天皇行在所之蹟」という碑があります。
かつて神奈川宿にあった石井本陣の跡地に建てられたものです。
明治天皇は、明治元年の12月に一度、そして翌年の3月にも宿泊されたようです。

東海道(第一京浜道路)に出ると「神奈川町本陣と青木本陣跡」の案内板があります。
滝の橋を挟んで東側が神奈川町、西側が青木町があり、それぞれ本陣ができたと記されています。

そのすぐ近くに滝の川にかかる「滝の橋」があり、川沿いには「滝の橋と本陣跡」の案内板があります。
こちらにも先ほどの案内板と同じような内容が記載されていました。

宗興寺

宗興寺の名前は、なんと室町時代の宝徳年間(1449~1452年)に書かれた古文書にも登場しているんです。つまり、今から500年以上も前にはすでに存在していたということで、かなり歴史のあるお寺なんですね。

さらに注目したいのが、横浜が開港したばかりの1861年春のこと。アメリカ人で宣教師、そしてお医者さんでもあったジェームス・カーティス・ヘボン博士が、この宗興寺の一角に診療所を開いたんです。

ヘボン博士は、身分や立場に関係なく、訪れる日本人たちを無料で診察していたそうで、本当に慈善の心で医療を続けていたそうです。

神奈川の大井戸

宗興寺の東側にある路地を進んでいくと、「神奈川の大井戸」と呼ばれる歴史ある井戸があります。

この井戸、ただの井戸じゃないんです。かつては、2代将軍・徳川秀忠がこの地に立ち寄った際、お茶をたてるための水として使われたほか、明治天皇が東日本を巡幸された際には「御用水」として選ばれたという、由緒ある井戸なんです。

しかもこの井戸、「水の量が増えた翌日は晴れる」と言われていて、「お天気井戸」として昔の旅人たちに親しまれていたんだとか。天気予報がない時代、街道を行く人たちにとっては、便利だったのかもしれませんね。

浄瀧寺(じょうりゅうじ)

時は文応元年(1260年)。このあたりに小さな庵を構えていたのが、尼僧の妙湖上人です。

ある日、安房(現在の千葉県)から鎌倉へと向かっていた日蓮聖人がこの地に立ち寄ります。そのとき、日蓮聖人から法華経の教えを聞いた妙湖上人は、深く感銘を受けて弟子となり、自分の庵を法華経を学ぶ道場へと改めました。これが、現在の浄瀧寺のはじまりとされています。

さらに時代は下って、横浜が開港した1859年には、なんとこのお寺がイギリス領事館として使われたという意外な歴史も!山門のそばには、そのことを今に伝える記念碑が立っていて、訪れる人に当時の面影を伝えています。

歴史の舞台となった街、生麦から神奈川宿までの道のりは、ただの散策ではなく、日本の歴史を変える事件のあった場所でした。次回も「神奈川宿」の街をじっくりと巡ります。どうぞお楽しみに!

コメント

タイトルとURLをコピーしました