東海道歩き旅【10日目③】東田子の浦〜吉原宿手前!名勝「左富士」と荒海に挑んだ先人の歴史を巡る

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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

今回は静岡県富士市の東田子の浦駅から吉原駅方面へと向かいます!
実はこの先の宿場町「吉原宿」は、度重なる津波や高潮を避けるために二度も場所を移したという数奇な運命を辿った街なんです。今回はその手前のエリアを歩きながら、海の猛威に立ち向かい、しぶとく生き抜いた先人たちの足跡を辿ります。アスファルトの道からは見えない、ドラマチックな街道のリアルな息遣いを一緒に感じてみましょう!

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東海道歩き旅10日目-3

海の脅威と先人の祈りを感じる道のり

東田子の浦駅を出発し、まずはかつての海岸線に近いエリアを西へと進んでいきます。現在の地図を見ると海からは少し離れているように感じますが、江戸時代の東海道はこの辺りでは波打ち際スレスレを通ることも珍しくありませんでした。

間宿 柏原 道標

田子の浦駅から歩き始めてすぐ、落ち着いた街並みの中に「間宿 柏原」の案内板が見えてきます。「間宿」とは、幕府が公式に定めた宿場町(今回のルートで言えば原宿と吉原宿)の間にある休憩所のことです。

立圓寺・ゲラテック号遭難碑

柏原案内板のはす向かいにあるのが「立圓寺」です。境内に入ると、まず目に飛び込んでくるのが「望嶽碑(ぼうがくひ)」と呼ばれる石碑。ここは古くから、晴れていれば雄大で美しい富士山が裾野まで綺麗に望める絶好のスポットとして知られています。今日はあいにく雲が多めでその全貌を拝むことはできませんでした。

そして、この境内でひときわ目を引くのが、1979年(昭和54年)に柏原海岸で座礁したインドネシアの大型貨物船「ゲラテック号」の遭難慰霊碑です。美しい自然の裏にある、海の猛威と恐ろしさを静かに今に伝えています。

増田平四郎碑

昭和放水路にかかる平沼橋の傍らに増田平四郎の像と石碑が建立されています。水害に苦しむ村を救おうとした明治期の壮絶な治水事業の歴史を物語っています。私たちが今こうして乾いた道を安全に歩けるのも、こうした先人たちの血のにじむような治水事業のおかげなんです。

江戸日本橋から三十三里目「沼田新田一里塚」

平沼橋を越えて少し歩くと、江戸日本橋から数えて33番目となる「沼田新田一里塚」の跡に到着します。現在は住宅街の中にひっそりと標柱が立つのみで、かつてのこんもりとした塚の姿を見ることはできません。

妙法寺(富士毘沙門天)

沼田新田一里塚からさらに2.5kmほど歩を進めると、「妙法寺」の大きな伽藍が見えてきます。ここはただのお寺ではありません。戦国時代には武田信玄の軍勢が砦として利用し、江戸時代には徳川家康の十男・徳川頼宣が駐留したという、軍事的な要衝でもあった歴史深い場所です。
このため、現在も「出世本懐の地」として全国から多くの崇敬を集めています。
毎年、旧暦の1月7日から9日にかけて「毘沙門天大祭」が開催されます。群馬県(高崎)、東京都(深大寺)と並ぶ「日本三大だるま市」の一つに数えられています。
人の気配は少なかったものの、境内にはただならぬパワーが満ちていました。

吉原駅周辺から北上、富士の恵みと産業の息吹

妙法寺を過ぎたあたりから、旧東海道はかつての海岸線から徐々に離れ、内陸の北側へと大きく進路を変えていきます。いよいよ、吉原宿の数奇な歴史の核心へと迫っていくルートの始まりです。

日本製紙の工場と吉原駅

東海道本線の踏切を渡ると、目の前に日本製紙の巨大な工場が現れます。白煙を上げる無骨な煙突の景色には、近代産業の力強さを感じて思わず目を奪われます。

静岡県富士市は、豊富な地下水と産業の歴史を背景に、「紙のまち」として知られ、現在でもトイレットペーパーなどの家庭紙生産が全国トップクラスを誇る日本有数の工業都市。この巨大な工場群も、富士山の恵みがあってこそ成り立っているのですね。

そのすぐ先には東海道本線「吉原駅」があります。旧東海道は少し内陸に入り、電車の線路からは遠ざかっていくので体力や時間によってはここでエスケープするのも一つの選択肢です。時計を見ると15:30分。陽も伸びてきた時期なので、我々夫婦はまだまだ歩を進めます。

沼川に架かる河合橋を渡ります。

左富士神社・江戸日本橋から三十四里目「依田橋村一里塚」

河合橋から1号線を横切って1kmほど歩くと左手に「左富士神社」が現れます。
なんだか不思議な名前の神社ですが、古くは「悪王子(あくおうじ)神社」という恐ろしげな名前で、境内は樹木がうっそうと茂る「悪王子の森」と呼ばれていたそうです。それが明治時代になってから、近くにある東海道の名勝「左富士」にちなんで現在の名前に改名されました。

そして神社の境内の一角には「依田橋村一里塚」の跡があります。案内板の左側には、柵で囲われたこんもりとした丸い芝生のドームがありました。往時の塚がそのまま残っているわけではありませんが、一里塚の形を意識して作られた可愛らしいモニュメントのようですね。

名勝 左富士

左富士神社のすぐ先、交差点の一角に「名勝 左富士」と書かれた広場があります。ここは、あの有名な歌川広重の浮世絵『東海道五十三次・吉原』にも描かれた、東海道屈指の絶景スポットです。
晴れていれば、背の低い工場の屋根や電線の向こうに、ドーンと雄大な富士山が姿を現すはず!……だったのですが、今日は無情にも厚い雲にスッポリと覆われ、その姿を1ミリも見せてはくれませんでした。
今回は残念ながら「心の目」での鑑賞となってしまいましたが、広重の浮世絵に描かれた美しい松並木と富士山の姿を脳内に描き出し、晴れた日の絶景を想像しながらアスファルトを踏みしめるのも、また現代の街道歩きの一興です。

今回は東田子の浦から名勝「左富士」まで、海と富士山に翻弄されながらもたくましく発展してきた歴史を感じる道のりでした。あいにくの曇り空で富士山は心の眼で見る結果となりましたが、それもまた天候に左右されるリアルな旅の醍醐味です。

次回はいよいよ、自然の脅威から逃れるために二度も移転を繰り返した不屈の宿場町「吉原宿」の中心部へと足を踏み入れます!ぶー妻念願のご当地グルメの登場もあるかも?次回の東海道歩き旅も、ぜひお楽しみに!

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