東海道歩き旅!5日目②「大磯宿」

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東海道
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こんにちは、ぶ~ちゃんです。

前回は、相模國総社・六所神社で神聖なパワーをたっぷりとチャージしましたね。今回はその続き、大磯町の静かな別荘地エリアを抜けて、いよいよ二宮町から小田原市へと入っていく道のりです!

この区間は、次の大きな宿場である小田原宿、そして東海道屈指の難所・酒匂川(さかわがわ)の川越えを控えた重要なエリア。実はここ、単なる通り道ではなく、川止め(増水で川が渡れないこと)の際に旅人が待機するための休憩スポットとしても賑わっていた場所なんです。

歴史深い神社の伝説や、創業100年を超える老舗の味、そして古道の面影。歩けば歩くほど発見があるこの道を、私と一緒に紐解いていきましょう!

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東海道の旅 5日目-2

大磯の静かな別荘地エリアを抜けると、道は生活感と歴史が混じり合う二宮町へと続いていきます。海風がふと香る瞬間があり、街道歩きの醍醐味を感じさせてくれます。

小田原宿への道中

13:00になりますが、見どころ満載で大磯駅からここまでまだ5km程度しか進んでいませんが、お腹は空きます。

大磯大衆食堂 えびや

古民家風の店内は一見しただけではわからないほど広く、お座敷がメイン。
メニューは豊富で、ボリュームたっぷりの定食が人気です。


旧東海道の道筋が、現代の幹線道路から一旦それて、昔ながらの細い道になる箇所があります。この瞬間が、街道歩きをしていてワクワクする瞬間です。
アスファルトで舗装された道路を歩くのは同じですけどね。

吾妻神社鳥居

さらに歩みを進めると、まず目を引いたのが「吾妻神社鳥居」です。鳥居をくぐり、神社自体は街道から少し奥まった場所にあるのですが、この地が持つ神話を知ると、思わず背筋が伸びます。

ブーちゃん
ブーちゃん

吾妻神社に祀られているのは、日本武尊の奥さん、弟橘媛命なんだブ。
昔、日本武尊が東の国へ向かう途中で、とてつもない暴風雨に巻き込まれた時、彼女は海神を鎮めるために自ら海へ身を投じたっていう神話が伝わっているんだブ。

その時、弟橘媛命が身につけていた櫛が流れ着いた場所が、まさに今の吾妻神社の地だと語られているんだブよ。歴史と伝承がしみ込んだ、ちょっと切なくて美しいスポットなんだブ。

100年変わらぬ味と歴史:老舗の醤油蔵 ヤマニ醤油

歴史に触れた後は、地元の「味」にも触れてみましょう。街道沿いに風格ある佇まいを見せるのが、創業明治大正期から続く老舗「ヤマニ醤油」です。

創業から100年以上の歴史を持つこの醸造所は、今も伝統的な製法を守り、地域の食を支えています。ここでは、再仕込み醤油「吟上」などが人気。

奈良時代の壮大な寺院跡:小沢観音堂(小沢廃寺跡)

続いて立ち寄ったのが「小沢観音堂」です。ここはかつて広大な寺院があったとされる場所で、その跡地に観音堂が建てられています。

ここは「小沢廃寺跡」と呼ばれ、発掘調査によって奈良時代の寺院跡であることが分かっています。1000年以上も前から、この場所に大きなお寺があったなんて驚きですよね。境内には古い礎石なども残されていて、東海道が整備される遥か昔から、この地が交通や文化の要衝だったことを物語っています。

等覚院

小沢観音堂から程なくして、寺院「等覚院」に到着しました。藤の花の名所としても知られるこのお寺は、旅人が一息つくのにぴったりの静寂に包まれています。
徳川3代将軍家光が上洛した際、駕籠を止めてフジの花を観賞したという言い伝えが残る。

越地の辻の地神塔

交差点の一角にひっそりと立つ石塔、「越地の辻の地神塔」を見つけました。「地神」とは大地の神様で、農業の神様として信仰されています。


再び旧東海道の道筋の標柱があります。

江戸日本橋より十八里目「押切坂一里塚」

街道歩きで見逃せないのが一里塚です。江戸日本橋より十八里目にあたる「押切坂一里塚」の跡地にたどり着きました。残念ながら、ここも塚自体は残っていませんが、説明板によってかつての場所を知ることができます。東海道五十三次という長い旅路の中で、一里塚は旅人の心の拠り所だったに違いありません。

松屋本陣の跡

東海道をゆく旅人にとって、大磯宿から小田原宿までの約十六キロメートルは、なかなかの難路。長い道のりのうえ、難関の押切坂を越え、さらに水量の多い酒匂川を渡らねばなりません。

そこで、ちょうどその中間に、疲れた足を休め、次の難所へ英気を養うための「間の宿(あいのしゅく)」が設けられました。これこそが、往時大変な賑わいを見せた「梅沢の立場(たてば)」です。多くの茶屋や商店が軒を並べ、大変賑わっていました。
 その「立場」の中心として格式を保っていたのが「松屋本陣」です。参勤交代の諸大名・宮家・幕府役人など、特権階級にあたる方々の道中の小休止のために定められた場所でした。

旧押切坂

この道筋のハイライトの一つが「旧押切坂」です。古くから交通の要衝であり、急な坂道として知られていました。上り坂を息を切らして歩いていると、当時の旅の厳しさが身をもって体験できます。坂道の途中で立ち止まり、吹き抜ける風が汗を冷やしてくれる瞬間は、街道歩き特有の達成感を感じさせてくれます。


押切坂を下り、中村川を渡ると「小田原市」に入ります。

浅間神社

旧押切坂を登り切ったあたりに、「浅間神社」があります。富士山信仰と深く結びついたこの神社は、街道の至る所で見つけることができます。難所を越える旅人の安全を祈る場所でもあったのかもしれませんね。


浅川神社を過ぎたあたりから、少し下り坂になり、左手に海を一望できます。遠くに見えるのは伊豆大島でしょうか。開けた景色を眺めるのは気持ちが良いです。太陽が傾き始めた光が水面に反射して、キラキラと輝く様子は、まさに絶景でした。

史跡車坂の碑

この碑が立つ車坂は、中世には小田原城下の最も外側にある重要な場所でした。この先が、いよいよ城下町へと入っていく道筋です。

大山道道標(羽根尾通り入口)

交差点の先頭に存在感抜群の不動明王の座像と、秋葉山常夜灯と石祠が並んでいます。様々な信仰の対象が交わる場所は、旅の安全を祈る人々が行き交った証ですね。


坂下道祖神、小田原市前川中宿の道祖神、国府津駅手前に男女双体道祖神があります。
ここまでもそうでしたが、道祖神の数が多いですね。
相模国内ではサイノカミと呼ばれるそうです。
小田原市内における道祖神の分布は全市域に及び、全国的にも分布密度が高いといわれます。


国府津駅付近です。15:30ですがだいぶ陽が傾いてきているように感じます。夕陽に照らされた街道は、また格別の趣がありますね。

大磯宿を出発し、城下町・小田原宿の入口である車坂の碑までを歩いた今回の街道歩き。吾妻神社の神話、地域の歴史を伝える小沢廃寺跡、そして松屋本陣跡など、東海道の持つ歴史の厚みを随所で感じることができました。

さあ、いよいよ次回は東海道屈指の難所、酒匂川の越えに挑み、華やかな小田原宿の中心へと入っていきます。どうぞお楽しみに!

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東海道街道歩き旅
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