こんにちは、ぶ~ちゃんです。
酒匂川を越え、松並木が途切れるといよいよ城下町の空気が漂い始めます。旧東海道歩き旅6日目は、かつて「天下の険」箱根越えを前に旅人たちが草鞋の紐を締め直した場所、小田原宿の核心部を歩きます。
ここ小田原は、単なる宿場町にとどまらず、小田原城のお膝元として栄えた関東屈指の都市。通り沿いには格式高い本陣跡や、江戸の面影を色濃く残す老舗商家が点在し、歩くほどに歴史の厚みを感じられるエリアです。現代の街並みの中にふと現れる「江戸の時間」を探して、一緒に歩いてみましょう。
6日目-1
小田原宿の入り口付近は、旅の無事を祈るお寺や神社、そして宿場の境目を示す史跡がギュッと集まっているんです。まずは江戸側の玄関口から、のんびり足を進めていきましょう。昨日の終点だった「江戸見附」の手前にも、素敵な歴史スポットがあるんですよ。ちょっとだけ道を遡ってみますね!
山王神社
山王川沿いに静かに佇む「山王神社」。ここは徳川家康公が小田原攻めの際、しばしば戦勝祈願に訪れたといわれる由緒ある神社です。江戸時代の儒学者・林羅山が、この神社の風情を漢詩に詠んだことから、別名「星月夜(ほしづきよ)の社」なんていうロマンチックな名前でも呼ばれていたんですね。


宗福寺
山王神社のすぐお隣にあるのが「宗福寺」です。実は江戸時代まで、このお寺は隣の山王神社を管理する「別当寺(べっとうじ)」という役割を持っていました。神社とお寺が仲良く一体となって地域を守っていた時代の名残を、今も大切に伝えています。


日本橋から九番目の宿場町「小田原宿」
江戸見附
少し歩くと、昨日のゴール地点「江戸見附」に到着です!
ここからがいよいよ、東海道でも最大級の賑わいを誇った小田原宿のエリア。昨日は暗くて気づかなかったのですが、案内板の後ろには立派な松が!支柱に支えられながらも堂々と枝を広げる姿は、まるで見守り役のようですね。



小田原宿は、本陣4軒に旅籠が90軒以上も並ぶ、神奈川県で一番大きな宿場だったブ!東海道全体で見てもトップクラスの賑わいで、毎日たくさんの旅人で大混雑だったんだブ。城下町の顔もあって、本陣や旅籠がひしめき合う賑わいはトップクラスだブ。名物の「ういろう」やかまぼこ、干物もこの頃から人気だったブ。明治以降は白秋ら文化人の別荘地にもなった、歴史と活気あふれる場所だブ!
江戸日本橋より二十里目「小田原山王原一里塚」
江戸見附前にある歩道橋を渡ったところに「小田原山王原一里塚」があります。
日本橋から数えて20番目の一里塚です。約80kmを自分の足で歩いてきたという事実に、改めて感慨深くなります。今は静かにその跡を残すのみですが、街道歩きにおいては欠かせないマイルストーンです。

旧小田原城移築城門
街角にふと現れる重厚な門。「旧小田原城移築城門」です。明治時代に小田原城が廃城になった際、払い下げられて武家屋敷の門として移築・再利用されたものだとか。残念ながら非公開ですが、外から眺めるだけでも当時の武士たちの威厳が伝わってくるような、不思議な迫力があります。

城下町の活気を今に伝える通り
旧町名保存碑 歴史の保存
小田原の街を歩いていると、あちこちで昔の町名とその由来が書かれた石碑を見かけます。「鍋町」「万町」など、当時の暮らしが目に浮かぶような名前ばかり。街の歴史を大切に調査して残そうとする、地元の方々の想いが伝わってきますね。




道端で見つけた瓦屋根の電話ボックスも、城下町らしいお洒落なこだわりを感じて、ついついシャッターを切ってしまいました。

かまぼこ通り
1号線から一本内側に平行に伸びるのが旧街道です。通称「かまぼこ通り」。
その名の通り、かまぼこの本店が軒をかまえ、食べ歩きが楽しめます。漁師町風情が色濃く残る通りです。


清水金左衛門本陣跡・明治天皇宮ノ前行在所跡
小田原宿に4軒あった本陣の中でも、特に格式が高かったのが「清水金左衛門本陣」です。明治天皇が旅の途中に宿泊された場所としても知られていて、大きな石碑がその歴史を物語っています。当時の敷地の広さを想像すると、宿場の中心としてのパワーを感じます。



小田原宿なりわい交流館
ちょっと休憩したいな……と思ったらここ!大正時代の網問屋さんの建物を活かした「小田原宿なりわい交流館」です。小田原特有の「出桁造り(だしげたづくり)」という建築様式がとっても素敵。2階の窓のデザインも、昔の旅籠みたいな雰囲気で情緒たっぷりです。中は無料の休憩所になっていて、太い梁や商家の様子を間近で見学できますよ。

松原神社
旧小田原宿の各町内や、城下町の人々から広く信仰されてきた神社です。歴代藩主からも厚く保護されました。
小田原宿の総鎮守となり、「松原大明神」とも称されました。
「吉兆の大亀」として有名で、境内には大亀の石像や大亀守があります。




天文14年に小田原の海に大きなカメが現れて、松原神社に運ばれたんだブ。それを見た北条氏康さまが「これは縁起がいいブ!」と舞を捧げたら、河越夜戦で見事な大勝利を収めたんだブ!
だから今でも「勝利」のご利益があるって有名なんだブ。ボクもあやかって、勝負強くなりたいブね!
小田原宿の核心部・本陣と老舗巡り
本陣が連なる宿場のメインストリート
さらに宿場の中心「本町(ほんちょう)」周辺へ!ここはかつて大名行列がひっきりなしに行き交った、まさに宿場のメインストリートです。

高札場跡
幕府からの法度や掟書きが掲げられた、今でいう「公的掲示板」の跡地です。旅人や住民はここで最新のルールを確認していました。人だかりができていたであろうこの場所跡に立つと、江戸時代の情報伝達の様子が目に浮かびます。

片岡本陣跡・明治天皇本町行在所跡
清水金左衛門本陣と並ぶ有力な本陣、片岡家の跡地です。こちらも明治天皇の行在所となった記録が残ります。本陣がこれほど密集していること自体が、小田原宿の規模の大きさと重要性を証明しています。

久保田本陣跡と上の問屋場跡
3つ目の「久保田本陣」です。各地の大名たちが定宿として利用していました。すぐ近くには、人や馬の手配をしていた「上の問屋場跡」の石碑も。ここはまさに、宿場の心臓部。絶えず人や物資が動いていたエネルギーを感じます。


伝統建築と城下町の風情
その先に進むと「中宿町」に入ります。宿場の真ん中に位置することから名付けられました。旅籠や商店が密集し、旅人たちが旅の疲れを癒やしたエリアです。石碑一つにも、旅人をもてなしてきた歴史が刻まれています。

済生堂薬局小西本店
通り沿いで一際目を引くのが、この「済生堂薬局小西本店」です。創業は江戸時代初期に遡るという超老舗。現在の建物は大正時代に建てられたものですが、黒漆喰の壁や重厚な瓦など、当時の商家の美しさがそのまま残っています。なんと国登録有形文化財でありながら、現役の薬局として営業されているんです。
小田原市が指定する「街かど博物館」の一つとして公開されており、明治・大正時代の写真や調剤器具も展示されています。

関東大震災で倒壊した旧店舗の材料を一部用いて大正14年頃に完成したと伝えられています。
かつて多種類の薬種を収納していた「百味箪笥(ひゃくみだんす)」や「薬研(やげん)」などノスタルジーの宝庫です。
実は、妻が転んで怪我をしてしまっていたんです。傷が心配だったので、今日の旅はここで終わろうと考えていた時、目の前に現れたのがこの小西薬局さんでした。
お店に入ると、そこはまるでタイムスリップしたような世界!明治・大正時代の写真や、昔の薬道具「百味箪笥(ひゃくみだんす)」などが並んでいます。 お店の方が本当に優しくて、怪我の手当をしながら、小田原の歴史やお店のことをたくさんお話ししてくれました。その優しさに、夫婦で心から救われました。
かわいい手提げと巾着は、もちろん妻が即買い。
丁寧にご対応いただいたことに深く感謝しています。本当にありがとうございました。
妻ちゃん、これから先の旅は足元に気を付けていきましょうね。




おっちょこちょいで迷惑かけちゃったブ……。でも、お店の人が本当に優しくて、小田原が大好きになったブ!これからの箱根の山は、転ばないように一歩ずつ慎重に進むんだブ。
清水彦十郎本陣跡
これで4つ目、最後の本陣跡です。小田原宿には清水家が務める本陣が2軒(金左衛門と彦十郎)ありましたが、こちらはその彦十郎家の方です。これで小田原の本陣を完全制覇!江戸時代のトップクラスの宿場の規模を、肌で感じることができました。

わずか数キロの間に、4つの本陣跡、威厳ある見附、そして現役で歴史を刻む老舗商家たちがギュッと凝縮されていました。ただ通り過ぎるだけではもったいない、一歩一歩に江戸時代の賑わいと温かさが詰まった素敵なエリアでした。
特にピンチを救ってくれた「小西薬局」さんは忘れません。
小田原をたっぷり堪能した後は、いよいよ東海道最大の難所「箱根八里」が待っています!次回は箱根湯本へ向かう、少しずつ山深くなる景色をお届けしますね。どうぞお楽しみに!
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