こんにちは。ぶ~ちゃんです。
今回の記事では、神奈川宿周辺をじっくり巡った様子を紹介します。
洲崎大神や本覚寺、大綱金刀比羅神社など、歴史的な名所を訪れながら、幕末の志士や新選組ゆかりの地、浮世絵に描かれた風景を実際に辿っていきます。現代の街並みと交錯する歴史ロマンに浸りながら、神奈川宿の奥深さを体感してみませんか。
東海道の旅 2日目-5
「神奈川宿」散策
13:30
浄瀧寺を後にして、再び東海道に戻ります。
まっすぐ進むと「みなとみらい地区」になります。歩いて見る景色は全く別物ですね。
ここは直進せずに宮前商店街方向に進んでいきます。


洲崎大神
すぐに右手に「洲崎大神」が現れます。
建久2年(1191年)、源頼朝が安房神社の霊を勧請て祀ったことが始まり、当初は鎌倉幕府直轄の神社であった。「江戸名所図会」によると、創建当初は神社前は海で、横浜が開港されると、開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となったようです。


本殿は神明造りとなっていて歴史を感じます。




出雲大社の御本殿は、日本最古の神社建築様式の一つ「大社造り」の代表例なんだブ!伊勢神宮の「神明造り」とは対照的で、高床式の構造や太い柱が特徴ブ。古代の神聖な建築の姿を今に伝える貴重なスタイルなんだブよ~。
この通り沿いには、洲崎大神に続いて、開港当時イギリス士官の宿舎になった「普門寺」、フランス公使館になった「甚行寺」などが連なります。


宮前商店街を抜けると、「京急神奈川駅前」に出ます。
「神奈川宿歴史の道」沿いにあるため、駅舎は「清水の舞台」をイメージして作られたそうです。関東の駅百選にも選ばれたことがあるそうですよ。
隣接する「青木橋」は、多くの路線を跨いでいて、電車好きの人の撮影スポットになっているようです。


本覚寺
橋を渡った先の高台に「本覚寺」があります。
石垣の上に堂々と佇む姿はお城のよう。と思っていたら、やはり青木城跡だったようです。
アメリカ領事館として利用された歴史あるお寺です。
生麦事件で負傷した2名が逃げこみ、ヘボンにより手当てがされ一命をとりとめました。
ずいぶんと長い距離を逃げてきようですね。
歴史の詰まったお寺です。





本覚寺山門からの景色です。昔はこの景色が一面の海だったと思うと、少し複雑な気持ちになります。
左側に見えのは京急神奈川駅です。「清水の舞台」に見えるでしょうか。

本覚寺の坂道を下り、西に向かいます。
平坦な道になったと思ったら、また坂道。アップダウンが激しいですね。

大綱金刀比羅神社 江戸日本橋より七里目「神奈川一里塚」
右手に「大綱金刀比羅神社」の鳥居が現れます。傍らにある案内板には「大綱金刀比羅神社と一里塚」の説明版があります。
残念ながら一里塚の痕跡はありません。


鳥居をくぐり、階段を登った先の左奥には社殿があります。傍らに巨大な天狗の顔が。ご神木で彫られているそうで。かなりの強面ですね。
龍神様と弁天様をお祀りした池があります。



平安時代の終わり頃の創建なんだブ!最初は山の上にあって「飯綱社」って呼ばれてたけど、今の場所に移って琴平社も合祀して「大綱金刀比羅神社」になったブ!船乗りに人気で、大天狗の伝説もあるんだブ!
旧東海道沿いの壁に十返舎一九の東海道中膝栗毛の中にある一文と安藤広重の神奈川宿袖ヶ浦の碑版があります。
海の広がる景色だったのですね。短い歴史の間に埋め立てが進んだようですね。


割烹 田中家
田中家の前身は、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次 神奈川・台之景」にも「さくらや」として描かれており、西郷隆盛と高杉晋作が倒幕の計画を練った場所でもあり、伊藤博文ら明治の元勲や夏目漱石ら文豪も投宿した老舗料亭です。
田中家ゆかりの人の中で最近特に脚光を浴びているのが、幕末の志士、坂本龍馬の妻おりょう。勝海舟の紹介で30代の2、3年間、仲居として働いていたことでも有名である。



少し歩いたところに「神奈川台の関門跡 袖ケ浦見晴所」碑があります。


横浜が開港されたあと、外国人が襲われる事件が何件も起きたんだブ。これに怒った各国の総領事たちが幕府に抗議して、幕府は横浜の要所に関門や番所を作って警備を強化したんだブ!
そのあとにある下り坂の途中に「上台橋」があります。
そして橋を渡った右手に「神奈川宿歴史の道の説明板」があります。「神奈川通東公園」からここまで約4km。ここが神奈川宿の西口で「神奈川歴史の道」の終点です。

少し歩いたところで、再び新道と合流します。

道が合流してすぐのところ、右手に「勧行寺(かんぎょうじ)」と書かれた寺標が見えてきます。
実はここ、あの新選組局長・近藤勇のルーツにも関わりがあるお寺なんです。
近藤勇の曽祖父にあたる近藤内蔵之助長裕のお墓が、この勧行寺にあるんだとか。内蔵之助は、剣術「天然理心流」の流祖としても知られています。新選組好きには必須の末スポットですね。

「浅間下交差点」の歩道橋です。階段で足にじわ〜っと疲れがのしかかってきます。

一本西側の路地を進みます。

浅間神社
200メートルほど歩くと、目の前に浅間神社の立派な鳥居が現れます。鳥居をくぐると、すぐに階段がスタート。ここからがちょっとした上り坂。足に少しきますが、ゆっくり登っていきましょう。
参道の両側にはなんとも可愛らしい「子持ちの狛犬」がいます。境内西側に「富士の人穴」という横穴墓にまつわる伝説も残っています。かつては、この穴が富士山までつながっているとも言われていたそうで、ロマンあふれる話ですね。




境内は小高い場所にあるので、ふと振り返ると、遠くにみなとみらいのビル群が見渡せました。神社の静けさと、近代的な横浜の風景が同時に目に入るこの景色、なんとも不思議で贅沢なひとときです。

江戸時代から続く神社仏閣、幕末の志士たちの息吹を感じられる旧跡など、ただ歩くだけでは味わえない深い旅の体験がそこにありました。次回の旅も、歴史の足跡を辿りながら新たな発見を求めて歩き続けます。ぜひ、皆さんも神奈川宿を訪れて、その魅力を自分の足で感じてみてください!
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