こんにちは。ぶ~ちゃんです。
今回は、かつて大いに賑わった全長約3kmの「品川宿」を歩いてきました。
荏原神社や品川寺、江戸六地蔵、そして徳川将軍家とも縁が深い天妙国寺など、歴史を感じる見どころがたくさんあります。
街道沿いに残る史跡や、昔をしのばせる石碑・建物なども、実際に歩いた目線でまとめました。
初めて訪れる方でも、昔の面影を感じながら気軽に街歩きを楽しめますよ。
東海道の旅 1日目-6
「川崎宿」への道中
14:45
品川宿(青物横丁商店街)を抜けて、鮫洲商店街に入っていきます。
商店街の入り口の支柱には「龍馬がゆく」との記載がありました。
このエリアは坂本龍馬ゆかりの地でもあるようです。

品川宿を過ぎましたが、同じような商店街はまだ続いています。

鮫洲八幡神社
商店街の入り口から300mほど歩いた右手に「鮫洲八幡神社」が現れます。古くからこの地の漁師たちに大切にされてきた神社です。京浜急行線「鮫洲駅」からほど近くに鎮座しています。


鮫洲八幡神社を過ぎると、だんだんと商店街らしさがなくなって、静かな住宅街に入っていきます。
そのまま500メートルほど歩くと、街道沿いに「そば会席 立会川 吉田家」が見えてきます。
江戸時代に創業したという老舗のそば屋さんで、160年以上の歴史があるそうです。趣のある店構えも印象的。
しかもこのお店、坂本龍馬や山岡鉄舟といった歴史上の人物たちにも親しまれていたとか。歴史好きにはたまらないスポットですね。

浜川砲台
東の運河沿いを歩くと冠木門のある公園が現れます。門には「浜川砲台」と表示があります。

住宅地の中にある公園ですが、この公園には砲台があるんです。
かつて、ペリー再来航後、この地域に屋敷のあった土佐藩が砲台を造ることを、幕府に願い出て造ったのが浜川砲台です。それをこの公園に再現しているようです。
20歳前後だった坂本龍馬もここにいたようです。感慨深いですね。

立会川商店街を通って、立会駅に向かう途中の公園入口に「坂本龍馬像」があります。

その先またしばらく住宅街が続きます。

鈴ヶ森刑場遺跡
第一京浜道路と合流する少し手前、鈴ヶ森交差点のそばに「鈴ヶ森刑場跡」があります。
歴史の影を感じる、静かでどこかもの悲しい場所です。


先ほど通った「立会川」という地名、一説によると、鈴ヶ森刑場へ送られる罪人が、家族や親しい人と最後に会う場所だったことから「立会川」と呼ばれるようになったのだとか。

ここは江戸時代に作られた処刑場で、220年の間に10万〜20万人も処刑されたって言われてるブ。丸橋忠弥、天一坊、八百屋お七、白木屋お駒なんかも、ここで最期を迎えたそうブ。
15:45
鈴ヶ森交差点です。少し日が傾き始めてきました。

磐井神社 磐井の井戸
鈴ヶ森交差点から1kmほど歩いたところに「磐井神社」と「磐井の井戸」があります。
「磐井神社」は、敏達天皇の時代に建てられた、由緒ある神社です。
9世紀ごろには武蔵国の八幡宮の総社になり、「延喜式」にも名前が載っている格式高い神社なんです。
五代将軍綱吉や八代将軍吉宗など、歴代の将軍たちから崇敬されていました。

神社の前にある「磐井の井戸」は、磐井神社の社名の由来となった井戸です。
もともとは磐井神社の境内にあったようです。


東海道を行く旅人たちに利用された井戸で、霊水とか薬水って呼ばれてた有名な井戸ブ!正しい心で飲めば清水、でも邪心があると塩水になるって伝えがあるんだブ!試すのはちょっとドキドキするブね!
平和島口交差点を過ぎて、少し歩いた先にある分かれ道を左の「美原通り」に入っていきます。
この通りは東海道の品川宿と川崎宿の中程に位置し、いわゆる「間の宿」として江戸時代から賑わっていた通りです。旧東海道の雰囲気を残しています。

通りに入ってすぐ、旧東海道の碑が立っていました。
台座の石には、景観の変化を残念に思っている内容も刻まれていました。

通りを歩いていると、ところどころに当時の面影を感じることができます。
人通りが多くにぎわっているようでした。




以前は、第一京浜との合流手前(写真のあたり)に「大森一里塚」の案内板があったようなんですが、今回歩いたときには見当たりませんでした。いったいどこに行ってしまったんでしょう…。
とりあえず、この辺りが江戸日本橋から三里目にあたる一里塚の場所だったようです。
美原通りを抜けると、再び第一京浜と合流します。
しばらくの間歩道の右側にちょっとした空きスペースがありました。これから道路の拡幅工事が始まるのかもしれませんね。できれば、昔の街道らしさも感じられるような整備になると嬉しいんですけどね。

右手に「貴菅神社」が現れます。
大森村本宿の鎮守です。江戸時代には「貴舩神社」と呼ばれ、守り神として大切にされていたそうです。実は今でも正式名称は「貴舩神社」で「貴菅神社」というのは通称なんですね。
玉垣の新しさを見ると、こちらも拡幅工事に伴って移動されたのでしょうかね。

聖蹟蒲田梅屋敷公園
17:00
梅屋敷駅を通りすぎると「聖蹟蒲田梅屋敷公園」があります。
ここには「和中散(わちゅうさん)」という風邪薬を扱う販売所があって、旅人たちが道中に備えてよく立ち寄ったといいます。
3000坪に及ぶ敷地にはたくさんの梅の木が植えられ、茶屋もあって、いつの間にか観光名所に。幕府の重臣や皇族も訪れたとされ、特に明治天皇が5回もお立ち寄りになったことから、「聖蹟蒲田梅屋敷公園」と名付けられています。



その先に「京急蒲田駅」が見えてきます。初めて訪れますが、大きくて物々しい外観です。
京急空港線の乗り換え駅となっていて、2層構造で広々としたホームを持っているんですね。
2階建てのまま第一京浜を越えるという大がかりな構造です。


六郷神社
17:45
京急蒲田駅から2kmほど進んだところに「六郷神社」があります。
江戸日本橋から4番目の一里塚「六郷一里塚」があったとされる場所でもあります。
東海道に面している参道は脇参道で、社殿・表参道は南向きになっています。

六郷一帯の総鎮で、源義家が石清水八幡宮から勧請して八幡神を祀ったのが始まりといわれています。
本殿と表参道の鳥居(神門・新橋)です。
新橋は梶原景時が寄進したと伝えられています。


境内には源頼朝が奉納したと伝わる手水舎や、とてもユニークな表情をした狛犬があったりました。
こんな立派で由緒のある神社が、ここにあったとは知りませんでした。


だいぶ陽も傾いてきてしまったので、東海道歩き旅一日目は、川崎宿まで進まずに多摩川手前で切り上げることにしました。最寄り駅は「京急六郷土手駅」です。


見どころ満載の東海道歩き旅1日目は無事に終了!
新しい街道旅のスタートは、今と昔を感じながら歩けて、楽しくてあっという間でした。
あまり妻ネタが少なかったのですが、他街道と同様一緒に歩いています。
ただ、特に疲れた様子もなく、楽しく歩いている、いつも通りの(面白い)妻ではなかったので、登場控えめにしました。次回は面白さを爆発させてくれることを期待しています。
次回はいよいよ2日目の旅に出発します。ぜひお楽しみに!
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