こんにちは。ぶ~ちゃんです。
東海道歩き旅11日目の第4弾となる今回は、いよいよ旧東海道屈指の難所であり、浮世絵にも描かれた絶景スポット「薩埵峠」に挑みます!潮の香りが漂う由比宿の静かな町並みから始まり、幕末の動乱を伝える「望嶽亭 藤屋」などの歴史的建造物が連なる「間の宿 西倉沢」を抜け、息を呑むような大パノラマを目指す道のりです。歴史の重みと現代の絶景が交差するこの道のりを、僕たち夫婦の等身大の足取りとともにお楽しみください!
東海道11日目-4
海風を感じながら旧東海道を歩いていると「由比駅」が現れます。全国的に有名な特産品「桜えび」の玄関口です。ここまで歩いてきた通りは「由比桜えび通り」だったんですね。
駅の東側には「駿河湾」が広がります。


由比の時計台
街道沿いにひっそりと佇んでいるのが、石造りのレトロな「由比の時計台」です 。1930年(昭和5年)12月に建造されたこの時計台は、あまりにも周囲の景観に溶け込んでおり、危うく見落としそうになりました 。凝った意匠に昭和初期のモダンな空気を感じます。

東海道名主の館 小池邸
次に見えてくるのは、かつて寺尾村の名主を務めた小池家の邸宅です 。1998年に国の登録有形文化財に指定されたこの建物は、明治期の建築でありながら、低い軒やナマコ壁など江戸時代の民家の面影を色濃く残しています 。

このあたりから、だんだんと薩埵峠に向けて道が登り始めます。青い海と空のコントラストが実に気持ち良い景色です。薩埵峠からの富士山にも自然と期待が高まりますね。


絶景と歴史の「間の宿」西倉沢エリア
由比宿から薩埵峠へ向かう途中にある「間の宿 西倉沢」。ここは江戸時代、峠越えを控えた旅人たちの休憩地として栄えた場所で、まさに歴史とグルメの宝庫です。
桜えび・磯料理 くらさわや
薩埵峠の登り口に差し掛かる前に、どうしても立ち寄りたかったのが1950年創業の桜エビの料理の老舗「くらさわや」です 。『美味しんぼ』にも登場した名店で、駿河湾を見下ろす絶好のロケーションにあります 。
隠れ家的な立地でありながら、連日行列ができるほどの人気店です。観光シーズンや大型連休には周辺が混雑することもあるそうです。

柑橘類の無人販売
西倉沢の集落に入っていくと、家の軒先に「スルガエレガント」や「はるみ」といった柑橘類が直売されていました。この地域は日本一気候が温暖とも言われ、多種多様な柑橘類が栽培されているんです。
店頭で購入すると1個200円程度はする高級品が、なんと5、6個入りでたったの200円!
果物好きの妻は目を輝かせ、すぐさま購入。
軽量の「はるみ」を選んでくれたのは私に対する優しさでしょうか。
甲州街道の勝沼宿で、ずっしり重いブドウを背負わされて歩いた記憶がフラッシュバックしました。結局僕が背負うのね……。

八阪神社
急な階段の「八阪神社」が目に留まったので一枚。階段というより壁ですね。
登った先から駿河湾が一望できるようですが、怖いのでやめておきました。


鞍佐里神社
日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説が残る「鞍佐里(くらさり)神社」が見えてきます 。伝説によれば、日本武尊が東征の際に賊の焼き打ちに遭い、鞍の下に隠れて難を逃れたものの、鞍は燃え尽きてしまったため「鞍去(くらさり)」という名がついたと伝えられています。

脇本陣 柏屋
由比宿と興津宿の間で、重要な休憩所としての役割を果たしたのがこの「脇本陣 柏屋」です。大名や公家、幕府高官などが宿泊した本陣がいっぱいの際や、身分の高い武士が利用した場所ですね 。こちらも1998年に国の登録有形文化財に指定されています


望嶽亭 藤屋
この西倉沢で絶対に外せないのが、室町時代から続く茶亭であり脇本陣でもあった「望嶽亭 藤屋」です 。ここは単なる古い建物ではありません。慶応4年(明治元年・1868年)、江戸無血開城に向けた西郷隆盛との会見のため駿府へ向かっていた幕臣・山岡鉄舟が、官軍に追われてこの蔵座敷に隠れました。そして、床下の隠し階段から脱出し、地元の漁師の舟で清水港へ逃れて命拾いをしたという、まさに日本の歴史の転換点となった舞台なのです。鉄舟が逃げる際に置いていったとされる、フランス製の「十連発ピストル」が今もここで見学できます。



昔は離れのお部屋から富士山がすっごくキレイに見えたから、「望嶽亭(ぼうがくてい)」って名前がついたんだブ〜!江戸時代には偉い人たちが休む「脇本陣」っていうお仕事もしていて、たくさんの旅人や歴史的な有名人がここでひと休みしたんだブ!あの有名な歌川広重さんの浮世絵「由井」にも、当時の建物がそのまま描かれているくらい、東海道の大人気スポットだったんだブ!
江戸日本橋から四十里目「由比西倉沢一里塚」
「望嶽亭 藤屋」の前、薩埵峠の上り坂手前にあるのが、江戸から数えて40番目にあたる西倉沢の一里塚跡です 。現在は石碑や説明板が残るのみですが、ここからいよいよ峠越えが始まるという、当時の旅人の緊張感が伝わってくる場所です。

息を整え、いよいよ東海道三大難所の一つ、薩埵峠へ足を踏み入れます。

駿河湾の穏やかな景色とは対照的に、容赦のない急勾配の坂道が続きます。坂道の両側には、たわわに実るミカン畑が一面に広がっていました。海風が心地よく吹き抜ける温暖な気候と、水はけの良い南向きの急斜面。歩くには過酷な地形ですが、甘くて美味しいミカンを育てるにはこれ以上ない絶好の条件なのです。

薩埵山合戦場
急な坂道を登り薩埵峠の頂上付近に近づくと、ここが「薩埵山合戦場」であったことを示す案内板が現れます。南北朝時代の観応の擾乱(足利尊氏と直義の戦い)や、戦国時代の武田信玄と今川・北条連合軍の抗争など、幾度となく激戦が繰り広げられた軍事的要衝です。右は険しい山、左は海というこの狭い地形は、大軍勢を食い止めるには絶好の天然の要害。
ふくらはぎがパンパンになるほどの登り坂を前に、妻もすっかり無口の「無の境地」に入っていました。今でこそ平和な絶景ポイントですが、当時は血で血を洗う戦場だったのですね。


薩埵峠
そしてついに到着した薩埵峠の展望エリア!目の前には、駿河湾の深い青、そして見事な富士山!……のはずでしたが、無情にも富士山が見えるはずの場所には厚い雲がべったりとかかっていました(泣)。
スピードを上げて頑張って登ってきたのですが、山の天気ばかりはどうしようもありません。ベンチに座って、先ほど無人販売で購入した「はるみ」を食べながら、しばらく雲が晴れるのを待ってみることにしました。


20分ほど粘ってみましたが、結局富士山は姿を現してくれませんでした。しかし、疲れを癒やす甘いミカンと眼下に広がる美しい景色を楽しめたということで、前を向いて先に進むことにしました。悔しさを滲ませながら、再訪を誓ったのでした。

薩埵峠 展望台
左手に青い海を眺めながら、また歩き始めます。

また少し歩くと「薩埵峠 展望台」が現れました。
歌川広重の『東海道五十三次 由井』に描かれたのは、まさにここからの景色です。
「もしかしたら、ここからなら富士山が見えるかも…!」と淡い期待を抱きましたが、5分程度歩いただけで天候が劇的に変わるはずもなく、やはり富士山はお預け。

富士山は見えなかったものの、眼下には、国道1号線、東名高速道路、東海道本線という日本の大動脈が束になって走る様子が見渡せます 。歌川広重が描いた浮世絵の景色に、現代の巨大インフラが重なるこの圧倒的なコントラスト 。苦しい登り坂を耐え抜いた者だけが味わえるご褒美でした。

薩埵峠の標柱 東屋
興津宿へ向けて進む道中には、東屋や標柱・古い石碑が点在しています 。

難所と恐れられた場所でありながら、この風光明媚な景色は今も昔も変わらず大切にされ、多くの旅人に愛され続けているのだと実感します。



峠を越えて興津宿へ
絶景をしっかりと目に焼き付け、峠を下っていきます。木立を抜け、墓地の間を通り抜けてアスファルトの坂道を下りきると、急峻だった薩埵峠もいよいよ終わりを告げます。

江戸日本橋から四十一里目「興津一里塚」
興津川を渡り興津宿のエリアに入ると見えてくるのが「興津一里塚跡」です 。

石碑のみが歴史の記憶を留めています 。

その先、興津駅前の交差点で11日目の旅は終了です。

今回は、薩埵峠の絶景越えまで、五感をフルに刺激される濃密な道のりでした。江戸時代の旅人の息遣いや、幕末の志士たちの熱いドラマが、この街道のそこここに確かに残っています。準備不足では少しキツい難所ですが、それ以上の感動が待っているはずです。皆さんもぜひ、しっかりと装備を整えて歴史の道を歩いてみてくださいね!次回は、清見寺など見どころ満載の「興津宿」をじっくりと巡ります。お楽しみに!
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