こんにちは。ぶ~ちゃんです。
江戸時代の息吹を感じる旧東海道歩き旅、いよいよ11日目に突入しました!今回は静岡県の富士駅から興津駅を目指す、見どころ満載の道のりをお届けします。
かつての旅人が命がけで渡った日本三大急流・富士川を越え、風情漂う間の宿「岩淵」へ。アスファルトを踏みしめる足音や川の匂いなど、皆さんも私たちと一緒に街道を歩いているような臨場感を味わってみてくださいね。
東海道歩き旅11日目-1
旧東海道歩き旅へ!富士駅から歴史の道を出発
朝の清々しい空気の中、本日のスタート地点である富士駅に降り立ちました。駅前からは、朝日に照らされた富士山がくっきりと美しい姿を見せてくれています。少しずつ空気が静まり、古い町並みの気配が漂い始めます。


栄立寺
最初に立ち寄ったのは、日蓮宗の寺院である「栄立寺」です。かつて日賢上人がここを拠点にして教えの普及に努めた場所と伝えられています。一歩境内に入ると、ふっと外の騒音が遮断され、心地よい静寂に包まれます。

金正寺
栄立寺のすぐ近くに位置するのが「金正寺」です。宝暦13年(1763年)の創建とされ、駿河の大地主であった名家・松永家の菩提寺として地域に根付いてきました。見上げるほど立派な山門の前に立つと、当時の松永家の威光がひしひしと伝わってきます。

旧松永邸跡 明治天皇行幸の休憩所
金正寺の隣接エリアにったのが「旧松永邸跡」です。
松永家は、江戸幕府の直参である旗本・日向氏の知行地管理を請け負い、この広大な屋敷内に陣屋を構えた大名家並みの名家でした。
実は、当時の建物自体は現在「富士山かぐや姫ミュージアム」の屋外展示エリアに移築されているそうです。ここはその跡地となりますが、江戸時代が終わった後、明治天皇行幸の際の休憩所としても記録されています。
永松邸があった場所あたりからきれいな富士山が見えました。

札ノ辻跡
旧松永邸跡からすぐ先の橋を渡った傍らに、「札ノ辻」と書かれた小さな案内板がひっそりと立っています。ここがかつての村の中心であり、情報発信の拠点だったことがうかがえますね。

大河に挑む!日本三大急流・富士川の難所へ
市街地を抜け、いよいよ東日本最大級の急流、富士川が近づいてきました。ひらけた視界とともに、川面を撫でてきた風が頬を打ちます。
水難の恐怖と安全への祈り:架橋を許されなかった大河
江戸幕府は、江戸防衛という軍事的な観点から、富士川をはじめとする東海道の主要河川への架橋を固く禁じていました。そのため旅人たちは、どんなに流れが速くても小さな舟で激流を渡るしかなく、ここはまさに「命がけの難所」だったのです。
水神社と富士川渡船場跡碑
土手を登ると、富士川の東岸にひっそりと鎮座する「水神社」が見えてきます。暴れ川であった富士川の水神を鎮め、航海の安全を祈願するために祀られました。

そして、その水神社の境内には「富士川渡船場跡碑」が建てられています。ここがまさに、当時の旅人たちが震える足で小舟に乗り込み、対岸の岩淵へと漕ぎ出した出発点です。自然の猛威と幕府の政治的統制の狭間で、過酷な旅を強いられた交通事情の歴史的証拠です。


富士川橋
渡船の歴史に思いを馳せた後、現在はそのすぐそばに架かる「富士川橋」を渡ります。
近代に入りこの鉄橋が架けられたことで、数百年続いた命がけの渡船の歴史は終わりを告げました。交通インフラが劇的な変革を遂げた象徴ですね。
足元を流れる急流を見下ろし、対岸の岩淵を目指して歩みを進めます。 少なくともこの日の富士川はかなり穏やかだったようです。

しかし、ここで少し心配な出来事が。朝はあんなにくっきりと見えていた富士山の頭が、雲に覆われて少ししか見えなくなってしまったのです。
実はこの日、午後から少し天気が崩れるとの予報。本日後半のメインイベントである薩埵峠では、果たしてきれいな姿を見せてくれるだろうかと、歩き旅特有の天候への不安を抱えつつ、対岸の岩淵を目指して歩みを進めました。

江戸時代の面影を色濃く残す間の宿「岩淵」
富士川を無事に渡りきると、西岸の岩淵エリアに入ります。ここから急な坂道が続くのですが、妻は「なんだか昔の町並みが見えてきたよー!」と軽い足取りでスタスタと歩いていきます。
一方の私は、旧坂に苦労して重い足を引きずる始末…。日頃の運動量の差をまざまざと見せつけられつつ、坂の途中で振り返って見下ろす富士川の景色に、歩き旅ならではの確かな達成感を感じました。

岩淵は、正規の宿場である吉原宿と蒲原宿の間に位置する「間の宿」でした。大名の宿泊は原則として禁じられていましたが、富士川の渡渉前後に休憩をとるための小休所として独自の発達を遂げた背景があります。

岩淵小休本陣(常盤邸)
岩淵で絶対に見逃せないのが、国登録有形文化財にも指定されている「小休本陣常盤家住宅(岩淵小休本陣)」です。ここは東海道と身延道(身延山久遠寺への参詣道)が交差する交通の要衝で、大名の休憩施設として特別に利用されました。

現存する主屋などの建物は、1854年の安政東海地震で倒壊した後に改築されたもので、激甚災害からの復興建築としての歴史的価値も備えています。庭園には富士市指定文化財である樹齢を経た巨大な槇(根回り6m、高さ10m)が天を突くように聳え立っており、当時の権威と威容を今に伝えています。現在は富士山かぐや姫ミュージアムの管轄で、土日祝日は観覧無料で一般公開されています(平日は予約制)。
この日は平日で公開されていませんでした。

江戸日本橋より三十七里目「岩淵の一里塚」
小休本陣から500mほど歩くと、街道の傍らにこんもりと土が盛られた「岩淵の一里塚」が現れます。街道の左右に土の塚がそのままの形で残っている、非常に珍しく貴重なスポットです。間の宿としての重層的な景観を美しく保っており、当時の旅人と肩を並べて歩いているような不思議な錯覚に陥ります。


その先、東名高速道路に跨道橋を渡ります。こんなところにも東海道である印がありました。

光蓮寺
坂を下っていく途中に「光蓮寺」が見えてきます。
このお寺には、ちょっと切ない歴史ロマンが隠されています。源義経を慕い、彼を追って旅に出たものの、この地で力尽きて倒れたとされる「浄瑠璃姫(じょうるりひめ)」の伝説が色濃く残されているのです。
境内には姫を弔う供養塔が静かに佇んでおり、現在でも毎年4月29日には地域を挙げて「浄瑠璃姫祭礼」がしめやかに営まれているそうです。


今回は、旧東海道歩き旅11日目のスタートとして、富士駅から大河・富士川を越え、歴史情緒あふれる間の宿・岩淵までの道のりをお届けしました。
次回は、この先へさらに足を進め、なまこ壁の家々や、大正ロマン漂う洋風建築がそのまま残る、第15の宿場町「蒲原宿」へと向かいます!
さらに魅力的な旧東海道の風景をご紹介しますので、ぜひ次回もお楽しみに!それでは、また街道でお会いしましょう!
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