こんにちは、ぶ~ちゃんです。
今回は静岡県にある「久能山東照宮」へ足を運んできました。日光街道142kmを歩き通し日光東照宮へ詣でた私たちにとって、家康公の始まりの地である久能山は、どうしても自分たちの足で訪れたい特別な場所でした。
今回はロープウェイを使わず、大名たちも登った山下の表参道(石段)から最奥の神廟を目指します。道中の絶景と歴史ロマンをお届けします!
駿河湾の潮風を切る!三保の松原から久能山へのアプローチ
今回の旅の起点は、前回散策した世界遺産構成資産でもある「三保の松原」です。青い海と緑の松林、そして富士山のコントラストを目に焼き付け、ここから久能山の麓へと向かいます。
三保の松原から海沿いサイクリング
徒歩の私たちの旅路において、現地でのシェアモビリティは最大の味方です。今回は「HELLO CYCLING」のシェアサイクルを利用しました。
駿河湾の心地よい潮風を感じながら、平坦な海沿いルートを走ること約30分。徒歩とは違う爽快感に包まれ、普段は体力温存第一の妻も「電動アシスト最高〜!」とご機嫌でペダルを漕いでいました。
※久能山東照宮までの海沿い区間にはステーションがないため、返却予約とバッテリー残量の確認は必須です!

石垣いちご農園と絶品カフェ
久能山の麓、国道150号線沿いに到着すると、山の斜面を利用した「石垣いちご」のビニールハウスがズラリと並んでいます。これから待ち受ける1159段の石段に備え、まずは農園併設のカフェで腹ごしらえです。頼んだのは、いちごがこれでもかと乗ったパフェと「家康パフェ」。


石垣いちごがキラキラ輝く「家康パフェ」、控えめに言って最高だブ!太陽の恵みをたっぷり浴びた真っ赤な石垣いちごをパクリといくと、口の中でジュワッと甘い果汁が溢れ出して、程よい酸味とのバランスがもう絶妙なんだブ〜!ひんやり滑らかで甘〜いアイスといちごの最強タッグが美味しすぎてたまらないブ!
こんなに美味しいパフェでパワーチャージしたら、石段1000段だってスキップしながら余裕で登れちゃうブ!
いざ、家康公の聖地へ。1,159段の表参道ルート
徳川家康公を祀る全国の東照宮の始まりであるこの場所。日本平からのロープウェイも便利ですが、歴史の重みを足でしっかりと感じたい私たちは、迷わず表参道の石段ルートを選択しました!
表参道の入り口(1,159段の石段)
表参道の入り口にある石柱をくぐると、いよいよ神域への旅がスタートします。待ち受けるのは、「いちいちごくろうさん」の語呂合わせで知られる1,159段の石段です。神職の方々も毎日この石段を歩いて通勤されているそうです。


つづら折りの石段を登り始めてすぐに気づくのは、この山がただの霊山ではなく、極めて険しい「要害」であるということです。

一の門
息を切らしながらつづら折りの石段を900段ほど登ると、ついに「一の門」がお目見えします。ここでふと振り返ると、眼下には駿河湾の大パノラマが広がっていました。徒歩で登り切った者だけが味わえる、吹き抜ける風の心地よさと絶景のご褒美です。


敵の接近を一望できるこの天然の要塞を、家康公は深く愛し「駿府城の本丸」と称しました。一段一段登ることで、この山がただの霊山ではなく、極めて堅固な「要害」であったことが肌で理解できます。

さらに続く石段を登った先に社務所が現れます。

社務所・売店・
さらに続く石段を登った先に社務所が現れます。
日本平ロープウェイの山頂駅もあります。
ここで拝観料を納め、いよいよ豪華絢爛な神域の核心部へと足を踏み入れます。


楼門
社務所の受付を過ぎると最初に現れるのが、石段の上にそびえたつ朱塗りの楼門です。
「東照大権現」と書かれた後水尾天皇の扁額が掲げられています。
平和の象徴である獏の彫刻も施されています。


愛馬の伝説と神厩
楼門を過ぎた左手には、名工・左甚五郎の作と伝わる木像の神馬が納められた「神厩」があります。家康公の愛馬は主人の死を悲しみ、神廟の裏手で息絶えたため、そのすぐ近くに埋葬されたという忠馬伝説も残っています。

久能山東照宮 御社殿(本殿・石の間・拝殿)
さらに歩みを進めると、いよいよ久能山東照宮の中心、「御社殿(本殿・石の間・拝殿)」に到着します。


二代将軍・秀忠公によって1617年に建立されたこの建物は、江戸時代の代表的な建築様式「権現造」の元祖として、国宝に指定されています。朱塗りの柱に輝く金箔、極彩色の精巧な彫刻の数々は、時間を忘れて見入ってしまうほどの圧巻の美しさです。

絢爛豪華で圧倒的なスケールを誇る日光東照宮(陽明門など)に比べると、久能山はコンパクトにまとまっています。極彩色で美しい彫刻が施されつつも、どこかピリッとした武廟としての緊張感、「戦国武将・徳川家康」の息遣いが色濃く残っているように感じました。

徳川宗家が参拝する最奥の聖地「神廟」
きらびやかな社殿を拝観した後は、さらに奥へと続く階段を登り、家康公の墓所「神廟(しんびょう)」を目指します。静寂な森に包まれたこの場所は、非常に質素で厳かな空気に満ちています。


神廟(家康公の墓所)
家康公の御遺骸が納められているとされる「神廟(しんびょう)」です。華やかな社殿とは対照的に、非常に質素で厳かな空気に満ちた宝塔が建っています。
西を向いて眠る神廟ですが、伝承によれば、家康公は西日本へ睨みをきかせるため、西を向いた立ち姿で埋葬されたとも言われています。家康公の御遺骸が今も静かにこの地で眠っている……そう想像すると、また違った感慨が込み上げてきますね。

愛馬の墓
神廟のすぐ側には、先ほど神厩で触れた家康公の愛馬のお墓がひっそりと佇んでいます。主の死後、この馬は夜な夜な墓のそばまで現れ、最後はその場所で息絶えたため、家康公のすぐ近くに埋葬されたという忠馬伝説が残っています。

本当のお墓はどっち?
歴史ファンのあいだで盛り上がるのは「家康の遺体は今、どちらにあるのか」ということです。
家康公の遺言の通りならば「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を建てて勧請せよ」というものでした。
実際に一周忌に久能さんから日光へ遺体を移動させる儀式が行われましたが、「実は移動したのは御霊だけで、肉体は今も久能山の下に眠っている。」という説と、「遺体ごと日光へ改葬された」という説があります。
家康公のお墓といえば「日光東照宮」を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は現在も徳川宗家の方々が4月17日の命日にお墓参りをされるのは、日光ではなくこの「久能山」なのです。
みなさんはどちらだと思いますか。
日光へと続く家康公の壮大なレイライン
久能山東照宮から富士山の山頂を通る直線を北東へ伸ばしていくと、徳川発祥の地である群馬県の「世良田」を通り、日光東照宮へと行きつきます(不死の道・レイライン)。
その出発点に、今自分たちが立っている。日光街道を踏破した記憶と、今歩いている東海道の道のりが、家康公の歴史の上で交差したような深い感動を覚えました。

二人の将軍の競い合いが生んだ関係
久能山、日光、2つの東照宮の規模には二代秀忠と、三代家光の思惑が絡んでいます。
久能山東照宮は息子(秀忠)の最高傑作
二代将軍秀忠が、亡き父のために当時の最高技術を集めて建てたのが久能山東照宮です。これが全国にある東照宮のオリジナル(原型)となりました。
日光東照宮は孫(家光)の熱狂の産物
おじいちゃん子で家康を神として崇拝していた三代将軍家光が、家康を神と崇拝していた三代将軍家光が、もともとは小さかった日光のお堂を「寛永の大造替」によって、総工費数千億円ともいわれる絢爛豪華な現在の姿へ建て替えました。
四百年動かぬ奇跡の「洋時計」と、意外な見どころ
参拝を終えたら、境内の周辺スポットにもぜひ立ち寄ってみてください。
久能山東照宮博物館
社務所・売店の近くにあります。
徳川家康公のリアルな息遣いを伝える手沢品や、「ソハヤノツルキ」などの歴代将軍の名刀、さらには外交史を物語る、スペイン国王から家康公に贈られた世界的に超希少な「洋時計」(重要文化財)が展示されています。1581年にスペインで作られ、なんと部品も交換されないまま400年以上の時を経て現代に残る奇跡の時計です。

プラモデル展示コーナー
神楽殿の片隅にあります。さすがは「模型のまち・静岡」。境内にはガンダムや天守閣などの精巧なプラモデルが飾られております。
久能山東照宮におけるプラモデル展示は、単なる現代のコラボレーションではなく、徳川家康が静岡に集結させた職人たちの木工技術が今日のプラモデル産業へと受け継がれているんです。

おわりに
ついに辿り着いた家康公の始まりの地、久能山東照宮。日光と久能山、ふたつの東照宮を「歩いて」繋ぐことができたのは、徒歩旅ならではの大きな収穫でした。
1159段の石段を一歩ずつ登るごとに、400年前の武将たちが見たであろう駿河湾の絶景と、歴史の重みを肌で感じることができました。ロープウェイの便利さも魅力的ですが、自分の足で苦労して登り切ったからこそ得られる達成感と、そこで吹き抜ける風の心地よさは、やはり徒歩旅ならではの醍醐味です。皆様もぜひ、家康公の足跡をたどる旅に出かけてみませんか。
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