東海道歩き旅!8日目②「箱根宿」

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こんにちは、ぶ~ちゃんです!

箱根の厳しい峠を越え、いよいよ旅は三島側へと下る「箱根西坂」へと入ります。かつての旅人たちも、峠を越えた安堵感と共にこの景色を眺めたのでしょうか。今回は、歴史的な遺構が色濃く残る山中城跡を目指し、情緒あふれる石畳の道を一歩ずつ踏みしめていきます。富士山を望む絶景と、足の裏から伝わる石畳の振動。五感で感じる街道の風を、皆様にもお届けします!

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東海道の旅 8日目-2

箱根峠の頂上付近にある峠茶屋。ここからは、いよいよ三島宿へ向けての長い下り坂が始まります。

三島宿への道中

峠茶屋の裏手(西側)に続く旧道へと足を進めます。かつての旅人が必ず通ったであろうこの道ですが、少し進むと左手に看板が現れました。
確認すると、令和元年の台風被害により旧街道が通行止めになっているとのこと。数年経った今も復旧していない様子を見ると、当時の被害の大きさが伺い知れます。

大型トラックが横を通り抜ける現代の道。歩道は整備されていますが、旅人以外に歩く人はおらず、枯草がぼうぼうと茂る様子に、少しだけ心細さを感じながら進みます。

道中、フェンスで閉鎖された旧道の出口を見つけ、街道を守ることの難しさを改めて感じました。

接待茶屋の一里塚跡

国道沿いを200mほど歩くと、視界に立派な塚が現れます。これが「接待茶屋の一里塚(山中一里塚)」です。江戸日本橋から数えて26番目。かつてこの場所には、生活に困窮した旅人に粥や焚き火を振る舞う「接待茶屋」があったことから、その名がついたと言われています。

かぶと石

一里塚のすぐ近く、道端にどっしりと鎮座する巨大な岩。これが有名な「かぶと石」です。1590年、豊臣秀吉が小田原攻めに向かう際、ここで兜を置いて休息をとったという伝説が残っています。
歴史の主役たちが実際にこの石に触れ、天下統一への策を練ったのかもしれない……そう思うと、ただの岩が特別な光を放って見えてくるから不思議です。

明治天皇御小休趾碑

さらに道を進むと「明治天皇御小休趾碑」が静かに立っています。江戸から明治へと時代が変わっても、この箱根越えが要所であったことを物語っています。こんな山深い場所で休息を取られた天皇の旅路を想像すると、当時の移動の過酷さが偲ばれます。

ここからは再び、東海道らしい石畳の道へと入っていきます。頭上を覆う木々が外光を遮り、あたりはしっとりとした静寂に包まれます。

念仏石

道端にひっそりと置かれた念仏石。これは箱根越えの途中で行き倒れた不運な旅人を供養するため、宗閑寺が祀ったものです。華やかな旅の裏側にある、街道の厳しさを物語っています。

その先もしばらく石畳の坂が続きます。

大枯木坂

周囲を深い緑に囲まれた「大枯木坂」。一歩ずつ標高を下げていく感覚が、足の裏に伝わる振動から分かります。

またしばらく下っていくと、1号線にぶつかります。
歩行者用の横断歩道があります。坂道でもあり、あまり人が横断するような場所ではないためか、車がビュンビュンと通りすぎていきます。

小枯木坂

大枯木坂に続くこの道は、平成に入ってから美しく整備された石畳が続いています。かつてこの地にあったとされる「願合寺」というお寺に思いを馳せながら、杉並木の間の柔らかな光を浴びて進みます。

雲助徳利の墓

車道への出口付近に「雲助徳利の墓」があります。
この墓の主とされる人物は、松谷久四郎という名の雲助です。
墓石に刻まれた徳利と盃は、彼の酒好きと、仲間たちの温かい人情を今に伝えています。

ブーちゃん
ブーちゃん

久四郎は、ただのお酒好きなおじさんじゃなかったんだブ!実は元お侍さんで、とっても強くて賢かったんだブ。仲間がいじめられたら強い腕っぷしで守ってくれたし、字が読めない仲間のために手紙を書いたり、相談に乗ったりして頼られていたんだブ。それに、困っている人がいたら自分の大切なお金を使って助けてあげるくらい、心が広くて優しい人だったんだブ。みんなの人気者でヒーローだったんだブね!

諏訪・駒形神社

車道を渡ると「諏訪・駒形神社」の鳥居があります。
鳥居の前には「中山城址」の石柱と案内板もありました。

山中城跡

「山中城跡」は、北条氏が誇る最高峰の築城技術を目の当たりにできる場所です。特に有名なのが、ワッフルのような見た目をした「障子堀」。現代に伝える、歴史的・技術的価値の非常に高い史跡です。

天下統一を目指す豊臣秀吉の「小田原攻め」が始まると、山中城は最前線となります。北条方は急ピッチで堀や砦を大改修して備えましたが、約4,000の守備兵に対し、豊臣秀次率いる約7万の大軍が押し寄せました。苛烈な防戦の末、圧倒的な兵力差によりわずか半日で落城し、多数の武将が討死しました。

宗閑寺

山中城の三の丸跡に建つ「宗閑寺」。この寺は、戦いで討ち死にした北条方の副将・間宮康俊の娘「お久」が建立しました。
特筆すべきは、お久が敵味方の区別なく、この地で命を落としたすべての兵士を供養したという点です。戦国の世にあって、宗派や陣営を超えた深い慈愛の心が根付いています。

目に留まったキロポストの数字は108km。甲州街道の全行程の約半分です。
ゴールまでは遠いですが、まだまだ面白い旅が続けられると思うことにします。

芝切地蔵尊

宗閑寺から100mほど歩いたところに「芝切地蔵尊」が現れます。

ブーちゃん
ブーちゃん

芝切地蔵尊にまつわる、お腹の病気を治してくれる、とっても優しいお地蔵様のお話だブ!

ある夜、宗閑寺に泊まった旅人が、急にお腹が痛くなって亡くなってしまったんだブ。
でもその旅人は、死ぬ間際に「僕を芝の上で地蔵として祀ってほしいブ。そうすれば、みんなの病気を治してあげるブ」って約束してくれたんだブ!

今でも「芝切地蔵尊」として大切にされていて、お祭りのお札は腹痛によく効くと評判だブ。昔は三島まで行列ができるほど大人気だったんだブ。旅人の優しさが詰まった、あったかいお話だブ!

山中城跡案内所・売店

車道を横断したところにある「山中城跡案内所・売店」。今回は立ち寄りませんでしたが、箱根西坂では数少ない貴重な食事処・休憩スポットです。まだまだ長い下り坂が続くので、体力に不安がある方はここでしっかり息を整えておくことをおすすめします。

箱根八里記念碑

案内所の裏側に続く石畳です。

杉並木に入っていきます。若い杉なのでしょうか。背は高いですが、幹は細いですね。

アスレチックタワー ドラゴンキャッスル

杉並木を過ぎ、再び車道が見えたところで、ポップな音楽が聞こえはじめました。右手に見えてきたのは、富士山を望む絶景を活かした日本最大級のアスレチックタワー「ドラゴンキャッスル」です。
何百年も前の石畳を歩いてきた直後に、こうした現代の巨大なレジャー施設が現れるギャップも、街道歩きならではの面白さですね。

天候による営業制限という屋外施設特有の制約はあるようですが、子供も大人も楽しめそうな施設ですね。

菊池千本槍の碑

1号線を横断した左手に「菊池千本槍の碑」があります。
南北朝時代の「箱根・竹ノ下の戦い」において、菊池武重が竹の先に短刀を付けた新兵器(槍)を用いて奮戦した歴史を顕彰する石碑です。

再び下り坂に入る手前、雲の隙間から美しい富士山が姿を現してくれました。街道歩きの疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれる、最高のご褒美です。

箱根西坂の石畳には、歩くほどに引き込まれる深い歴史と人々の温かいドラマが詰まっていました。次回はいよいよ三島宿の市街地へと突入します!歩き旅に興味を持たれた方は、ぜひご自身の足でもこの歴史を体感してみてくださいね。それでは、次回の記事でお会いしましょう!

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