東海道歩き旅!2日目①「川崎宿」

東海道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

東海道歩き旅も、いよいよ2日目。今日は、東海道五十三次の中でも庶民文化が色濃く残る「川崎宿」を皮切りに、神奈川宿、保土ヶ谷宿と歩みを進めます。

かつて多摩川を渡った先に広がっていた川崎宿は、東海道第二の宿場町として人と物の流れが交錯した要地。その後の道中では、横浜の発展に繋がる港町・神奈川宿や、坂道と寺社が特徴的な保土ヶ谷宿など、風情の異なる宿場が続き、足を進めるたびに新たな表情を見せてくれます。今回はそんな道のりの中で出会った風景や歴史、そして街道歩きの楽しみをご紹介していきたいと思います。

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東海道の旅 2日目-1

「川崎宿」への道中

7:30
前回終点の最寄り駅「六郷土手」からの出発です。

六郷の渡し跡

早速、六郷土手駅からすぐ、多摩川に向かった路地に入っていくと「六郷の渡し跡」案内板があります。

江戸時代、東海道が多摩川を渡る重要な渡船場でした。1600年に六郷大橋が架けられるも1688年の洪水で流失し、1874年まで約190年間、渡船による渡河が続きました。明治元年には明治天皇が京都から東京へ行幸する際に渡御のために舟橋が設けられました。明治7年に六郷橋が再建され、近代のコンクリート造りの橋ができたのは1925年渡にできたということです。

多摩川を渡るのは一苦労だったようですね。

北野神社(止め天神)

六郷の渡しの案内板の隣にあるのが「北野神社」です。

創建年代は不明ながら江戸時代中期には既に存在していました。八代将軍徳川吉宗が付近で落馬を免れた際、この神社の加護とされ、「止め天神」と呼ばれるようになりました。以来、災難除けの神として信仰を集め、特に「落ちない」ご利益から学業成就を願う人々が多く訪れているそうです。

塚には絵馬がたくさん掛けられていますね。

旧六郷橋 ・ 橋門と親柱

その先北野神社の隣、六郷橋の袂の公園に「旧六郷橋の橋門」があります。
この公園には六郷橋の歴史や、下流域に生息する魚などの案内がありました。

そして旧六郷橋の橋門と親柱があります。堂々として存在感がありますね。


そしてようやく、1日目の終了地点「六郷土手交差点」です。
土手に出る階段を上り、橋側歩道を進んでいきます。

開けた景色は気持ち良いですね。今日も一日頑張ろう!という気持ちにさせてくれます。
この景色の先は羽田空港です。江戸時代とは全く違う景色になってしまっているんでしょうね。

六郷橋を渡って「神奈川県」に入ります。

川崎側の六郷橋欄干には渡船のモニュメントがありました。

橋詰には「明治天皇六郷渡御碑」と、ハトまみれの「川崎大師灯篭」が建っていました。
ハトたちはここからの景色がお気に入りなんでしょうかね。

案内板の通り、橋の下をくぐって進んでいきます。

東海道と逆側(東側)は大師道となっていて、進んでいくと厄除で有名な「川崎大師」にたどり着きます。

日本橋から二番目の宿場町「川崎宿」

8:00
何度か訪れたことのある川崎駅界隈ですが、歩き旅として訪れると全く別の町に来たような感覚になります。早朝ということもあって、いつも賑わいを見せている街も静かです。

ブーちゃん
ブーちゃん

川崎宿は1623年に、品川と神奈川の負担を減らすためにできた宿場ブ!最初は新宿と砂子の2町から始まって、あとから久根崎と小土呂町も加わって4つの村でできてたブ。全長は約1.5kmで、最盛期には旅籠が72軒もあったんだブ!

川崎稲荷社

「川崎稲荷社」はビルやマンションに囲まれた場所にこじんまりと佇んでいます。

川崎新宿の稲荷として、昔から地元の人々に親しまれてきましたが、残念ながら戦争による火災で社殿などが焼けてしまい、創建当時の詳しい記録は残っていません。
徳川吉宗が八代将軍として江戸に向かう途中、この神社のある地で休んだといわれており、その由緒の深さがうかがえます。

田中本陣跡

新しいマンションの玄関口に「田中本陣」があったことを示す案内板があります。
田中本陣は、川崎宿ができた初期から幕末までの長いあいだ、重要な役割を果たしてきました。本陣当主・田中休愚の尽力で宿場の財政は立て直され、川崎宿はその後ますます発展していくことになったそうです。


「東海道川崎宿」交差点を過ぎてすぐ左側に、「東海道かわさき宿交流館」が見えてきます。

ここは、かつて東海道の宿場町としてにぎわった川崎宿の歴史や文化を知ることができる施設で、雰囲気もありますね。展示もあって、旅の休憩もできます。東海道のことをもっと深く知りたい方は、ぜひ立ち寄ってみてください。

宗三寺

京急川崎駅前通りと交わる交差点の一角に「宗三寺」があります。
宗三寺は、川崎宿にあるお寺の中でも最も古いといわれている由緒あるお寺です。
かつてこの宿場町で働き、旅人をもてなしていた飯盛女たちの供養塔があります。当時の町の賑わいを今に伝える貴重な存在です。


川崎宿を歩いてみると、品川宿同様に宿場町の歴史を示してくれる案内板や標識がたくさんあることがわかります。

JR川崎駅から伸びる駅前通りを歩いていくと、砂子交差点に「東海道川崎宿」の碑が建っています。

碑のそばには松の木も植えられていて、ちょっとした風情を感じられるスポットになっています。街中にありながらも、東海道の歴史をしっかり残していて、存在感がありますね。
交差点を渡った後にも、宿場町をアピールする案内が多数ありました。

2023年、宿場町誕生400年のプロジェクトがあったようです。

ブーちゃん
ブーちゃん

川崎宿起立400年プロジェクトは、2023年に川崎宿の誕生から400年を記念して行われた地域主導のイベントだったブ!川崎宿の歴史や文化に触れる絶好の機会だったブね〜!

佐藤本陣跡・佐合惣之助碑

「佐藤本陣跡」の案内板は、ビルのガラス越しという少し見つけにくい場所に設置されていました。道沿いばかりに目を向けていたため、なかなか見つけられずウロウロしてしまいました。

佐藤本陣跡の向かい側、川崎信用金庫の敷地内に「佐藤惣之助生誕の地」碑がありました。

ブーちゃん
ブーちゃん

佐藤惣之助は川崎宿の本陣の家に生まれた詩人・作詞家ブ!モダンで自由な詩を書き、川崎への愛から『川崎小唄』や『川崎音頭』も作ったブ!『赤城の子守歌』『青い背広で』『人生劇場』などヒット曲も多くて、情感あふれる歌詞で人気を集めたんだブ!51歳で亡くなるまでに660曲以上も手がけたってすごいブ!


飲食店が立ち並ぶ通りを抜けると、南側の駅前通りに出ます。

この交差点の一角に静かに佇んでいるのが「小土呂橋の親柱」です。
この新川通りには、海へと続く「新川堀」と呼ばれる幅5メートルほどの用水が流れていて、東海道をつなぐために架けられたのが「小土呂橋」です。小土呂橋以外にも、新川橋、さつき橋などの橋が架かっていて交差点やバス停に名前を残しているようです。


交差点を過ぎた後は少し落ち着いた街並みに変わっていきます。
そろそろ川崎宿の出口も近いようです。

少し歩いて、路地を一本北に入ったところに「教安寺」があります。


その先、電柱に「川崎宿京入口」の案内?を見つけました。
史跡センサー感度の強い妻が見つけてくれましたが、私一人だったら通りすぎていました。
川崎宿はいろいろと史跡案内してくれていたのに、最後がこれでは…ちょっと味気ないですね。

2日目の歩き旅がスタートしました。歴史と現代が交錯する東海道の魅力は、歩いてこそ見えてくるものばかり。今回は川崎宿の出口まで。次回はいよいよ神奈川宿へ続く道中です。ぜひお楽しみに!

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