日光街道歩き旅!1日目④「千住宿」 

日光街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

日光街道歩き旅1日目4回目です。

今回は「南千住」から最初の宿場町「千住宿」までの道のりを詳細にご紹介します。

かつて罪人の別れの地であった「泪橋」、吉田松陰や橋本左内ら墓がある「回向院」、そして松尾芭蕉が奥の細道へ旅立った「千住大橋」。このエリアは、歴史的な史跡と下町の情緒、近年の再開発が織りなす独特の雰囲気が魅力です。

広大な千住エリアを巡り、街道沿いの神社仏閣、芭蕉ゆかりの地を訪ねる旅の記録を通して、日光街道の歴史と文化、そして歩くからこそ出会える風景の魅力をたっぷりとお届けします。一緒に歴史ロマンあふれる日光街道の旅へ出発しましょう!

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日光街道の旅 1日目-4

江戸日本橋 つづき

14:15
泪橋」の交差点です。来た道を振り返るとまだスカイツリーが見えますね。
この交差点が小塚原刑場へ向かう囚人の最後の別れの場だったようです。

ブーちゃん
ブーちゃん

泪橋
罪人にとってこの世で最後の景色を見る場所だったブ。親族や身内にとっては、処刑者との別れの場所だったんだブ。橋の上でお互いに泪を流したから、この名前がつけられたブ。
渡ってしまえばもう二度と会えない橋で、たくさんの涙が流されたんだブね。


泪橋交差点を過ぎると線路に突き当たります。
ここには「日本貨物鉄道墨田川駅」があって、たくさんの貨物列車が停留しています。
この歩道橋を渡って北側に出ます。

線路を越えた北側は、南千住駅の南側になります。
今度は「東京メトロ日比谷線」「つくばエクスプレス」「常磐線」「上野東京ライン」の高架下をくぐっていきます。

回向院

線路を抜けたところで、金色に輝く葵の紋のある建物が目に入ってきます。「回向院」です。
行路病死者や刑死者の供養のため、1667年に小塚原刑場の傍らに開いた寺院ということです。
先ほどの「泪橋」と繋がりましたね。

ブーちゃん
ブーちゃん

回向院
安政の大獄で刑死した吉田松陰や橋本左内ら幕末の志士、鼠小僧次郎吉、片岡直次郎、高橋お伝らの墓があるブ。杉田玄白と前野良沢が、ここでの刑死者の解剖見学をきっかけに「解体新書」を翻訳したブ。それで近代医学発祥の地として観臓記念碑が建てられたんだブ。歴史満載のお寺なんだブ。


14:30
この日の気温と、浅草での人混みも相まって、体力を著しく消耗しました。
南千住の駅近くでもあったので、駅周辺で一休みすることにしました。
最近の日本は暑いです。こまめな水分補給など、熱中症対策は怠らないようにして下さい。

南千住の駅前で出会うことができました。
旅と言えばこの人「松尾芭蕉」です。千住といえば「奥の細道」の旅立ちの地ですね。

松尾芭蕉旅立ちの地にちなんで、荒川区は平成27年に「荒川区俳句のまち宣言」を行っているそうです。私たちも日光街道旅が終わる頃には俳句が詠めるようになっているでしょうか。

しばらく道なりに北上していくと、国道4号と合流します。

素盞雄神社(すさのお神社)

交差点の角に「素盞雄神社」があります。
荒川区内で最も広い氏子区域を持つ神社です。

南側が神社正面になります。

風格を感じる拝殿です。

「富士塚」です。「小塚原富士」と呼ばれており、この地域一帯が小塚原と呼ばれるようになったということです。

芭蕉碑の前には、千住大橋に見立てた石橋があります。
橋の傍らには笠と杖が置いてあります。芭蕉になり切って撮影!とはなりませんでした。

境内には見どころが色々とあって、すっかり長居してしまいました。


素盞雄神社から1分ほど歩いたところに「請願寺」があります。
こちらも歴史のある奈良時代に創建された古刹ということです。徳川家康が立ち寄ったこともあるお寺です。
私たちも少し立ち寄ってみましたが、手入れがとても行き届いている綺麗なお庭が印象的でした。

千住大橋

墨田川に架かる「千住大橋」までやってきました。
この橋を越えると「足立区」に入ります。
いよいよ最初の宿場町「千住宿」が見えてきます。

ブーちゃん
ブーちゃん

千住大橋は徳川家康が江戸城に入ってから、隅田川で最初に架けられた橋だブ。江戸時代の大橋は木橋で、長さ約120メートル、幅約7メートルだったブ。30余藩の大名行列が通っていたブ。松尾芭蕉がここから旅立ち、初めの一句を詠んだ場所でもあるんだブ。

北側に渡り終える直前。川岸何かありますね。

奥の細道 矢立初めの地

千住大橋を渡り終えた北詰にある千住大橋公園に、「奥の細道・矢立初めの地」碑があります。
46歳になった松尾芭蕉は、深川から船です隅田川を遡上してこの地から「奥の細道」への旅へと旅立ちます。

弟子の「河合曾良」と、奥州、北陸を巡る、約2400kmの旅。
日光街道旅を歩き始めたときは考えてもいなかったのですが、松尾芭蕉の足跡を辿る旅にもなるんです。

公園から階段を下り、先ほど橋の上から見えた墨田川岸に降りてみると、松尾芭蕉と千住大橋の資料展示されています。
奥の細道」碑に背中を押され、日光街道歩きの決意を新たにしたのでした。
どんなに長い旅も、1歩1歩の積み重ねなんです。がんばりましょ!

少し進んだ先の足立市場前交差点です。
下の写真の横断歩道の先に、橙色の建物が見えます。その建物の前が「日光街道」になります。

日本橋から1番目の宿場町「千住宿」

橙色の建物に近づいてみるとそこは「千住宿奥の細道プチテラス」でした。かなり目立ちます。
そしてここから日光街道最初の宿場町「千住宿」に入ります。

ブーちゃん
ブーちゃん

千住宿
千住宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠55軒があったんだブ。日光街道と奥州街道の初宿として繁栄して、約400年の歴史を持っているブ。千住大橋が架けられ、交通の要所として発展し、大名の参勤交代や日光社参で賑わい、江戸四宿の一つとして知られていたんだブ。

松尾芭蕉像です。南千住駅前の像より少しふくよかですね。

大名行列の絵と説明板、その前にある石碑は松尾場所が旅立ちに際して詠んだ句碑があります。

「ゆく春や 鳥鳴き魚の 目は泪」

過ぎ去ろうとしている春に重ねて、別れを惜しむ切ない気持ちを表現した名句です。
感性も研ぎ澄まされる旅になりそうです。

「千住宿」に入ったところで、日光街道の旅初日4回目はここまでとします。疲労でスピードが落ちていることもありますが、見どころもありすぎて中々足が前に進みません。
次回は「千住宿」散策です。お楽しみに。

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