こんにちは。ぶ~ちゃんです。
都心からほど近い八王子にある武蔵陵墓地。「東京最強のパワースポット」とも言われるこの地は、大正天皇・昭和天皇をはじめとする皇室の方々が静かに眠る荘厳な場所です。京都から取り寄せられた北山杉の参道、玉砂利を踏みしめる音、風に揺れる木々のざわめき…五感で感じる歴史の重みと圧倒的な自然のパワーに、身も心も浄化されるようでした。この記事では、陵墓の深い歴史的背景をレポートします。「武蔵陵墓地に行ってみたい」「歴史観光が好き」という方は必見です!さあ、私と一緒に静謐な聖域を歩いてみませんか?
武蔵圧倒的なスケールと自然美!武蔵陵墓地の歴史と荘厳な空気地
武蔵陵墓地とは?歴史と「東京最強パワースポット」の理由
武蔵陵墓地は、東京都八王子市にある皇室墓地です。大正天皇陵、貞明皇后陵、昭和天皇陵、香淳皇后陵の4陵が造営されています。
1927年に大正天皇陵の造営に合わせて開設されました。
大正天皇の陵墓は、地震を考慮して地盤が強い場所に造営されることとなり、武蔵陵墓地が選ばれました。
武蔵陵墓地は、その後、貞明皇后陵、昭和天皇陵、香淳皇后陵の陵墓が造営されました。昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵と称されていました。
敷地面積は約46万平方メートルで、緑豊かな森に囲まれています。日本の歴史と伝統を感じる場所、また、故人を偲ぶ場所として多くの人々に親しまれています。

東京最強パワースポットと呼ばれる背景
ここが「東京No.1のパワースポット」と称されるのには、いくつかの理由があります。

- 京都の杉が並ぶ荘厳な雰囲気
武蔵陵墓地は、京都から取り寄せられた杉の木が並ぶ参道が特徴です。
この杉の木は、千年以上生き続けると言われており、生命力と強さの象徴とされています。
参道を歩くと、心が洗われるような清々しい気持ちになれます。 - 高尾山のパワーが流れ込むとされる自然豊かな環境
武蔵陵墓地は、高尾山の麓に位置しています。
高尾山は、古くから霊峰として親しまれており、パワースポットとしても知られています。
武蔵陵墓地は、高尾山のパワーが流れ込むとされる自然豊かな環境にあります。 - 大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后の御陵がある
武蔵陵墓地には、大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后の4つの御陵があります。
天皇・皇后のお墓は、神聖な場所とされています。
武蔵陵墓地に参拝することで、天皇・皇后のご加護を授かることができると言われています。
武蔵陵墓地は、都心にありながら自然豊かな場所で、心身ともに浄化されることができるパワースポットなんです。
心身を浄化する参拝ルート:玉砂利を踏みしめて総門へ
武蔵陵墓地の正門から開けた空間が広がっています。スケールが大きいです。
正門から陵墓までは、約500メートルの参道が続いています。

総門を入ってすぐ右手には、木々に囲まれた池と手水舎があり、ここで身を清めます。この清らかな水と静かな環境が、これからお参りする気持ちを高めてくれます。

玉砂利が敷き詰められた道は、歩くたびに「ジャリ、ジャリ」と清々しい音を立てます。両側にはケヤキや北山杉が整然と立ち並び、空気がひんやりと感じられるほど。この荘厳な景観は、八王子八十八景にも選定されているそうです。


皇室の歴史を辿る:四つの御陵を巡る静謐な時間
大正天皇 多摩陵
参道をさらに進むと、最初に見えてくるのが大正天皇 多摩陵です。陵の形式は「上円下方墳」という、上部が円形、下部が方形の珍しい形をしています。


大正天皇は、幼少期から病弱な体質でした。在位期間の後半には病状が悪化し、公務を果たすことが難しくなったため、後に長男である裕仁親王(昭和天皇)が摂政を務めることになります。しかし、その短い在位期間(1912〜1926年)は、日本が近代国家として大きく揺れ動いた時代でした。大正デモクラシーと呼ばれる自由主義的な風潮が広まり、第一次世界大戦や関東大震災など、国内外で大きな出来事が相次ぎました。
病という困難を抱えながらも、時代の変化を敏感に感じ取り、日本の近代化と皇室の新しいあり方を追求した天皇だったようです。
貞明皇后 多摩東陵
続いて、大正天皇陵のすぐ近くにあるのが、貞明皇后 多摩東陵です。こちらも多摩陵と同様に「上円下方墳」の形式をとっています。


貞明皇后は、夫である大正天皇が病弱だったため、皇后として政治的な場面を支えるだけでなく、社会事業にも熱心に取り組みました。特にハンセン病患者の救済に深く関わり、全国の療養所を訪問して慰問するなど、その生涯を通じて慈善活動に尽力されました。また、皇室の伝統産業である養蚕業の奨励にも力を注ぎました。
慈愛に満ちた人柄と、社会の弱者への深い関心を持った皇后であり、日本の皇室のあり方を現代へと導く上で重要な役割を果たしました。
昭和天皇 武蔵野陵
昭和天皇 武蔵野陵は、日本の歴史上最も長い62年間在位し、激動の昭和時代を経験された天皇の御陵です。ここも「上円下方墳」の形式です。


昭和天皇は、大日本帝国憲法下の「統治権の総攬者」として、戦前の軍国主義から第二次世界大戦を経て、戦後の「象徴天皇」へと役割が大きく変わった時代でした。
日本の近代史における激動と変化を体現した存在であり、伝統的な天皇像と近代的な天皇像の間に位置する、特異な役割を担った天皇だったと言えます。
香淳皇后 武藏野東陵
そして最後に参拝するのが、香淳皇后 武蔵野東陵です。陵の形式としては「上円下方墳」です。


昭和天皇の皇后として、62年間という日本史上最も長い期間、皇后の地位にありました。昭和という激動の時代を、夫である昭和天皇とともに歩み、戦中・戦後の困難な時期を国民と分かち合いました。
激動の時代を生き抜き、芸術を愛し、家族を慈しんだ、温かくも強い心を持った皇后だったと言えるでしょう。
旧東浅川駅跡へ向かう散策路
武蔵陵墓地は、緑豊かな森に囲まれています。木々が整然と立ち並び、自然の中でのんびりと散策を楽しむことができます。
主要な目的地だけでなく、その周辺に残る歴史の痕跡を探すことも楽しみの一つです。御陵を参拝し終えた私は、帰路は来た道を戻らず、甲州街道へ向けて参道をまっすぐ歩くことにしました。
正門前には「多摩御陵警備派出所」があります。特徴的な形をしていて、かわいらしいですね。




南浅川橋
多摩御陵の正門から甲州街道に向かって歩き出すと、まず「南浅川」に架かる南浅川橋を渡ります。





南浅川橋
南浅川に架かり、多摩御陵(武蔵陵墓地)への参道となっているブ。 昭和11年(1936年)に設置されたコンクリートアーチ式の橋だブ。
御陵参道の橋で、威厳のある形式と周辺の自然との調和を考慮したデザインが施されているのが特徴だブ。 橋の長さは53.3メートル、幅は21.4メートルだブ。
武蔵陵参道入口
南浅川橋を過ぎて150mほど進むと、甲州街道に出ます。
ここが「武蔵陵参道入口」です。


甲州街道を横断して、ここまで歩いてきた参道入口方向の写真です。

東浅川駅跡
甲州街道を横断し、さらに中央線に向かって進むと、旅の謎が解ける場所に出会いました。ここには昔「東浅川駅」があったそうです。
今その駅の跡は駐車場になっていました。
駐車場中央にある石碑には「1964 オリンピック自転車競技をこの地で行う」と刻まれています。
先ほど通ってきた通り沿いにある「陵南公園」でトラック競技が行われていたそうです。
東浅川駅とは関係はありませんでした。




東浅川駅
大正天皇の葬儀にあたり、その陵墓である多摩御陵がある武蔵陵墓地近くに設けられた皇室専用の乗降施設だったので、正式には東浅川仮停車場と呼ばれていたブ。
1927年(昭和2年)2月27日に開業し、1960年(昭和35年)9月10日に廃止されたブ。現在は、線路を跨ぐ歩道橋を介して、南西側にある教育施設・東浅川保健福祉センターの駐車場として使用されているブ。
中央線を越える歩道橋に上って、駐車場を見下ろしました。
駅の姿は跡形もないですが、この辺りの景色には多くの緑が残っていて、昔の風景を残しているのではないでしょうか。


まとめ
武蔵野陵墓地は、その歴史と厳粛さに圧倒される場所でした。
陵墓地の入り口に立った瞬間にそのスケールの大きさに、歴史の重みを感じました。
墓地の周りには美しい自然が広がり、敬意を持って参拝することが求められるような、厳粛な雰囲気が漂っていました。
武蔵野陵墓地は、歴史的な場所でありながらも、一般の人々にも参拝や見学が可能です。
皇室への敬意や感謝の気持ちを込めながら、ここで静かに過ごす時間は、心を穏やかに鎮めてくれます。
「都心近くで非日常を体験したい」「静かに歴史に触れたい」という方には、自信を持っておすすめします。心を落ち着かせ、また次の一歩を踏み出す力を与えてくれるこの場所、皆さんもぜひ訪れてみてくださいね!
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