こんにちは。ぶ~ちゃんです。
東京都心から少し足を延ばすだけで、驚くほど深い歴史の足跡に出会える場所があります。今回は甲州街道「府中宿」の御宿場印を手に、再び府中の街を歩いてきました。
かつて武蔵国の中心として栄えた府中の街は、歩くほどに古の鼓動が聞こえてくるような不思議な魅力に満ちています。特に大國魂神社の周辺は、強力なパワースポットのエネルギーとともに、古代から江戸時代までの物語が層のように重なっているエリア。今回は、そんな歴史の交差点ともいえる「国司館と家康御殿史跡広場」を中心にご案内します。
歴史が何層にも重なる街、府中をゆく
甲州街道の宿場町として、そして古くは武蔵国の国府(今でいう都庁のような場所)として栄えた府中。駅に降り立つと、現代の賑やかさの中に、どこか凛とした空気を感じます。今回の目的は、歴史の深みを肌で感じる史跡巡りです。
国司館と家康御殿史跡広場
JR武蔵野線「府中本町駅」の改札を抜けると、すぐ右手にパッと視界が開けます。そこが今回の目的地「国司館(こくしのたち)と家康御殿史跡広場」です。
ここは、名前の通り二つの異なる時代の重要施設が同じ場所にあったという、全国的にも珍しい複合遺跡。一歩足を踏み入れると、きれいに整備された広場の中に、かつての建物の柱跡がデザインされており、当時のスケールの大きさが直感的に伝わってきます。
JR府中本町駅から徒歩1分という好立地にありながら、古代と近世の歴史が重なる全国的にも珍しい史跡公園です。かつて武蔵国の政治の中心だった「国司館」と、徳川家康が鷹狩りの際に利用した「府中御殿」の跡地が整備されています。復元模型やVR体験など、視覚的に歴史を楽しめる工夫が凝らされています。


古代武蔵国の心臓部:国司館の歴史と役割
この場所には、飛鳥時代から平安時代にかけて「国司館」が置かれていました。
国司とは、今でいう知事のような存在。中央政府から派遣されたエリートたちが、ここで武蔵国全体の政治や税の徴収、治安維持を行っていました。当時はここが武蔵国の「政治のセンター」だったわけです。


広場に置かれた10分の1サイズの復元模型を眺めていると、精巧に作られた屋根や柱の質感に、当時の役人たちの忙しげな足音が聞こえてくるよう。さらに、管理事務所で借りられるVRゴーグルを覗けば、目の前の景色に古代の立派な庁舎が重なり、一気に1000年前の世界へと引き込まれます。

府中は、武蔵国の政治や経済の中心地として発展し、その中心部に国司館が建てられていました。
国司館は、武蔵国の国司が地方行政を行う拠点として機能しており、府中の中核的な役割を担っていました。その存在は、府中が政治的に重要な場所であり、地域の発展とも深く関わっていたことを示しています。




将軍が愛した癒やしの地:家康御殿の歴史
時代は下って江戸時代。同じこの場所に、徳川家康が宿泊や休憩のために建てさせた「府中御殿」がありました。
家康は府中という土地を殊のほか気に入っていたそうです。その理由は「鷹狩り」。豊かな自然が残る府中の野山は、将軍にとって最高のリラクゼーションスポットだったのでしょう。以前訪れた国分寺の「お鷹の道」や、江戸城へ戻る際に策(ムチ)を洗ったとされる「策の井」など、周辺には今も家康の足跡が点在しています。
特筆すべきは元和3年(1617年)、家康の遺骸(神柩)が久能山から日光へと移される際、この府中御殿に立ち寄り、2日間にわたる法要が営まれたこと。徳川家にとって、ここはただの休憩所ではなく、極めて重要な「絆の地」だったことが伺えます。
「国司館と家康御殿史跡広場」まとめ
広場内には、歴史を学べる10分の1サイズの復元模型やVR映像の展示があり、当時の様子を感じ取ることができます。家康ファンにとっては興味深いスポットですが、府中御殿に関する史跡はほとんど残っておらず、その点は少し残念に思いました。今後、資料の充実が進めば、府中の豊かな歴史や文化がより伝わりやすくなるのではないかと感じます。
飛鳥時代から奈良時代前期にかけて、武蔵国の国司が暮らしながら政務を執った「国司館」、そして江戸時代には徳川家康が鷹狩りの際に利用した「府中御殿」があった場所です。
広場は開放的で気持ちの良い空間になっているので、歴史を感じながらのんびりと過ごすのにもおすすめです。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
次回は、府中散策の続きをご紹介します。
コメント