小田原城正規ルートで巡る難攻不落の遺構と報徳二宮神社の絶品カフェ

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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

小田原観光といえば、真っ先に思い浮かぶのが立派な天守閣ですよね。でも、実は天守閣にたどり着くまでの「道」にこそ、戦国・江戸時代の驚くべき知恵とドラマが詰まっていることをご存じでしょうか?

今回は、お城の真の姿を体感できる「正規登城ルート」と、そのすぐ隣で心穏やかな時間を過ごせるパワースポット「報徳二宮神社」を歩いてきました。歴史の風を感じながら、あなたも私と一緒に城下町散歩へ出かけてみませんか?

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日本の城郭史を変えた「小田原城」のすごさとは?

小田原城は単なる観光スポットではなく、「日本の城郭のあり方を変えた城」です。歩き始める前に、その凄さを少しだけ予習しておきましょう。

革命的な「惣構(そうがまえ)」

北条氏は、城だけでなく城下町全体を全長約9kmもの堀と土塁で囲い込みました。これは当時のヨーロッパの城塞都市にも似た構造。住民全員を城内に取り込んで守るという、当時としては画期的な「総力戦」の構えでした。

最強の武将たちが諦めた「難攻不落」の実績

上杉謙信や武田信玄といった戦国最強の武将たちが大軍で攻め寄せても、この城を落とすことはできませんでした。

最終的に豊臣秀吉に屈した際も、力攻めで負けたのではありません。圧倒的な物量による「兵糧攻め」と、一夜にして城が現れたかのように見せる心理戦「一夜城」による精神的な敗北だったのです。

難攻不落の知恵を体感!小田原城「正規登城ルート」

お城へ行くとき、ついつい駅からの近道を通りたくなりますが、ここはあえて「正規登城ルート」から入りましょう。ここはかつての武士たちが通った正面玄関。敵を迎え撃つための巧妙な仕掛けが、今も私たちを待ち構えています。

馬出門(うまだしもん):小田原城の玄関口

ここが正規ルートのスタート地点。堂々とした佇まいの馬出門ですが、実は平成20年に復元された比較的新しい門なんです。

鉄壁の桝形構造

門をくぐると、四方を高い壁に囲まれた四角い空間「枡形」に入ります。ここはまさに、攻めてきた敵を足止めするための罠。壁にある「狭間(さま)」からは弓や鉄砲が狙いを定めています。機能美すら感じる、実利的なデザインの極致です。

銅門(あかがねもん):本丸最後の鉄壁

住吉橋を渡った先に構えるのが「銅門」。名前の通り、門扉に飾られた銅版が鈍い光を放っています。
銅板は見た目の美しさだけでなく、火矢などによる火災から門扉を守る防火の役割も果たしていました。小さな「内仕切門(うちじきりもん)」と、巨大な「渡櫓門(わたりやぐらもん)」の2つの門を直角に配置しています。

門の上部にある渡櫓(わたりやぐら)には、敵に石を落とすための「石落とし」や、銃を撃つための「狭間」が備わっており、侵入した敵を上空から迎撃できるようになっています。
渡櫓門の内部が一般公開されていました。

常盤木門(ときわぎもん):本丸最後の鉄壁

いよいよ本丸への最終関門、常盤木門です。「常盤(ときわ)」とは、松の木が年中青々としているように永遠を意味する言葉。
門を支える石垣は非常に高く、見上げるような迫力があります。

現在、常盤木門の2階(渡櫓の内部)は、「常盤木門 SAMURAI館」という展示施設になっています。甲冑(鎧兜)や刀剣などが展示されており、特にプロジェクションマッピングを用いた映像演出は「武士の精神性」を表現しており見応えがあります。

天守閣から望む絶景と、対峙する「一夜城」

そして本丸跡へ。本丸広場の北側にそびえる天守閣を、もっとも美しく撮影できる場所です。
かつてここには、象の「梅子」がいた動物園や遊園地があったというから驚きです。今の静かな公園からは想像もつきませんが、時代ごとに形を変えながら、ずっと市民に愛されてきた場所となっています。

小田原のシンボル「天守閣」

1960年(昭和35年)に江戸時代の設計図や模型(雛型)に基づいて外観復元された、小田原のシンボルです。
日本第7位の規模: 高さは38.7メートル。平成の大改修で漆喰なども塗り直され、非常に美しい姿をしています。

歴史展示

1階は江戸時代の小田原城の役割や構造を解説しています。2階は戦国時代の小田原城、北条氏(後北条氏)五代の歴史と、難攻不落を誇った戦国時代の城郭について詳しく紹介しています。また、発掘調査で出土した実物資料は、当時の生活や戦いのリアルを伝えています。

最上階・摩利支天(まりしてん)の空間

かつて天守に祀られていた武功の神「摩利支天」の安置空間が再現されており、荘厳な雰囲気を感じられます。

対峙する二つの城

最上階は回廊になっており、360度のパノラマが楽しめます。展望台から南西方向を見ると、秀吉が陣を張った「石垣山一夜城」の跡が見えます。相模湾、真鶴半島、箱根の山々なども一望できます 。

郷土の偉人に学ぶ、知恵と癒やしの「報徳二宮神社」

天守閣の圧倒的な存在感に浸った後は、すぐ隣に佇む「報徳二宮神社」へ足を伸ばしましょう。
小田原城址公園の緑に包まれた「報徳二宮神社」。 ここは、歴史的な重みと、現代的なおしゃれなカフェが見事に融合した、小田原観光でも屈指の人気スポットです。

一歩足を踏み入れると、街の喧騒を忘れるような静寂と木漏れ日に包まれます。単なる参拝だけではもったいない、この神社の魅力を紐解いていきましょう。

城址口鳥居

そもそも「二宮金次郎」ってどんな人?

誰もが小学校の校庭で見かけた、薪を背負って本を読む少年像。それが二宮金次郎(後の二宮尊徳翁)です。
彼は小田原が生んだ偉大な農政家であり、思想家です。ボロボロの農村を600以上も再興させた「経営・再生の神様」としての顔を持ち、その教え(報徳思想)は、渋沢栄一やパナソニック創業者の松下幸之助など、名だたる実業家たちにも多大な影響を与えました。
明治27年、彼の遺徳を慕う人々によって、生誕の地である小田原にこの神社が創建されました。

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境内の注目ポイント

唯一現存する「ブロンズの金次郎像」

参道を進むと、おなじみの金次郎像に出会えます。実は、この像には驚きの歴史があります。

昭和初期、全国の小学校へ約1,000体のブロンズ像が贈られましたが、戦時中の金属不足により、そのほとんどが軍に回収(金属供出)されてしまいました。 しかし、この神社の像は唯一回収を免れた、当時のままの貴重な一体なのです。 「1メートル」という高さは、当時の子供たちにメートル法の長さを教えるためという教育的な意味も込められています。

ご利益は「再建・学業・経営」

二宮尊徳といえば「努力の人」というイメージが強いですが、大人になってからは、独自の思想「報徳仕法」を用いて、600以上もの村を復興させた凄腕のコンサルタントでもありました。 そのため、現在は「経営の神様」「学問の神様」として多くのビジネスマンや受験生が訪れます。
11月初旬のこの日は、七五三参りの家族で混雑していました。人気なんですね。

きんじろうカフェ:木漏れ日の下で味わう開運の一杯

参拝の後は、境内にある「報徳の杜」でひと休み。特におすすめは、モダンなデザインが素敵な「きんじろうカフェ」です。
江戸時代の食文化を現代のカフェスタイルで提供しています。小田原近郊の食材を積極的に取り入れており、地域の魅力を食を通じて発信しています。

二宮尊徳が勧めた心身を支える食「呉汁」

江戸時代に金次郎が食べていたとされる「呉汁(ごじる)」を味わうこともでき、当時の知恵を食からも体感できます。
呉汁とは、水に浸した大豆をすり潰した「呉(ご)」を味噌汁に入れた料理です。
尊徳翁は、農村復興のために人々に勤勉さを説くだけでなく、健康管理も重視しました。タンパク質が豊富な大豆を丸ごと摂れる呉汁は、厳しい農作業を支える「スタミナ食」として彼自身も食し、周囲にも推奨したといわれています。

天守閣を歩き回った後の体に、じんわりとエネルギーが満ちていくような感覚。金次郎さんもこの味で元気を出していたのかと思うと、感慨もひとしおです。

御朱印

報徳二宮神社では、現在神社創建130周年記念事業の一環として特別朱印(一円融合)を合わせていただきました。
更に、奉斎札をいただき、願い事を記入して境内の奉斎所に奉納しました。

参拝の最後にいただいた御朱印には、二宮尊徳翁の誠実な精神が宿っているかのような、凛とした美しさがありました。お城の御城印と合わせて、小田原の旅の大切な思い出の1ページになりますね。

小田原城散策まとめ

戦国最強の要塞として知られる小田原城で歴史の鼓動を感じ、そのすぐ隣にある報徳二宮神社の静寂に包まれる――。この対照的な二つの場所を巡る時間は、心に心地よい刺激と安らぎを与えてくれます。 最後にいただいた御朱印を眺めながら、きんじろうカフェの呉汁で一息つく。そんな小田原ならではの贅沢なひとときを、ぜひ皆さんも五感で味わってみてください。

今度の週末は小田原へ足を運んでみませんか?きっと、素敵な出会いとリフレッシュが待っています。

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