こんにちは。ぶ~ちゃんです。
今回は、活気あふれる川崎宿を後に、静かな住宅街へと風景を変えながら、間の宿「鶴見」を歩きます。
道中には、芭蕉が別れを惜しんだ句碑や、家康も祈願したという古社、歴史ある鶴見神社など、歴史の断片が今も息づいていました。江戸の旅人たちが眺めた風景に思いを馳せて、街道の面影を辿っていきます。
それでは今回も楽しんでみてくださいね。
東海道の旅 2日目-2
「神奈川宿」への道中
9:00
川崎宿のにぎわいを後にして歩みを進めると、やがてマンションが建ち並ぶ静かな住宅地へと風景が移り変わっていきます。

八丁畷駅の少し手前、町内会館の敷地内に「麦の郷」由来があります。
1694年5月松尾芭蕉が伊賀へと旅立つ際に、この場所で別れを惜しむ門弟たちに向けて詠んだ一句「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」に由来しているそうです。

その少し先、京急路線沿いにも芭蕉の句碑と案内板が建てられ提案した。
この句は、芭蕉にとって関東での最後の句となったようです。


八丁畷駅です。
線路脇に「キッチンオリジン」を発見した妻。お腹が空いていたようです。
イートインでおはぎをペロリ。ごちそうさまでした。


八丁畷駅西側の線路沿いが旧東海道になります。
史跡案内板と石碑がありました。

京急八丁畷駅の旧東海道沿いに「無縁塚」と呼ばれる供養塔があります。



「無縁塚」は、江戸時代の川崎宿で亡くなった身元不明の人々を供養するため、1934年に川崎市が建てた供養塔ブ。行き場のなかった霊を静かに慰めている場所なんだブ。
しばらく住宅街が続きます。

横浜熊野神社
八丁畷駅から600mほど歩いた交差点の角に「横浜熊野神社」が現れます。
平安時代に創建1200年以上の歴史を持つと伝えられています。



徳川家康公は江戸に入る途中、この神社に立ち寄って、天下泰平・国家安穏・武運長久を祈願したんだブ!歴史の重みを感じるエピソードだブね〜!
江戸日本橋より五里目「市場一里塚」
横浜熊野神社から300mほどあるくと「市場一里塚」が現れます。
いくつも案内がありましたが、すべて一里塚を示すものでした。
塚はありませんでしたが、もしかしたら稲荷神社が塚の頂上部分なのかもしれません。
東海道歩き旅初の現存する一里塚になりますかね。

鶴見川手前、右手にある「金剛寺」です。
創建は1200年前になる古刹です。
玉川八十八ヶ所霊場11番、東海三十三観音霊場9番、東国八十八ヵ所霊場10番の札所になっています。
とてもきれいなお寺です。



鶴見橋
鶴見川に差し掛かると、存在感のあるアーチ橋「鶴見川橋」が見えてきます。
大正末期に国道15号に新たな「鶴見橋」が架けられたため、旧東海道の橋は「鶴見川橋」と改称されたそうです。後出しじゃんけんで負けたんですね。世知辛い世の中です。
現在の鶴見川橋は、1997年に完成した橋です。




鶴見川橋は、徳川家康が東海道を整備した慶長年間に架けられた、とっても歴史ある橋なんだブ!当時は多摩川に橋がなかったから、江戸を出て最初に渡る本格的な橋がこの鶴見橋だったブ!しかも周辺は富士山を望める景勝地として人気で、初代・歌川広重の名所絵にも登場するし、多くの旅人や文人がその美しさを日記や和歌に残してるブよ〜!
そして鶴見川橋を渡り終わった左手に「鶴見橋関門旧跡」の石碑と案内板があります。
幕末になると外国人が日本にたくさんやって来るようになり、残念ながらその外国人を狙った襲撃事件も増えてしまいました。そうした混乱を防ぐために、各地に番所が置かれたようです。


その先にある公園の脇に、「寺尾稲荷道」と書かれた大きな道標が立っています。この場所は寺尾稲荷社へ向かう道との分かれ道でした。

図書館の脇には、旧東海道で間の宿として栄えていた鶴見地図が掲載されていました。

その先、江戸時代に「信楽茶屋」があった場所にラは、ラーメン店「信楽茶屋」が店を構えていました。鶴見村の中で最も大きな茶店だったようです。
※ラーメン屋さんは27年間地元に愛されたお店だったようですが4/15に閉店されたようです。

鶴見神社
信楽茶屋跡の対面にある路地には鶴見神社参道の標柱があります。参道入口です。

鶴見神社はとても歴史のある神社で、なんと今から1400年以上も前、推古天皇の時代に建てられたといわれています。横浜と川崎のあいだでは、最も古い神社とされているんです。境内から弥生時代以降の祭祀遺跡が見つかっています。
かつて「杉山大明神」と呼ばれ、大正9(1920)年に「鶴見神社」と改称されたそうです。


社殿の右手には7つの神社(大鳥神社・稲荷神社・秋葉神社・関神社・祖霊社・寿老人・清明宮)が祀られています。
「清明宮」は、三島由紀夫と森田必勝の2人が祀られているとのこと。

鶴見の街道沿いには、当時の歴史を示す案内板がたっていました。
鶴見は旧東海道沿いに発展した、歴史ある街のようですね。



10:00
左手に「京急鶴見駅」右手に「JR鶴見駅」があります。
横浜や川崎などへのアクセスも良さそうですね。
駅周辺に商業施設や飲食店が多く、暮らしやすい印象の街です。

京急のガードをくぐって、東口側に出ます。

駅前通りにある洋菓子店「ESPLAN(エスプラン)」の前に、ひっそりと「旧東海道鶴見覇王樹茶屋跡」の案内板が立っています。
かつてここには、なんと高さ4メートルもあるウチワサボテンがあり、その存在感から「覇王樹(サボテン)茶屋」として知られていたそうです。なんと、あの坂本龍馬や宮本武蔵も立ち寄ったとか。
今では、当時のサボテンよりもずっと高いビルの中に人気のパン屋さんが入り、街の新たな名物になっているようですね。


その先の下野谷町入口交差点で、再び第一京浜道路に出ますが、そのまま横切って鶴見川に沿った道を進んでいきます。(写真の赤信号の通り)

鶴見線のガードが見えてきます。
ガード下にはトンネルがあります。この奥に鶴見線の「国道駅」改札があります。無人改札です。レトロな雰囲気ですね。
「鶴見線といえば国道駅」と言われるほど、鉄道ファンには定番の駅のようです。



「国道駅」の名前の由来は、駅が国道15号(かつての国道1号線)に面していて、しかも旧東海道と交わる場所に建てられたからなんだブ!
歴史と現代が交差する鶴見の街並みを後にして、旧東海道の物語はまだまだ続きます。次回は、開港の記憶が息づく「神奈川宿」を巡ります。どうぞお楽しみに!
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