東海道歩き旅【2日目②】川崎宿〜鶴見宿|芭蕉句碑、鶴見神社と昭和レトロな国道駅

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東海道
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こんにちは。ぶ~ちゃんです。

活気あふれる川崎宿を後にすると、風景は少しずつ静かな住宅街へと変わっていきます。今回は、そんな鶴見の旧東海道をのんびり歩いていきましょう。

この区間は、俳聖・松尾芭蕉が江戸との別れを惜しんだ句碑や、徳川家康も勝利を祈願した神社、そして1400年もの歴史を誇る古社など、立ち寄りたくなる歴史スポットがぎゅっと凝縮されているんです。江戸時代の旅人が眺めたであろう風景の痕跡を一つずつ見つけるたび、足取りも軽くなります。さらに、昭和レトロな雰囲気がそのまま残る「国道駅」など、現代と過去が不思議に交差する街並みも鶴見の大きな魅力。詳しく紹介します。

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東海道の旅 2日目-2

八丁畷から市場エリアへ!江戸の足跡をたどる

9:00
川崎宿のにぎわいを後にして歩みを進めると、やがてマンションが建ち並ぶ静かな住宅地へと風景が移り変わっていきます。

麦の郷(松尾芭蕉句碑)

八丁畷駅の少し手前、町内会館の敷地内に「麦の郷」由来があります。
1694年5月松尾芭蕉が伊賀へと旅立つ際に、この場所で別れを惜しむ門弟たちに向けて詠んだ一句「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」に由来しているそうです。

その少し先、京急の線路沿いにも句碑と案内板がありました。この句は芭蕉にとって関東での最後の一句になったとのこと。寂しさと決意が混ざった、旅人ならではの情景が目に浮かびますね。

八丁畷駅

八丁畷駅です。
ここで、線路脇に「キッチンオリジン」の看板を発見した妻の足がピタリと止まりました。どうやら小腹が空いていたようです。さっきまで芭蕉の句碑の前で「別れの切なさがわかるわぁ……」としんみりしていたのに、見事な切り替えの早さ!イートインスペースに陣取り、おはぎをペロリと完食です。これでエネルギーチャージは完璧です!

ブー妻ちゃん
ブー妻ちゃん

おはぎが江戸時代にブームになったんだブ!砂糖が手に入りやすくなって、甘〜いおはぎが庶民の間でも日常食になったブ。春は「ぼた餅」、秋は「おはぎ」と呼び分けていたんだブ。旅人用の一口サイズのおはぎがあんころ餅の元となったと言われるブよ!エネルギー満タンだブ!

八丁畷駅西側の線路沿いが旧東海道になります。
史跡案内板と石碑がありました。

無縁塚

京急八丁畷駅の旧東海道沿いに「無縁塚」と呼ばれる供養塔があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

「無縁塚」は、江戸時代の川崎宿で亡くなった身元不明の人々を供養するため、1934年(昭和9年)に川崎市が建てた供養塔だブ。長旅の途中で倒れ、行き場のなかった霊を今も静かに慰めている大切な場所なんだブ。

横浜熊野神社

住宅街をさらに進み、八丁畷駅から600mほど歩いた交差点の角に「横浜熊野神社」が現れます。
平安時代に創建1200年以上の歴史を持つと伝えられています。

ブーちゃん
ブーちゃん

徳川家康公は江戸に入る途中、この神社に立ち寄って、天下泰平・国家安穏・武運長久を祈願したんだブ!歴史の重みを感じるエピソードだブね〜!

江戸日本橋より五里目「市場一里塚」

横浜熊野神社から300mほど歩くと「市場一里塚」に到着します。

周辺にはいくつも案内板が立っていましたが、これらはすべて一里塚を示すものでした。土を盛った本来の「塚」の姿は残っていませんが、もしかすると近くにある小さな稲荷神社が、かつての塚の頂上部分だったのかもしれません。今回の東海道歩き旅で出会う、初めての現存する一里塚の痕跡です。

金剛寺

鶴見川手前、右手にある「金剛寺」です。
創建は1200年前になる古刹です。
玉川八十八ヶ所霊場11番、東海三十三観音霊場9番、東国八十八ヵ所霊場10番の札所になっています。
境内はとても手入れが行き届いていて、とてもきれいなお寺でした。

鶴見川橋

鶴見川に差し掛かると、水面に美しい影を落とすアーチ橋「鶴見川橋」が見えてきます。現在の橋は1997年に完成したモダンな造りです。
大正末期に国道15号に新しい「鶴見橋」が架けられたため、旧東海道にあった由緒あるこちらの橋は「鶴見川橋」と名前を譲る形になりました。後出しじゃんけんで名前を取られてしまうなんて、少し世知辛い世の中ですね。

ブーちゃん
ブーちゃん

鶴見川橋は、徳川家康が東海道を整備した慶長年間に架けられた、とっても歴史ある橋なんだブ!当時は多摩川に橋がなかったから、江戸を出て最初に渡る本格的な橋がこの鶴見橋だったブ!しかも周辺は富士山を望める景勝地として大人気で、初代・歌川広重の名所絵にも登場するし、多くの旅人や文人がその美しさを日記や和歌に残してるブよ〜!

鶴見橋関門旧跡

鶴見川橋を渡り終えたすぐ左手には、「鶴見橋関門旧跡」の石碑と案内板が立っています。
幕末になると、外国人が日本に多く訪れるようになりましたが、残念ながら彼らを狙った襲撃事件(生麦事件など)も多発してしまいました。そうした不測の事態を防ぐため、幕府は各地に関門(番所)を設け、ここ鶴見橋もその一つとして厳重な警備が敷かれたそうです。

寺尾稲荷道標

その先にある小さな公園の脇に、「寺尾稲荷道」と深く刻まれた大きな道標が立っています。かつて、ここが寺尾稲荷社へと向かう参道との分岐点でした。

近くの図書館脇には、旧東海道の「間の宿(あいのしゅく)」として栄えた当時の鶴見の地図が掲示されており、往時の賑わいに思いを馳せることができます。

信楽茶屋跡

さらに進むと、江戸時代に鶴見村で最も大きな茶店だった「信楽茶屋(しがらきちゃや)」の跡地に着きます。鶴見村の中で最も大きな茶店だったようです。
江戸時代に「信楽茶屋」があった場所にはラーメン店「信楽茶屋」が店を構えていました。
※ラーメン屋さんは27年間地元に愛されたお店だったようですが4/15に閉店されたようです。

鶴見神社

信楽茶屋跡の向かい側にある路地を覗き込むと、「鶴見神社参道」の標柱が見えます。

鶴見神社は、今から1400年以上も前の推古天皇の時代に創建されたと伝わる、横浜・川崎間で最も古いとされる神社です。境内からは弥生時代以降の祭祀遺跡も見つかっているというから驚きです。かつては「杉山大明神」と呼ばれ、大正9年(1920年)に現在の「鶴見神社」へと改称されました。

社殿の右手には7つの神社(大鳥神社・稲荷神社・秋葉神社・関神社・祖霊社・寿老人・清明宮)が祀られています。
「清明宮」は、三島由紀夫と森田必勝の2人が祀られているとのこと。

京急鶴見駅・JR鶴見駅

鶴見の街道沿いには、当時の歴史を示す案内板がたっていました。
鶴見は旧東海道沿いに発展した、歴史ある街のようですね。

10:00
左手に「京急鶴見駅」、右手に「JR鶴見駅」が見えてきました。
駅周辺には商業施設や飲食店がひしめき合い、とても活気があります。横浜や川崎へのアクセスも抜群で、暮らしやすそうな現代の街並みが広がっています。

ここで京急のガードをくぐり、東口側へと出ます。

旧東海道鶴見覇王樹茶屋跡

駅前通りを歩いていると、おしゃれな洋菓子とパンのお店「ESPLAN(エスプラン)」の前に、「旧東海道鶴見覇王樹(さぼてん)茶屋跡」の案内板がひっそりと立っているのを見つけました。
かつてここには、なんと高さ4メートルもあるウチワサボテンがあり、その存在感から「覇王樹(サボテン)茶屋」として知られていたそうです。なんと、あの坂本龍馬や宮本武蔵も立ち寄ったとか。
今では、当時のサボテンよりもずっと高いビルの中に人気のパン屋さんが入り、街の新たな名物になっているようですね。


その先の下野谷町入口交差点で再び第一京浜に出ますが、そのまま通りを横切り、鶴見川に沿った裏道へと入っていきます。

国道駅

しばらくすると、頭上に鶴見線のガードが見えてきました。ガード下は薄暗いトンネルになっており、ひんやりとした空気が漂います。この奥にあるのが、鶴見線の「国道駅」です。
無人改札です。昭和初期で時間が止まってしまったかのような、ノスタルジックでレトロな空間。
「鶴見線といえば国道駅」と言われるほど、鉄道ファンや写真愛好家にとって聖地のような場所です。

ブーちゃん
ブーちゃん

「国道駅」という一風変わった名前の由来は、駅が国道15号(かつての国道1号線)に面していて、しかも旧東海道と交わる場所に建てられたからなんだブ!駅の壁には、なんと第二次世界大戦中の機銃掃射の弾痕が今も残っているんだブよ。

旧東海道を歩きながら、江戸の旅人が見上げたであろう松尾芭蕉の句碑から、幕末の動乱を伝える関門跡、そして昭和の記憶を色濃く残す国道駅まで、鶴見の街はまるで生きた歴史博物館のようでした。

旧東海道の物語はまだまだ続きます。次回は、開港の記憶が息づく海風の街「神奈川宿」を目指して歩を進めます。どんな出会いや美味しいものが待っているのか、どうぞお楽しみに!

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