こんにちは。ぶ~ちゃんです。
幕末の緊迫した歴史の舞台、「江戸開城会見之地」に心を馳せた前回の旅。その余韻を胸に、今回はさらに足を進め、江戸の名残を今に伝える「高輪大木戸跡」、そして赤穂浪士ゆかりの「泉岳寺」へと向かいます。
歴史をたどるこの道の先には、東海道五十三次の最初の宿場町「品川宿」が待っていました。かつて旅人たちでにぎわったこの宿場町は、今もなお江戸の面影を色濃く残しています。過去と現在が交差する歴史散歩の続きです。
宿場町のにぎわいや人々の営みに思いを馳せて歩いてみませんか。
東海道の旅 1日目-4
品川宿への道中〜都会に潜む江戸の面影〜
札の辻を過ぎ、オフィスビルが整然と並ぶ大通りを南へと歩みを進めます。車のエンジン音や人々の足音が交差する現代的な景色の合間に、ふと歴史の断片が顔を出します。

御田八幡神社
近代的なビルの合間に突如として現れる「御田(みた)八幡神社」の鳥居。一歩足を踏み入れると、先ほどまでの都会の喧騒が嘘のように、ひんやりと凛とした空気に包まれます。
1300年を超える歴史を誇り、三田や高輪一帯を見守り続けてきた氏神様で、創建はなんと和銅2年(709年)と伝わる超古社!江戸時代には『江戸名所図会』にも描かれたほどの有名スポットだったそうです。

高輪大木戸跡
「高輪大木戸跡」が見えてきます。今では車がひっきりなしに行き交う国道沿いに、立派な石垣がひっそりとその姿を残しています。
ここは江戸時代のはじめ、宝永7年(1710年)に設けられたもので、東海道から江戸の町に入る“入口”の役割を果たしていました。ただの門ではなく、江戸の治安を守る関所としての機能もあり、明け六つ(午前6時)に開いて、暮れ六つ(午後6時)にはピシャッと閉ざされていたそうです。夜は通れなかったんですね。昔は両脇に石垣があって、幅20メートルもあったとか。実際に石垣の前に立つと、そのスケールの大きさに圧倒されます。
当時はすぐそばに海が広がっていて、潮の香りと共に品川宿あたりまでの景色が見渡せたそうです。最近できた「高輪ゲートウェイ駅」の名前にも、この場所が深く関係しています。




最初の木戸は1616年に札の辻に芝口門として設置されたんだブ!旅人を見送る人たちが近くの店で宴会を開くほどにぎやかだったんだブ!伊能忠敬もここを全国測量の出発点に選んだんだブ!
木戸跡を過ぎると、線路沿いでは大規模な再開発工事が行われていました。住みやすくするための再開発も必要ですが、歴史を残して伝える仕組みも考えてほしいものですね。まぁ、この辺りは埋め立て地で、過去の海岸線はもっと内陸にあったのでしょうけれど。

泉岳寺
その先、泉岳寺交差点を右折(西)し、緩やかな坂を200m程登ったところに「泉岳寺」があります。言わずと知れた、赤穂四十七士が埋葬されている「忠臣蔵」の史跡として有名なお寺です。
ここは曹洞宗の江戸三ヶ寺の一つにも数えられる名刹。敷地内には「赤穂義士記念館」もあり、討ち入りで使われた貴重な遺品なども展示されています。毎年12月14日の討ち入りの日には「義士祭」が開かれ、全国からファンが押し寄せるそうです。



立派な山門の隣には、赤穂四十七士のリーダー「大石内蔵助」の銅像が建っています。

本堂はとても綺麗で立派な造り。この日は外国人観光客の姿も多く見られました。日本のサムライスピリットに興味があるのでしょうか。

本堂に向かって右手に寺務所があり、御朱印を頂くことができますが、書き置きの御朱印はありませんので、朱印帳は忘れずにご持参ください。
赤穂義士墓地は山門の左側にあり、本堂の前を横切って向かいます。階段を登り、義士墓入口の門をくぐったところで、拝観料代わりに御線香が販売されています。


高輪神社
再び国道に戻り、高輪ゲートウェイ駅前を歩いていると、ビルの隙間からふと目に入ったのが「高輪神社」の鳥居でした。立派なしめ縄が掛けられていて、思わず足を止めてお参りへ。
この神社のルーツは、室町時代の文明年間(1469~1487年)までさかのぼります。江戸城を築く際、鬼門を封じるために建てられたお寺「常照寺」の境内に、聖徳太子を祀る太子堂が造られたのが始まりだそうです。
実はもともと「稲荷神社」として創建され、昭和に入ってから「高輪神社」に名前が変わったとのこと。境内には昔の若者たちが力比べに使ったという「力石(ちからいし)」も置かれていて、当時の人々の息遣いや熱気を感じることができます。


高輪海岸の石垣石
高輪二丁目交差点にひっそりと残る「高輪海岸の石垣石」。かつての東海道を波から守るための堤防だったものです。かつての海岸線がここにあったことを示す、貴重な遺構ですね。

交差点を過ぎても、線路沿いの再開発工事区間がしばらく続きます。やがて、人々の熱気が増してくると品川駅に到着です。

駅周辺は人が多いですね。
高輪ゲートウェイ駅周辺からこの品川駅前まで、ずっと工事区間でした。どのような街に生まれ変わるのでしょうか、楽しみです。
ところで「品川駅」という名前なのに、実は所在地は「港区高輪」だって知ってました?日本一古い駅の1つであり、山手線の起点駅でもあります。歴史のある駅だったんですね。


品川駅を通り過ぎて少し歩くと、駅前のにぎやかさが嘘のように、人通りが一気に少なくなって落ち着いた雰囲気の道に変わります。

八ツ山橋
八ツ山橋を通って、東海道とJR東海道線を渡ります。
この八ツ山橋、実は日本の最初の跨線橋(線路をまたぐ橋)で、現在の橋は四代目になります。
そして、映画『ゴジラ』の中で、ゴジラが最初に上陸した場所としても有名です。最初に壊されたのが、まさにこの八ツ山橋。近くでひっきりなしに行き交う電車を見下ろすこともでき、子連れの家族も楽しめる少し特別な橋ですね。

渡る手前、橋の左手の柱には「旧東海道」、右手の柱には「八ツ山橋」の名前が刻まれています。


八ツ山橋 旧橋親柱
渡り終えた橋の近傍には「八ツ山橋 旧橋親柱」が保存されています。両脇の石柱は2代目、中央の鉄柱は3代目の親柱で、少し痛んで錆びた感じが、風雨に耐えてきた歴史の長さを物語っています。

歩道の脇に、ひとつひとつ宿場町の名前が刻まれた石柱が立っていました。最初の石柱には「品川」、そこから順番に「大津」までの宿場名が続いているんです。ずっとこの石柱をたどって歩いてみたいと思っていたのですが、「箱根」の石柱から、旧東海道の道が分かれてしまうのです。
この石柱、車ではまず気づかないでしょうし、こうした五十三次に関心を持つのは、私たちのように街道を歩く人が中心だと思うのですが…なぜ旧東海道沿いに設置しなかったのでしょうね。少し残念な気持ちになりました。

広場には、品川宿を紹介する街歩き用のマップが設置されていました。すぐ先の京急の踏切を渡れば、いよいよ品川宿のエリアに突入です!


日本橋から最初の宿場町「品川宿」
踏切を渡り終えたところに「右 品川宿」と刻まれた石柱がありました。ここが、日本橋から続く最初の宿場町「品川宿」の入り口です。


品川宿はもともと北品川宿と南品川宿に分かれてたブ。でも享保7年(1722年)に北の方に歩行新宿ができて、三つ合わせて「品川宿」と呼ばれるようになったブ!今でいう北品川一丁目から南品川三丁目あたりまで、約2キロもあるブ!東海道の玄関口として旅人でにぎわい、旅籠や商店、飯盛女のいる宿もあって、遊びの名所としても人気だったブ!「北の吉原、南の品川」って言われてたんだブ!
問答河岸跡
かつて北品川の海岸沿いにあった波止場の名前です。
三代将軍・家光が東海寺を訪れた際、沢庵和尚がこの地まで出迎え、禅問答を交わしたという逸話が『徳川実記』に記されています。
家光が「これほど海に近いのに、なぜ“東(遠)海寺”というのか」と問うと、沢庵和尚は「大軍を率いても“小軍(将軍)”と呼ぶのと同じようなものです」と答えたと伝えられています。禅の機知が光るやり取りですね。
ちなみに沢庵和尚といえば、あの「沢庵漬け(たくあん)」の考案者とも言われているお方。将軍様を相手に一歩も引かないトンチ合戦、ぜひ目の前で見てみたかったものです。

土蔵相模跡
このあたりにあった高級妓楼「相模屋」は、海鼠壁の土蔵造りが特徴的だったことから、「土蔵相模」と呼ばれていました。
幕末の動乱期、この土蔵相模は長州藩の志士たちの隠れ家や作戦会議の場として利用されたと伝えられています。尊王攘夷を掲げる高杉晋作らが英国公使館の焼き討ちを計画した際には、ここを出発点としたともいわれています。
さらに、安政7年(1860)には、桜田門外の変に向かう水戸浪士17名がこの場所で最後の宴を開き、決意を交わしたとも伝承されています。

品川宿に足を踏み入れると、至るところに設置された案内板や石柱、さらには町並みを整えるための植樹など、歴史を大切に守り伝えようとする取り組みが随所に見られました。



品川宿に入ると、交通量も少なく、静かで落ち着いた商店街という印象を受けました。至るところに設置された案内板や石柱、町並みを整えるための植樹など、歴史を大切に守り伝えようとする地元の皆さんの取り組みが随所に見られます。ただ、歩を進めるにつれて人や車の往来が増え、少し歩きにくさを感じる場面も。都市部に残る宿場町ならではの風景ですね。

和菓子屋「あきおか」 品川巻
ずっと歩き続けてちょっと小腹も減ってきたところで、香ばしい醤油の匂いに誘われて昔ながらのお煎餅屋さん「あきおか」に立ち寄りました。大正時代から続く老舗で、地元の人たちに長く愛されているお店です。
店内には、素朴ながらも味わい深そうなせんべいやあられがズラリ。今回は品川宿にちなんだ、品川名物の海苔巻きあられ「品川巻」をいただくことにしました。
実はこの「品川巻」、かつて品川沖で採れた極上の海苔(品川海苔)を巻いて作られていたのが名前の由来らしいですよ!



海苔に包まれたあられは、サクサク軽快な食感で、ついもう一つと手が伸びちゃうブ。小腹が空いた時のおやつにもぴったりブ。品川宿の歴史と風情を感じられる「品川巻」は、素朴で懐かしい味わいブよ。江戸時代の旅人もきっとこの味にほっとしたに違いないブ。食べながら宿場町の雰囲気を楽しめる、そんな一品ブ!
ようやくたどり着いた品川宿。至るところに案内板や石柱が整備されており、街全体で歴史を守ろうとする熱意がひしひしと伝わってきました。現代の商店街の活気と江戸の面影が不思議と馴染む、歩いていて飽きない道です。
さて、次回はさらに深く「品川宿」を散策します。古民家を利用した素敵なお店や、まだまだ隠れた名所をじっくり巡る予定です。歩き旅はまだまだ始まったばかり。ぜひ次回の記事も楽しみにしていてくださいね!
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